第61話:湯煙の密室。五等分される『衛生管理』の儀式
御子柴家が誇る山奥の別荘。
その最奥に位置する、岩造りの広大な露天風呂。
「……ふぅぁぁぁぁっ。極楽だ……」
もうもうと立ち込める湯煙の中で、日高清春は肩まで湯に浸かり、心の底から安堵の吐息を漏らしていた。
夕食時のあの異様なプレッシャーから逃れるため、「俺、先にお風呂もらってくるから!」と脱兎のごとく大広間を飛び出し、男湯の暖簾をくぐったのだ。
微かな硫黄の匂いと、静かな虫の音。
貸切状態の広い露天風呂は、五人の激重ヒロインたちの視線とフェロモンから解放された、唯一の安全地帯に思えた。
「やっと一息つける。……あいつらも女だし、さすがに男湯には入ってこないだろ。ははっ、事なかれ主義の勝利だ」
清春は、手ぬぐいを頭に乗せて目を閉じた。
だが、事なかれ主義の少年のその甘すぎる見通しは、わずか数秒後に物理的に粉砕されることになる。
――ガラララッ!!
脱衣所と内湯を繋ぐガラス戸が、勢いよく開け放たれた。
「……ん?」
清春が目を開けると。
湯煙の向こう側から、白いバスタオル一枚だけを身に纏った、五人の美少女たちが堂々たる足取りで入ってくるではないか。
「な、お前ら!? ここ男湯だぞ!!」
清春は悲鳴を上げ、慌ててお湯の中に深く沈み込んだ。
「騒ぐな、日高。……夕食の席で言ったはずだ。『衛生管理』と『安全確認』のため、我々が君の入浴をサポートすると」
先頭を歩く生徒会長・御子柴天音が、バスタオルの上からでも分かる豊かな胸を張り、氷のように冷たく、しかし瞳の奥にギラギラとした欲望をたぎらせて言い放った。
彼女の右手には、なぜかストップウォッチが握られている。
「ここは御子柴の別荘だ。男湯も女湯も関係ない。……さて、協定に基づき、これより『ご主人様・洗浄の儀』を開始する!」
天音がストップウォッチのボタンをカチッと押す。
それと同時に、五人が完璧な統率で動き出した。
「まずは『洗い場』の第一シフト! 結衣、澪、前へ!」
「了解よ。……さあキヨくん、お湯から出てそこ(洗い場)の椅子に座りなさい。汚れ一つ残さず、私が『洗浄(回収)』してあげるから」
「清春様! 人魚の力を持つこの澪に、水回りのすべてをお任せください!」
水無月結衣と波澄澪が、清春の両腕を掴んで露天風呂から強引に引きずり出し、洗い場の小さなプラスチックの椅子に座らせた。
「待て! せめて前を隠させてくれ!」
「無駄よ。キヨくんの身体の隅々まで、私の手が触れるんだから」
結衣は、たっぷりと泡立てたボディタオルを手に持ち、清春の背中にピタリと密着した。
バスタオル越しに伝わる、彼女の柔らかな胸の感触。
だが、清春が動揺する間もなく、結衣の本当の狂気が牙を剥いた。
「……すぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!! はぁぁっ……お湯で温まって、キヨくんの毛穴が開いて……極上の匂いが、蒸気と一緒に立ち昇ってくる……っ!」
結衣は、清春の背中をゴシゴシと洗いながら、彼のうなじに鼻を擦り付け、狂ったように匂いを吸い込み始めた。
それだけではない。彼女は背中を洗い終えたボディタオルの泡を、用意していた『小さなガラス瓶』にギュッと絞って回収しているのだ。
「ちょ、結衣!? お前今、俺の汗が混ざった泡を瓶に入れただろ!?」
「気のせいよ。これはただの……後で私が個人的に楽しむための『聖水』よ……ふふっ、ふふふふっ……」
完全に目がイっている幼馴染にツッコミを入れる暇もなく、今度は正面から澪が攻め立ててくる。
「清春様! 私の『水魔法』で、極上の泡風呂を体験していただきます!」
半妖である澪が指先を動かすと、シャワーのお湯と泡が生き物のように意思を持ち、清春の胸板から腹筋、そして太腿へとヌルヌルと滑るように絡みついた。
「ひゃんっ!? 波澄、くすぐったい! そこはダメだ!」
「あぁっ……清春様の素肌の感触が、水を通じて私の脳に直接伝わってきます……っ! これが神の肌……っ! 清春様、もっと私のお水に溶けてください……っ!」
澪は、恍惚とした表情でよだれを垂らしながら、水の触手を操って清春の全身をねっとりと愛撫(洗浄)していく。
逃げ場のない洗い場。湯煙によって姫の甘いフェロモンが限界まで濃縮され、少女たちの発情はすでに完全に壊れていた。
◆
ピピピッ!
天音のストップウォッチが鳴った。
「第一シフト終了! 続いて第二シフト、珠希、綾! ご主人様を湯船へ!」
「待ってましたっしょー!! キヨっち、お風呂入るよ!」
泡を流された清春は、今度は化け猫の珠希と土蜘蛛の綾によって、再び露天風呂のお湯の中へと引きずり込まれた。
「ぷはっ! お前ら、溺れさせる気か!」
清春が顔を出すと、広い露天風呂の中で、彼の逃げ道は完全に封じられていた。
お湯の中に、綾が放った『見えない粘糸』が縦横無尽に張り巡らされ、清春の手足をふんわりと、しかし確実に拘束していたのだ。
「……ふふっ。捕まえた。……清春くん、お湯の中だと、私の糸からは逃げられないよ……?」
綾が、お湯で濡れた黒髪をかき上げながら、分厚い眼鏡の奥の濁った瞳で清春を見つめる。
彼女は、拘束した清春の正面に密着するようにして浮き上がり、彼の首筋に顔を埋めた。
「んんっ……あぁ、お湯に清春くんの匂いが溶け出して……露天風呂全体が、清春くんの体液みたい……っ。……ちゅっ、んちゅ……」
綾は、清春の鎖骨のあたりに、チュゥゥゥッと吸い付くように本気のキスマーク(マーキング)を刻み始めた。
「痛っ! 八束さん、噛むな! 血が出る!」
「ズルいっしょ八束さん! あたしだってキヨっちのエキス欲しいのに!」
バシャァッ!と、珠希がお湯に潜り、清春の足元から攻め上がってきた。
彼女は猫のように清春のお腹や太腿に頭を擦り付け、「にゃぁぁ……ごろごろ……っ」と発情期特有の甘い鳴き声を上げながら、素肌を舐め回してくる。
水上では綾に首筋を吸われ、水中では珠希に太腿を愛撫される。
二人の半妖による、上下同時のマタタビ搾取地獄。
温泉の熱気と、彼女たちが放つ異常な熱量が混ざり合い、清春の意識は酸欠で遠のきそうになっていた。
『……マスター。現在のマスターの心拍数、180を突破。血圧も危険水域です。……ですがご安心を。この狂気的な儀式は、まだ終わっていません』
脱衣所に置かれたスマホから、シキの無機質な音声が容赦なく事実を告げる。
「まだあるのかよ……っ! もう許してくれ……!」
◆
ピピピッ!
再び、ストップウォッチの音が響いた。
「第二シフト、そこまでだ! ……お前たちは全員、内湯へ戻れ。……ここからは、生徒会長(私)の単独シフトだ」
天音の命令に、四人のヒロインたちは不満げな声を上げながらも、協定の絶対ルールには逆らえず、渋々といった様子で内湯へと消えていった。
静まり返った露天風呂。
残されたのは、疲れ果てて岩陰に寄りかかる清春と、バスタオル一枚の御子柴天音だけだった。
「……日高」
天音は、お湯をかき分けるようにして、ゆっくりと清春の元へ歩み寄ってきた。
彼女の金色の髪はお湯の湿気でしっとりと濡れ、透き通るような白い肌が、月明かりと湯気の中で妖しく上気している。
「先輩……もう、勘弁してください……」
清春が弱々しく命乞いをする。
だが、天音の様子が、先ほどまでの「厳格な指揮官」とは明らかに違っていた。
「……はぁっ、はぁっ……あぁっ、やっと……やっと、二人きりになれた……っ」
天音の顔は、耳の先まで真っ赤に茹で上がり、瞳の焦点は完全に溶け落ちていた。
彼女は、清春の目の前で崩れ落ちるようにお湯に浸かり、清春の足にすがりつくようにして抱きついたのだ。
「えっ……先輩!?」
「……ご主人、様……。私、ずっと我慢していました……っ。あいつらが、あなたに触れて、あなたの匂いを嗅いでいるのを……必死に堪えて、順番を待っていたんです……っ」
誇り高き退魔師の面影は、そこには微塵もなかった。
あるのは、主人の匂いを渇望し、褒められたくて尻尾を振る、完全な『ドMの忠犬』の姿。
「……罰を、ください……」
天音は、清春の膝に額を擦り付け、潤んだ瞳で彼を見上げた。
「あいつらのために……ご主人様のお身体を綺麗にする手伝いをさせた私を……『無様な雌犬』だと、あの時のように冷たい目で蔑んでください……っ。そして、どうか……私にも、極上の毒を……っ」
天音のバスタオルが、お湯の中でふわりとはだける。
彼女は、清春の手を自らの両手で包み込み、自分の熱を持った頬へと押し当てた。
銀色の唾液が、彼女の半開きの唇からツツーッと流れ落ち、温泉のお湯に溶けていく。
(……ダメだ。こいつ、完全に手遅れだ……!)
清春は、天音のあまりにも完成された『メス堕ち』っぷりに、恐怖を通り越して戦慄した。
地下祭壇で彼女の命を救うために『姫』の力で施した、解毒の口づけ(マーキング)。
それが、学園最強の治安維持者を、ここまで狂ったマタタビジャンキーに作り変えてしまったというのか。
「ご主人様……っ。あぁっ、ご主人様の手の匂い……っ。……はむっ、んちゅ……っ」
天音は、清春の指先を自らの口に含み、舌で執拗に舐め回し始めた。
「や、やめろ先輩! 俺はただの日高だ! ご主人様じゃない!」
「いいえ……あなたは私の神様です……っ。もっと、私を乱暴に扱って……っ、蹴り飛ばしてくれてもいいんですからね……?」
天音が、とろけきった顔で清春の胸にすり寄ってくる。
右も左も、正気を持った人間は誰もいない。
全員が、協定という名の大義名分を盾にして、清春の身体と匂いを合法的に貪り尽くす怪物と化している。
「……誰か、助けてくれェェェェェェッ!!」
事なかれ主義の少年の悲痛な叫びは、夜の山奥の露天風呂に空しく響き渡った。
だが、シキは言っていた。
合宿の夜は、まだ始まったばかりであると。
お湯で温まり、さらにフェロモンの分泌量が限界突破した清春を待ち受けているのは、協定の追加条項である『睡眠時の直接搾取(合法的な夜這い)』が解禁される、本当の地獄の深夜帯だった。
清春の胃壁と貞操を懸けた、終わりのないサバイバルは、ここからが本番なのである。




