第57話:メス堕ちの夜明け。誇り高き退魔師は神の匂いにひれ伏す
冷たく、硬い石畳の感触。
御子柴天音が重い瞼を開けると、そこは静まり返った学園の地下祭壇だった。
「……あ、れ……? 私、は……」
ゆっくりと上体を起こす。
視界はクリアだった。肺を焼くようなあの怨霊の毒の苦しみも、霊力回路を引き裂かれる激痛も、嘘のように消え去っている。
それどころか、身体の奥底から、これまでの人生で感じたことがないほどの強烈な「熱」と「活力」が脈打っているのを感じた。
天音は、ハッとして周囲を見渡した。
祭壇を埋め尽くしていたドス黒い瘴気も、数千の怨霊群も、跡形もなく消え失せている。
空間にはキラキラと微細なダイヤモンドダストが舞い、清浄で、そして……脳髄を直接溶かすような、雪山と猛毒の花を混ぜ合わせた『あの匂い』だけが、色濃く残っていた。
「あ……ぁ……っ」
その匂いを鼻腔が捉えた瞬間。
天音の脳裏に、気絶する直前の記憶が、鮮烈なフラッシュバックとなって襲いかかってきた。
――『大人しく口を開けなさい』
――『あなたの退魔師としての誇りも、その身体も、すべては私のものよ』
自分に覆い被さる、純白のドレスを纏った絶世の女神。
彼女の氷のように冷たく、それでいて火傷しそうなほど熱い舌が、自分の口腔内を無理やりこじ開け、舌を絡め取り、蹂躙し尽くしたあの圧倒的な快楽。
怪異を憎む退魔師としての自分が、あの化け物に自らすがりつき、よだれを垂らして「もっと匂いをください」と懇願してしまった、消すことのできない屈辱と歓喜の記憶。
「ひ、あぁぁっ……!! んっ、はぁ、はぁっ……!!」
天音は、自分の唇を両手で覆い、ガタガタと激しく震え始めた。
身体が、熱い。
あの女神に口づけされた感触を思い出しただけで、下腹部の奥がキュゥゥッと甘く締め付けられ、太腿の内側が痙攣する。
信じられない。信じたくない。
十年間、血を吐くような修行に耐え、己のすべてを殺して「怪異を祓う絶対の正義」として生きてきたこの私が。
たった一度、あの化け物に粘膜を弄り回されただけで、こんなにも雌のように濡れて、喘いで、あの方の毒を欲して身悶えしているなんて。
「ちがう……私は、御子柴の当主……。怪異は、敵……。こんな、こんな化け物の匂いに、屈してなるものか……っ!」
天音は、必死に自分に言い聞かせ、床に落ちていた自らの長刀を拾い上げようとした。
だが、その手が、ふと「ある物」に触れて止まる。
それは、天音の肩にそっと掛けられていた、見覚えのある男子生徒用のブレザーだった。
「……日高、清春の……?」
天音は、そのブレザーを手に取った。
彼が、怨霊の群れの前に単身で乗り込んできて、『白鐘の姫』へとその姿を変えた。
これは、彼が私を助け、事後に人間へと戻った際、ボロボロになった私を気遣って掛けてくれたものなのだろう。
天音は、そのブレザーを見つめ、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
ブレザーからは、彼自身の体臭と、そして……あの『女神』の残り香が、これ以上ないほど濃厚に染み出していた。
「……」
退魔師の誇りが、「それを捨てろ」と警鐘を鳴らす。
だが。天音の魂の最深部にまで刻み込まれた『絶対隷属印』が、それを遥かに凌駕する狂暴な力で、彼女の理性を完全に叩き潰した。
「……すぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!!」
ズォォォォォォォォッ!!という、理性を完全に投げ捨てた凄まじい吸引音。
天音は、清春のブレザーに顔全体を完全に埋め込み、肺の限界を超えて、狂ったようにその匂いを吸い込み始めた。
「んんんっ! はぁっ、はぁぁっ……!! あぁぁぁっ、ご主人様の匂い……っ! 冷たくて、甘くて、頭がぐちゃぐちゃになるぅぅぅっ!!」
天音の足から力が抜け、そのままブレザーを抱きしめた状態で、冷たい石畳の上に崩れ落ちた。
顔は耳の先まで真っ赤に茹で上がり、瞳孔は限界まで見開かれ、口元からは銀色の唾液がだらしなく滴り落ちている。
「ちゅっ、んちゅ……じゅるる……っ! はむっ、れろぉ……っ」
匂いを嗅ぐだけでは飽き足らず、天音はブレザーの襟元を自らの唇で咥え込み、舌で執拗に舐め回し始めた。
厳格で、誰も寄せ付けなかった誇り高き生徒会長が、地下祭壇の床に這いつくばり、一人の男子生徒のブレザーをよだれまみれにして身悶えしている。
これが、あの圧倒的な女神から『解毒』という名の極上の猛毒を与えられた者の、末路だった。
誇りをへし折られ、恐怖と屈辱を「至上の快楽」へと完全に書き換えられてしまった、哀れなドMの忠犬。
「あぁ……っ、私、もうだめ……。あの方の命令がないと、あの方に冷たく見下されないと、生きていけない身体になっちゃった……っ。ご主人様、もっと私を蔑んで、もっと匂いを嗅がせてぇ……っ」
地下祭壇に、かつての退魔師の、完全にメス堕ちした嬌声が空しく響き渡る。
学園の治安維持者すらも、清春(白鐘の姫)の圧倒的な魅力の前には、ただの新たな『依存者』のひとりに過ぎなかったのである。
◆
翌朝。
学園の本館最上階、生徒会室。
朝のホームルーム前の静かな時間。生徒会副会長の男子生徒が、書類の束を抱えて部屋に入ってきた。
そこには、いつものように巨大なオーク材のデスクに向かい、ペンを走らせる生徒会長・御子柴天音の姿があった。
「おはようございます、会長。昨日の『ガス漏れ騒ぎ』の事後報告書、まとまりました」
「……ああ。ご苦労だった」
天音は、顔を上げずに短く答えた。
その佇まいは相変わらず凛としており、隙がない。金色の髪は美しく結い上げられ、制服にはシワ一つない。
だが、副会長はふと首を傾げた。
「あの、会長。……顔、すごく赤いですけど。熱でもあるんですか?」
「なっ……!?」
天音の肩が、ビクッ!と大きく跳ねた。
彼女は咄嗟に片手で顔を隠し、声を上ずらせて答える。
「ね、熱などない! 少し……部屋の暖房が効きすぎているだけだ。気にするな!」
「はあ……。でも暖房、まだ入れてませんよ?」
「いいから! お前はもう自分の教室に戻れ! あとは私がやっておく!」
天音の異常な剣幕に押され、副会長は「失礼します……」と慌てて生徒会室から退室していった。
バタン、と扉が閉まり、再び一人きりになった生徒会室。
天音は、ペンを放り投げ、デスクの上に突っ伏して「はぁぁぁぁっ……」と荒い息を吐き出した。
顔が赤いのも、息が荒いのも、当然だった。
彼女は今、自分のブレザーの下……Yシャツのさらに内側の素肌に直接触れるように、清春が残していった『男子用ブレザー』を巻き付けて着用していたのだから。
(……あぁっ、ご主人様の匂いが、私の肌に直接擦れて……っ。仕事中なのに、頭が溶けそう……っ)
天音は、デスクの下で太腿を強く擦り合わせながら、恍惚とした表情で身悶えした。
昨日の夜、あの地下祭壇でブレザーを舐め回して気を失った後。彼女は目を覚ますと、すぐさまブレザーを回収し、誰にも見られないように自室へと持ち帰った。
そして今朝、どうしてもあの匂いが手元にないと不安で発狂しそうになり、狂気の沙汰と知りながら、自らの制服の下に忍び込ませて登校してしまったのだ。
「……こんなの、退魔師として、生徒会長として、最低だ……。でも、もうやめられない……っ」
天音は、自らのどうしようもない変態性に絶望しながらも、その「罪悪感」すらも極上のスパイスとなって彼女をさらに発情させていた。
――その時だった。
コンコン、と。
生徒会室の扉が、控えめにノックされた。
「……っ!? は、はい! 誰だ!」
天音は慌てて姿勢を正し、氷のような生徒会長の仮面を被り直した。
「あ、失礼します。……俺です、日高清春です。昨日、ブレザーを無くしちゃって……もしかして届いてないかなって」
扉が開き、そこから顔を覗かせたのは、他でもない日高清春だった。
彼からすれば、昨日の地下祭壇で気絶した天音に掛けたままにしてしまった自分のブレザーを、単に回収しに来ただけだ。
「ひ、だか……っ!」
天音の心臓が、ドクンッ!!と爆発しそうなほど跳ね上がった。
目の前に、ご主人様(の器)がいる。
しかも、彼が今探しているブレザーは、現在進行形で自分の素肌に直接巻き付けられ、彼女の体温と汗でしっとりと濡れている状態だ。
「先輩、具合はもう大丈夫ですか? ……あ、ブレザー、やっぱりここには無いですかね……」
清春が、少し気まずそうに部屋を見回す。
彼は天音が『白鐘の姫』の力に完全に洗脳されていることなど露知らず、「怪異を憎む彼女のプライドを傷つけてしまったかもしれない」と、申し訳なさそうにしている。
その、清春の『普通の男子生徒としての、優しくて控えめな態度』。
それが、メス堕ちした天音の「忠犬」としての性癖に、猛烈なフラストレーションを引き起こした。
(違う……っ! そんな優しい声で話しかけないで……っ! 私は、あの時のように『塵一つ残さず砕け散りなさい』って、冷たい目で見下されたいのに……っ!)
天音は、デスクの下で拳を強く握り締めながら、必死に震えを抑え込んだ。
彼女は、あの圧倒的でサディスティックな『女神』に支配される悦びを知ってしまったのだ。事なかれ主義の凡庸な少年の態度では、彼女のドMな渇望は満たされない。
「……日高」
天音は、立ち上がり、努めて冷酷で、厳格な生徒会長のトーンを作って言い放った。
「ブレザーなど、ここには届いていない。……それよりも。君が昨日の騒ぎの最中、どこで何をしていたのか。私への報告がまだだろう」
「えっ……あ、いや、それは……」
清春が一瞬、言葉に詰まる。
「……言っておくが。君が昨日、私を『助けた』などと勘違いしているなら、大間違いだ。……私はまだ、君に憑いている化け物を許したわけではないからな」
わざと、挑発的な言葉をぶつける。
天音の本当の目的は、「私を冷たく見下し、命令してほしい」「あの化け物(女神)の圧倒的な力で、もう一度私を言葉で叩き潰してほしい」という、極限まで歪んだ欲求を満たすためだった。
だが。
清春は、天音のその言葉を聞いて、ほっとしたように小さく笑ったのだ。
「……そっか。先輩は、やっぱり先輩ですね。……よかったです、元気そうで」
清春は、天音の言葉を「退魔師としての誇りを取り戻した強がり」だと完全に勘違いし、安堵の表情を浮かべていた。
「じゃあ、ブレザーは他を探してみます。……あんまり、無理しないでくださいね」
清春はそう言って軽く会釈をすると、そのまま生徒会室を出て行ってしまった。
バタン、と扉が閉まる。
残された天音は。
ポツンと立ち尽くしたまま、わなわなと肩を震わせていた。
「ちがう……ちがうのに……っ」
天音は、デスクに崩れ落ち、自らの腕を強く噛み締めた。
「優しい言葉なんて、欲しくない……っ! 私を、ただの犬みたいに扱ってよ……っ。這いつくばらせて、あの匂いをかがせてよぉ……っ!」
満たされない渇望。
あの女神の圧倒的な支配が忘れられず、日常の優しい幼馴染(清春)では物足りなくなってしまった身体。
天音は、服の下に隠した清春のブレザーを強く抱きしめながら、一つの恐ろしい決意を固めた。
(……彼が私を罰してくれないなら。……私が、彼から罰を与えられるような『問題』を起こすしかない)
あの、四人の少女たちがいる『料理部』。
あそこに乗り込み、彼女たちから彼を奪い、あの空間をめちゃくちゃに掻き乱せば。
きっと彼は怒って、私を冷たく見下し、もう一度あの『絶世の女神』の姿で私を蹂躙してくれるはずだ。
「……ふふっ。待っていてください、ご主人様。……この忠犬が、あなたに最高の『罰』をおねだりに行きますから……」
誇り高き生徒会長の、完全なる崩壊。
学園の治安を司る最強の退魔師は、こうして自らの意志で、四人が血みどろのマウント合戦を繰り広げる『地獄の料理部』という名の修羅場へと、第五の刺客として参戦することを決意したのである。
思った以上のやばかった




