第51話:生徒会長の尋問。不自然すぎるハーレム
ピリッ、と。
家庭科室の空気に、見えない亀裂が走ったような錯覚に陥った。
「……キヨくんに触れたら、タダじゃおかないわよ」
水無月結衣の、絶対零度を思わせる冷酷な声。
彼女を筆頭に、八束綾、猫宮珠希、波澄澪の四人が、生徒会長である御子柴天音の前に立ち塞がり、あからさまな敵意と殺気を放っていた。
彼女たちから立ち昇る「白鐘の姫」の妖力の残り香が、防衛本能に呼応して凄まじいフェロモンの圧へと変わり、家庭科室をむせ返るような甘い瘴気で満たしていく。
「……なるほど。完全に『主』を守るための防衛システムとして機能しているというわけか」
だが、その圧倒的な圧力を正面から受けても、天音は微動だにしなかった。
それどころか、彼女の凛とした金色の瞳には、憐れみすら混じった冷徹な光が宿っている。
「君たちの魂は、すでに完全に化け物の毒に侵されている。自意識すらも、その怪異のフェロモンによって都合よく書き換えられていることにも気づかずに。……哀れなものだな」
「哀れ……? ふざけないで。私たちは、清春くんの匂いがあれば、それで……っ!」
綾が、ギリッと歯を食いしばり、一歩前に出ようとする。
珠希も澪も、完全に戦闘態勢――人間としての理性を投げ捨ててでも清春を守ろうとする、狂信徒の目になっている。
「待て! ストップ!! お前ら、落ち着け!!」
一触即発の空気を破ったのは、胃の痛みに顔を歪めた清春だった。
彼は慌てて準備室から飛び出し、四人の少女たちと天音の間に割って入った。
「清春くん……!」
「キヨっち! あたしがこの金髪の女、追い払ってあげるから!」
「やめろって! 相手は生徒会長だぞ! 内申点とか停学とか、いろいろマズいから!」
清春は必死に四人をなだめすかした。
ここで彼女たちが天音に襲い掛かれば、それこそ「怪異に操られた異常者」として退魔師である天音に討伐されかねない。それに、これ以上騒ぎを大きくして、自身の『白鐘の姫』としての正体がバレるのも絶対に避けなければならない。
事なかれ主義の少年にとって、全面衝突は最悪のバッドエンドなのだ。
「……御子柴先輩。行きます。生徒会室でもどこでも行くんで、彼女たちには手を出さないでください」
清春は、観念したように両手を上げて天音に向き直った。
「キヨくん! だめよ、こんな女について行ったら何をされるか……」
結衣が清春の袖を掴んで引き留めようとする。表向きは冷たいツンデレを装っていた彼女だが、焦りのあまり素の『激重ストーカー』の顔が微かに漏れ出している。
「大丈夫だから。結衣たちも、今日はもう帰っててくれ。……ただの面談だよ。すぐ戻るからさ」
清春は結衣の手を優しく外し、四人に作り笑いを向けた。
後ろ髪を引かれるような、ドロドロに重たい四つの視線を背中に浴びながら。清春は、冷徹な生徒会長に先導される形で、家庭科室を後にした。
◆
本館最上階、生徒会室。
重厚なマホガニーの扉が閉まると、外の喧騒が完全に遮断され、息苦しいほどの静寂が部屋を満たした。
天音は、デスクの後ろにある革張りの椅子に腰を下ろし、長刀をデスクの脇に立てかけた。
清春は、部屋の中央にポツンと置かれた来客用のパイプ椅子に座らされている。完全に「尋問」の構図だった。
「……さて。日高清春。単刀直入に聞く」
天音が、デスクの上で両手を組み、鋭い金色の瞳で清春を射抜いた。
「君に憑いている、あるいは君を操っている『特級の怪異』の正体はなんだ。目的は何だ」
「……ですから、怪異なんて俺には分かりませんよ。俺はただの料理部員で……」
「とぼけるな!!」
ダンッ!!
天音が机を強く叩き、その反響音が部屋に鋭く響いた。
「私は退魔師だ。君のその薄っぺらい嘘など、霊気の流れを見れば一目で分かる。……最近、この学園で起きた異常な事件の数々、君は無関係だと言い張るつもりか?」
天音は、デスクの引き出しから数枚の書類を取り出し、清春の前に滑らせた。
「図書室に巣食っていた吸精鬼。旧校舎の地下の特級怨霊。屋内プールの水妖。……これらはすべて、私が時期を見て討伐する予定だった強力な怪異だ。それが、ここ数週間の間に、跡形もなく完全に消し飛ばされた」
「……」
「現場に残されていたのは、犯人の痕跡すらも凍結させて粉砕する、異常なまでの絶対零度の残滓だけ。……そして、そのすべての事件の直前に、君、あるいは君の周囲の女子生徒たちが現場付近にいたという目撃情報がある」
天音の追及は、正確無比だった。
彼女は、学園の霊脈の乱れと、生徒たちの動向を点と線で結びつけ、すでに「清春の周辺」に異常の震源地があることを完全に特定していたのだ。
「極めつけは、先日の空の亀裂……『大妖怪の襲来』だ。あれほどのバケモノが、なぜこんな狭い学園にわざわざ干渉してきたと思う?」
天音は、清春の目を真っ直ぐに見据えた。
「答えは一つだ。この学園に、大妖怪をも引き寄せるほどの『極上の獲物』……あるいは、『生態系の頂点に君臨する神に等しい怪異』が潜んでいるからだ。そしてそれは、君の周囲の四人の少女たちから漂う匂いと、完全に一致している」
清春の背中に、冷たい汗が伝い落ちる。
「……あの四人の少女たち。八束綾、猫宮珠希、波澄澪、水無月結衣。……彼女たちは皆、学園でも有数の美少女だ。それが、なぜ君のような……失礼だが、平凡で目立たない男子生徒に、あそこまで異常な執着を見せると思う?」
「それは……俺が、手作りのクッキーとか、お菓子をあげてるからで……」
「そんな言い訳が通用するとでも思っているのか!」
天音の怒声が飛ぶ。
「彼女たちから放たれているのは、甘い香水などではない! 脳髄を溶かし、魂を縛り付ける、特級怪異の『マーキング(所有印)』だ!……あの四人は、特級怪異から直接、極上の妖力を注ぎ込まれ、洗脳されているんだよ。君という『器』に群がるように、都合よく書き換えられた哀れな生贄だ」
天音の言葉は、鋭い刃となって清春の胸を抉った。
彼女の推論は、途中までは完璧に正解している。
四人が洗脳状態(メス堕ち)にあることも、その匂いが特級怪異(姫)のものであることも。
だが、天音は一つだけ、根本的な勘違いをしていた。
彼女は、清春が『白鐘の姫そのもの』だとは微塵も思っていない。
清春は、強大な怪異に身体を乗っ取られた哀れな「隠れ蓑」、あるいは彼女たちを誘き寄せるための「撒き餌」にされているのだと信じ込んでいるのだ。
「……日高清春。君も、被害者なのだろう?」
天音のトーンが、怒りから、ふっと静かな憐れみの色へと変わった。
「怪異に魅入られ、自分の意志とは無関係に、あんな異常なハーレムの中心に据え置かれている。……毎日、洗脳された少女たちに囲まれ、匂いを嗅がれ、精神を削られる日々。……怖かっただろう。だが、もう安心していい」
「え……?」
「私が、必ず君たちを救ってやる。君の背後に隠れているその卑劣な化け物を、この御子柴の長刀で完全に祓い、四人の少女たちの洗脳も解いてみせる。……だから、話してくれ。君に憑いている化け物の正体を」
天音の言葉には、退魔師としての強固な正義感と、不器用な優しさが込められていた。
彼女は、本気で清春とヒロインたちを「救う」つもりなのだ。
だが、清春にとって、それはありがた迷惑どころの話ではなかった。
(洗脳を解くって……! 無理に決まってるだろ!)
清春は内心で頭を抱えた。
あの四人に刻まれたマーキングは、呪いや悪霊の憑依ではない。『白鐘の姫』という上位存在による、魂の根幹からの書き換え(依存・発情・狂信・ストーカー化)なのだ。
それを無理やり「祓おう」などとすれば、最悪の場合、彼女たちの魂そのものが破壊されてしまう。
それに、そもそも「背後の化け物」など存在しない。俺が変身して、俺が直接キスをしてマーキングしたのだから。
「……先輩。お気遣いはありがたいですが、本当に、何かの勘違いです。俺には化け物なんて憑いてませんし、彼女たちも、ただ少し……スキンシップが激しいだけです」
「スキンシップが激しいだけだと!? あれが正気の人間の行動に見えるのか君は!」
天音が呆れたように声を荒らげる。
「事実から目を背けるな! 君は自分がどれほど危険な状況にいるか分かっていない! あのまま怪異の毒に当てられ続ければ、彼女たちは遠からず人間としての理性を完全に失い、君を物理的に食い殺す怪物に変異するぞ!」
天音の警告。
それは、あながち間違っていなかった。
結衣の裏の顔(ジャージ吸引)や、珠希の発情の度合いを見れば、すでに人間としての理性は風前の灯火である。
『……マスター。御子柴天音の追及、非常に論理的かつ鋭利ですね。彼女の退魔師としての勘は本物です』
その時、清春のポケットの中で、シキが微かな振動と共に音声を送ってきた。
もちろん、天音には聞こえない特殊な周波数だ。
『ですがマスター。彼女の霊的波形を解析したところ、少し不可解な点があります。……彼女、ここ最近、異常なほどに霊力を消耗しています。まるで、常時「何か」を全力で押さえ込み続けているかのように』
(押さえ込んでいる……?)
清春は、天音の姿を改めて観察した。
言われてみれば、彼女の凛とした表情の裏側に、隠しきれない濃い疲労の色が見える。目の下には薄っすらとクマがあり、肩の上下動も少し荒い。
「……先輩。一つ、聞いてもいいですか」
清春は、シキの情報を元に、反撃の糸口を探るように口を開いた。
「なんで先輩は、そこまでして怪異を憎むんですか。……生徒会長の仕事だけでも忙しいはずなのに、どうして一人で、そんなに無理をしてるんですか」
その言葉に、天音の表情が一瞬だけ、硬く凍りついた。
図星を突かれた人間の、無防備な動揺。
「……君には、関係のないことだ」
天音は、顔を背け、冷たく吐き捨てた。
「私は御子柴の次期当主。この学園の……いや、この土地の秩序を守るのが、私の使命だ。……怪異は、人間の日常を理不尽に破壊する絶対悪。だから、私がすべて斬る。それだけのことだ」
天音の言葉には、迷いがなかった。
だが、その強すぎる正義感の裏には、何か重く、暗い「呪縛」のようなものが感じられた。
『マスター。彼女が管理している学園の霊脈……その最深部である「地下」から、非常に不吉な瘴気の漏出を検知しました。……どうやら、マスターが大妖怪を叩き割った余波で、彼女が先祖代々封印してきた『何か』が、崩壊の危機に瀕しているようです』
シキの冷酷な分析が、清春の脳内に最悪のシナリオを提示する。
学園の地下で、何かが起きようとしている。
生徒会長である天音が一人で抱え込み、限界を迎えつつある、巨大な厄災。
「……今日のところは、これで帰っていい。だが、警告はしたぞ、日高清春。……私は必ず、君の背後の化け物を引きずり出すからな」
天音は、疲労を隠すように冷たく言い放ち、尋問を打ち切った。
清春は、小さく会釈をして生徒会室を出た。
重厚な扉が閉まり、清春は長い廊下で深く息を吐き出した。
事なかれ主義の日常は、四人のヒロインたちの異常な愛情によってすでに崩壊している。
だが、それに加えて。
学園の裏側で進行する、退魔師の少女が背負う巨大な闇。
俺が『白鐘の姫』の力を振るいすぎた代償が、今度はこの誇り高き生徒会長を、絶望の淵へと追い詰めようとしている。
逃げられない。
自分が蒔いた種の責任から、もう目を背けることは許されない。
新たな波乱の幕開けを予感させる、重く、そして甘い毒に満ちた夜が、静かに学園を包み込もうとしていた。




