第45話:【絶頂】過去の罪を精算する。涙と上書きの口づけ
4人目攻略完了
パリンッ、と。
最後の異界の欠片が、空中でガラス細工のように砕け散り、夕闇の空へと溶けて消えた。
生暖かい腐臭に満ちていた空間は完全に一掃され、代わりに、秋の初めの澄んだ夜風が学園の屋上を吹き抜ける。
西の空には一番星が瞬き、眼下からは、何も知らない生徒たちが下校していく賑やかな喧騒が、遠い別世界のもののように微かに聞こえてきていた。
静寂が、戻ってきた。
だが、水無月結衣の心臓は、これまでの人生で経験したことがないほどの激しい早鐘を打っていた。
彼女の目の前には、白銀の髪を風に揺らす、絶世の美女が静かに膝を下ろしている。
純白のドレスに包まれた完璧な肢体。人間離れした透き通るような肌。
そして、結衣の頬を撫でる、氷のように冷たく、それでいて火傷しそうなほどの熱を帯びた白磁の指先。
「……キヨ、くん……なの……?」
結衣は、震える声で尋ねた。
信じられない。目の前にいるのは、どう見てもこの世のすべての美を凝縮したような「大妖怪の女神」だ。
だが、その指先の優しい感触も、自分を見つめる金色の瞳の奥に潜む悲痛な色も、そして何より、魂の底から突き上げてくるようなこの絶対的な安心感も。
すべてが、結衣のよく知る「日高清春」の魂そのものであると、彼女の直感が告げていた。
「ええ。そうよ。……私は彼であり、彼は私」
姫の赤い唇が、優しく、そして艶やかに綻んだ。
その声は鈴を転がすような美しい女の声だが、結衣の心に直接響く波長は、間違いなく幼馴染の少年のものだった。
「私の器(清春)は、ずっと自分を責めていたわ。自分が無自覚に刻んだ『威嚇印』のせいで、一番大切なあなたを、十年間も一人ぼっちにしてしまったと。……自分の罪深さに、泣きじゃくっているのよ」
「ちがう、キヨくんは悪くない……っ! 私が、私が勝手に避けて……」
「いいえ。あなたは何も悪くないわ、結衣」
姫は、結衣の言葉を遮るように、もう片方の手で結衣の頭を優しく抱き寄せた。
姫の豊かな胸に顔を埋められる形になり、結衣の鼻腔を、あの「雪山の冷気と猛毒の甘い蜜」を混ぜ合わせたような匂いが、逃げ場のないほど濃密に満たしていく。
「あなたは十年間、ずっと一人で、この私の匂い(呪い)に耐えてきたのね。……私が誰かを傷つけるのを防ぐために、自分が嫌われ者になって。……なんて健気で、いじらしくて、愚かな子」
「あ、ぁ……っ」
姫の言葉に、結衣の張り詰めていた心の糸が、プツリと音を立てて切れた。
強がっていた。誰にも迷惑をかけないために、氷の仮面を被って生きてきた。
でも、本当は。
「さみ、しかった……っ。ずっと、ずっと、キヨくんの側にいたかった……っ! 私だって、みんなみたいに、キヨくんと笑って、一緒に帰りたかった……ッ!」
結衣は、姫の純白のドレスを両手で強く握りしめ、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
十年分の孤独。我慢してきた涙が、堰を切ったように溢れ出し、姫のドレスを濡らしていく。
「ごめんね、キヨくん……っ。私、本当は、あなたが大好きなの……っ!」
結衣の、魂からの告白。
それを聞いた姫の瞳が、ふっと柔らかく、そして、獲物を完全に絡め取った捕食者のように、サディスティックな歓喜に細められた。
清春の「幼馴染への激しい罪悪感と贖罪の念」は、大妖怪『白鐘の姫』の意識というフィルターを通ることで、極限まで煮詰まった『狂おしいほどの支配欲と愛着』へと変換される。
これほどまでに自分(の器)を愛し、孤独に耐えて熟成された極上の魂。
これを、このまま綺麗事の「解放」で終わらせるなど、生態系の頂点に立つ傲慢な女王が許すはずもなかった。
「ええ、知っているわ。あなたがどれほど私(清春)を求めていたか。……だからこそ、私が責任を持って、あなたのその寂しさを全部、ドロドロに溶かしてあげる」
姫は、結衣の肩を押し、涙に濡れた顔を自分の方へと見上げさせた。
「あなたの魂に刻み込まれている、十年前の古い呪い。……他の虫けらを近づけないための『大蛇の威嚇印』。……それはもう、今のあなたには必要ないわね」
姫の白く細い指先が、結衣の顎をくいっと持ち上げる。
二人の顔が、吐息が混ざり合うほどの距離に近づいた。
「これからは、威嚇なんてしなくていい。……あなたの魂の奥底まで、私が直接『正しい印』を刻み込んであげる。他の誰でもない、私だけを求め、私の匂いなしでは生きられなくなる、極上の甘い隷属の印へと……上書きしてあげるわ」
「キ、ヨ……く、ん……っ」
結衣は、目の前に迫る姫の圧倒的な美しさと、脳を麻痺させる匂いに、完全に抵抗の意志を奪われていた。
怖い。でも、逃げたくない。
この人がくれるなら、それがどんな恐ろしい呪いでも、甘んじて受け入れたい。
十年の孤独が、結衣の理性を完全に狂わせていた。
「目を、開けたまま受け入れなさい。あなたの主が誰なのか、その魂に永遠に焼き付けるのよ」
姫の、熟れきった毒林檎のような赤い唇が。
結衣の青白い唇を、完全に塞いだ。
――チュッ。
屋上の静寂に、水気を含んだ甘い音が響き渡る。
「……んっ……!!」
結衣の身体が、ビクンッ!!と大きく跳ねた。
唇が触れ合った瞬間、全身の毛穴という毛穴から、信じられないほどの快楽が爆発的に駆け巡ったのだ。
姫は、結衣の閉ざされた歯列を、自らの冷たい舌先で強引にこじ開けた。
一切の容赦のない、絶対的な捕食者の侵入。
滑らかな姫の舌が結衣の口腔内へと滑り込み、十年間誰にも触れられることのなかった孤独な舌を、執拗に、絡め取るように弄り回す。
「んんっ!? あ、ぁ……っ、んちゅ、じゅる……っ!」
結衣の瞳孔が限界まで見開かれ、そこから大粒の涙がとめどなく溢れ出した。
交わる舌を通して、姫の体内から直接注ぎ込まれる、超高純度の『妖力』の濁流。
それは、大妖怪の命の源であり、嗅いだ者の理性を根こそぎ焼き切る猛毒。
結衣の魂の中で、十年間硬く凝り固まっていた「古い威嚇印(黒い大蛇の呪縛)」が、姫の新しい、圧倒的な妖力の奔流に飲み込まれ、内側から甘くドロドロに溶かされていくのが分かった。
「はぁ、ぁあ……っ、ん、れろ……ちゅぷ……っ」
姫は、結衣の口蓋を舐め上げ、舌の裏側まで徹底的にしゃぶり尽くしながら、自らの『支配の刻印』を、細胞の一個一個にまで刻み込んでいく。
結衣の脳が、沸騰する。
苦しかった十年の記憶が。孤独だった毎日の痛みが。
すべて、この甘く冷たい粘膜の交わりと、流れ込んでくる圧倒的な快楽によって、真っ白に塗り潰されていく。
――あぁ、なんて甘いのかしら。十年も私の匂いに漬け込まれた魂は、こんなにもとろけて、極上の蜜の味がするのね。
姫の金色の瞳が、結衣の涙に濡れた顔を至近距離で見つめながら、愉悦に細められる。
姫の腕の中でビクンビクンと跳ねる結衣の身体を、純白のドレスごと強く抱きしめ、さらに深く、喉の奥まで届かんばかりのディープキスを叩き込む。
「あ、が……っ、あぁぁぁっ……!!」
結衣の身体が、限界を超えた快感に感電したように激しく痙攣した。
もっと。もっと欲しい。
私の魂を、全部、お姉様のもので満たして。
もう一人にしないで。もう、私を離さないで……っ!
結衣の両腕が、無意識のうちに動き、姫の細い首にすがりつくように強く巻きついた。
自分からさらに深く口づけを求め、姫の唇を吸い返し、冷たい舌に自らの舌を狂ったように擦り付ける。
彼女の喉の奥から、「んんん……っ、ぁ、あぁんっ……」という、かつての氷の美少女からは想像もつかない、淫らで甘い服従の喘ぎ声が漏れ始めた。
『……マスター。水無月結衣の魂に刻まれていた「大蛇の威嚇印」の崩壊を確認。……同時に、マスターの新たな妖力パルスによる「隷属印」の完全な上書き・定着を確認しました』
シキの合成音声が、姫の脳内にだけ冷徹に響く。
『対象の精神状態、完全に「マスターへの絶対依存」へとシフトしました。……それにしても、まさか威嚇の呪いを解くために、これほど濃厚で、相手を魂の底からメス堕ちさせるようなディープキスを行うとは。……結衣の十年分の孤独を、限界突破の愛と快楽で物理的に埋め尽くす。マスターのサディズムも、ここに極まれりですね』
――黙りなさい、シキ。私はただ、この愛らしい幼馴染の罪滅ぼしをしてあげているだけよ。
姫は心の中で傲慢に言い放ちながら、さらに強く、結衣の唇を貪った。
永遠にも思える、長くて、淫らな魂の交わり。
やがて、結衣の体内に十分すぎるほどの妖力が満ち、彼女の魂の波長が、完全に姫のものと同調したことを確認すると。
姫は、ゆっくりと、名残惜しそうに結衣の唇から自らの唇を離した。
ぷつり、と。
二人の間に、濃密な銀色の唾液の糸が艶めかしく引かれ、夜風に揺らめいて消える。
「はぁっ、はぁっ、あ……ぁ……んっ……」
姫の腕の中で、結衣は完全に腰を砕かれ、操り人形の糸が切れたようにだらりと首を垂れていた。
彼女の顔は異常なほどの熱を帯びて赤く上気し、瞳の焦点は完全に合いを失っている。とろけきった表情で虚空を見つめながら、だらしなく半開きの唇から、熱っぽい吐息を繰り返している。
そこにはもう、人を寄せ付けない「氷の美少女」の面影はない。
あるのは、極上の快楽と愛を与えられ、主人の匂いなしでは生きられない身体に作り変えられた、哀れで、ひどく愛らしい「神の所有物」の姿だった。
「……ふふっ。本当に、いい顔。十年間、ずっとこんな顔で私にすがりつきたかったのね」
姫は、とろけた顔で喘ぎ続ける結衣を見下ろして、心の底から満足そうに微笑んだ。
彼女の汗ばんだ黒髪を優しく撫で上げ、その白い額に、チュッと、承認の印である軽いキスを落とす。
「呪いは解いてあげたわ。もう、あなたが誰かを傷つけることはない。……その代わり」
姫は、結衣の耳元に唇を寄せ、甘く、残酷な永遠の愛の呪いを囁いた。
「あなたのすべては、私のものよ。……これからもずっと、その可愛い顔で、私の匂いを求めて泣きなさい」
「……あ、……ぁ。……キヨ、くん……。……もっと。……もっと、いっぱい……して……っ」
完全に気絶する寸前。
結衣は、姫のドレスをぎゅっと握りしめ、狂おしいほどの依存と情欲に満ちた言葉を呟いて、そのまま深い眠りへと落ちていった。
『マスター。事後処理は完了しました。学園の霊的結界も、一時的にですが安定状態に戻りました。……マスター自身の「人間の肉体」の負荷が限界です。ただちに変身の解除を推奨します』
シキの言葉に、姫は小さく息を吐いた。
――分かっているわ。……まったく、世話の焼ける器ね。
姫は、腕の中の結衣をそっと屋上のコンクリートに寝かせると、夜空を見上げた。
その瞬間、彼女の身体から白銀の光の粒子が弾け飛び、大妖怪の意識が、男としての清春の自我へとバトンを渡し、再び深い眠りへと還っていった。
「がはっ……! ごほっ、ごほっ……はぁっ、はぁっ……」
男の身体に戻った清春は、折れた肋骨の激痛と、肺の奥を焼くような変身の反動に、その場にうずくまって血混じりの咳を吐き出した。
全身の筋肉が悲鳴を上げている。だが、その痛みよりも先に、清春は這うようにして結衣の側へと近づいた。
「……結衣」
清春は、静かな寝息を立てる結衣の頭を、震える手でそっと撫でた。
彼女の顔は、これまでの十年間のどの瞬間よりも、穏やかで、幸せそうな寝顔だった。
彼女を縛っていた冷たい呪いの気配は、もうどこにもない。
「……よかった。……本当に、ごめんな……結衣」
清春の目から、安堵と贖罪の涙が一滴、結衣の頬に落ちた。
これで、すべてが終わった。彼女の十年の苦しみは終わり、明日からは、また普通の幼馴染として、あの無邪気な笑顔を取り戻してくれるはずだ。
清春は、夜空の星を見上げながら、そう信じて疑わなかった。
自分が『白鐘の姫』として結衣の魂にどれほど恐ろしく、ドロドロに甘いマーキングを施したのか。
そして、その「上書き」によって、水無月結衣という少女が、明日からどのような『激重百合ストーカー(※中身は清春)』として覚醒してしまうのかに、気づく余裕などあるはずもなかった。
事なかれ主義の少年の、過去の精算。
だがそれは、学園最強のカードである「幼馴染」を、自らの手で地獄の修羅場(料理部)へと解き放つための、終わりの始まりでしかなかったのである。
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次回お楽しみに。




