第24話:翌日。俺を嗅いだギャルが、理性を失ってすり寄ってくる件
翌朝。
自室のベッドで跳ね起きた日高清春は、両手で自分の顔を覆い、そのままシーツの海に突っ伏して、声にならない絶叫を上げた。
「……あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! まただ! 俺、またやらかしたぁぁぁっ!!」
唇の端に、微かに残る甘い唾液の感触。
昨夜、特級怨霊から猫宮珠希を救い出し、彼女の魂にこびりついた呪いを舐め取るために、深い、深すぎるディープキスを叩き込んだ記憶が、脳裏に鮮明にフラッシュバックする。
彼女の舌を執拗に絡め取り、俺の妖力をこれでもかと注ぎ込み、彼女が快楽に白目を剥いて完全に「メス堕ち」するまで蹂躙し尽くした、あの地獄のような(あるいは天国のような)光景。
『おはようございます、マスター。昨夜の活動ログを確認。対象「猫宮珠希」への解呪、および強制マーキング行動、完遂しました。見事な手並みでしたね』
枕元のスマートフォンから、シキの無機質な、それでいてどこか面白がっているような合成音声が響く。
「……うるさい。俺は、あいつを助けるためだけに……」
『ええ、分かっています。しかし、結果として、彼女の魂には大妖怪「白鐘の姫」の強烈なフェロモンが一生消えない呪いとして刻み込まれました。彼女は化け猫の半妖です。対象の嗅覚と本能は、あなたの匂いを「極上のマタタビ」として認識し、永久的な依存状態へと移行しているはずです』
「……終わった。俺の平和な日常、今度こそ完全に終わった……」
清春は、胃の奥が雑巾のように絞り上げられるのを感じながら、重い足取りで学園へと向かった。
午前中の授業。
珠希の席は、空席だった。
担任からの報告によれば、「昨夜は高熱でうなされていたが、今朝になって急に熱が下がり、本人は学校に行くと言って聞かなかったが、念のため午前中は休ませる」とのことだった。
(……よかった。さすがに、あの状態から一晩で全快とはいかないか。今日はこのまま、顔を合わせずに済めばいいんだが……)
清春は、どこかホッとしていた。
八束綾の時でさえ、翌日の彼女の発情具合は凄まじかった。ましてや、化け猫の半妖である珠希が、あのマタタビ(妖力)を直接体内に流し込まれた後、どんな状態になっているのか想像もつかない。
そして、放課後。
清春は、逃げるように旧校舎一階の家庭科室へと駆け込んだ。
今日はまだ、綾も図書委員の仕事があるらしく、姿を見せていない。
久しぶりに、一人きりの静かな空間。
清春はエプロンを身につけ、気を紛らわせるために紅茶の準備を始めようとした。
――ガラッ!
その時、家庭科室の引き戸が、乱暴に、しかしどこか力なく開けられた。
「……キヨッ……ち……」
入り口に立っていたのは、午前中欠席していたはずの猫宮珠希だった。
清春は、彼女の姿を見た瞬間、全身の血の気が引くのを感じた。
彼女は、普段の明るく騒がしいギャルの面影を、完全に失っていた。
ルーズに着崩した制服はそのままだったが、その肌は異様なほどの熱を帯びて赤く上気し、額にはうっすらと汗が滲んでいる。
そして何より、その「瞳」が異常だった。
普段のパッチリとした二重の目は、今はトロンと半開きになり、瞳孔が怪しく縦に細く開いて、焦点が定まらないまま宙を泳いでいた。
口元はだらしなく緩み、荒い、ひゅーひゅーという熱っぽい吐息が漏れ続けている。
「ね、猫宮……? お前、午後から来たのか? ってか、顔真っ赤だぞ。まだ熱あるんじゃないのか……!?」
清春が慌てて駆け寄ろうとした、次の瞬間。
「……あぁっ。……キヨッ、ち……。……みつけた……っ」
珠希の目が、清春を捉えた。
その瞬間、彼女の濁っていた瞳に、強烈な飢餓感と、抗いがたい快楽を求める獣の光が宿った。
タタッ、と。
熱でふらついているとは思えないほどの素早さで、珠希が清春の胸元へと飛び込んできた。
「うわっ!? お、おい猫宮!」
「……すぅぅぅぅぅぅ……っ。はぁぁぁ……っ。……あぁ、……これ。この、匂い……っ」
清春の胸に顔を埋めた珠希は、両腕で清春の背中をガシッと力強くホールドし、彼の首筋から鎖骨のあたりに鼻を押し当てて、猛烈な勢いで匂いを吸い込み始めた。
くんくん、すぅぅぅ……っ。
それは、文字通り「狂った猫」がマタタビにすり寄る、そのものの動作だった。
「ちょ、離れろって! 猫宮、お前、様子が……っ!」
「……だめ。……はなさない。……キヨッち、すっごく、いい匂いがする……。頭の奥が、ジンジンして……とろけちゃいそう……っ」
珠希は、清春の制服を握りしめ、ぐりぐりと自分の頭を清春の胸に擦り付けてくる。
彼女の豊かな胸の感触が、清春の腹部に容赦なく押し付けられ、むにゅりと形を変える。
体温が異常に高い。まるで、歩くストーブのような熱が、制服越しに直接伝わってくる。
「……んんっ、……ごろ、ごろ……っ」
珠希の喉の奥から、無意識のうちに「ゴロゴロ」という、本物の猫のような喉鳴りが漏れ始めた。
彼女は今、完全に理性を失っていた。
昨夜の記憶。暗闇の中で恐ろしい化け物に殺されかけ、それを救ってくれた、あの神々しいまでに美しいお姉様。
そして、そのお姉様から直接口移しで注ぎ込まれた、脳髄が焼き切れるほどの甘い快楽。
男である清春がそのお姉様の正体だと気づいているわけではない。
だが、化け猫としての本能は、清春の身体の奥底に微かにこびりついている『あの時の猛毒(匂い)』の残滓を、絶対に嗅ぎ逃さなかった。
彼女にとって、今の清春は、禁断症状を癒やしてくれる極上の麻薬の供給源に他ならなかった。
「……猫宮、お願いだから落ち着けって! 誰か来たらどうするんだよ!」
清春は、どうにか彼女を引き剥がそうと、彼女の両肩を掴んで押しのけようとした。
だが、動かない。
普段はただの女子高生である彼女の腕力が、今は半妖としての本能がリミッターを解除しているせいで、男子である清春が本気で抵抗してもビクともしないほどの万力と化していた。
「……だれが来ても、いいもん。……あたし、今、すっごく……気持ちいい……。キヨッちの匂い、嗅いでると……身体の奥が、きゅぅって、なって……」
珠希は、とろけた顔で清春を見上げた。
その瞳は潤み、目尻には生理的な涙が滲んでいる。
赤い舌がチロリと覗き、彼女自身の唇を妖艶に舐めなぞる。
「……キヨッち。……ねぇ、キヨッち」
「な、なんだよ……っ」
「……昨日の夜、ね。……すっごく、綺麗なお姉さんに……助けてもらったの。……それでね、……お姉さんに、……すっごく、いっぱい……キスされて……」
珠希は、熱に浮かされたように、うわ言のように昨夜の記憶を語り始めた。
「……お姉さんの舌、冷たかったけど、……すっごく、甘くて。……あたしの中、ぐちゃぐちゃにされるくらい、いっぱい……。……あぁっ、思い出すだけで、また……っ」
珠希の身体が、ビクンッ! と大きく跳ね、清春の胸にさらに強くすり寄ってきた。
彼女の下腹部が、熱を帯びて清春の太腿に擦り付けられる。
清春は、顔面が沸騰しそうなほどの羞恥心と絶望に襲われた。
まさか、自分が無理やり犯した(解呪した)相手の口から、その時の快感を生々しく語られることになるとは。
しかも、その相手が、普段は「悪友」として適度な距離感を保っていたはずのギャルだという事実が、清春の男としての理性を容赦なく削り取っていく。
『マスター。心拍数、百五十を突破。猫宮珠希のフェロモン放出量が危険域に達しています。彼女は現在、あなたから発せられる微量な妖力を感知し、完全な「発情期」の行動パターンを取っています』
ポケットの中で、シキが冷徹に実況解説を入れる。
(……やめろ! 解説するな! どうすればこいつを離せるんだよ!)
『不可能です。彼女の魂に刻まれたマーキングは、彼女の半妖としての生存本能と完全にリンクしています。無理に引き剥がせば、彼女は狂乱状態に陥り、この家庭科室を破壊してでもあなたを組み敷こうとするでしょう。……推奨アクション:大人しく、彼女が匂いで満足するまで「抱き枕」として耐え忍ぶことです』
「……冗談じゃない。俺の貞操がピンチすぎるだろ……っ」
清春が心の中で絶望の涙を流している間にも、珠希の行動はさらにエスカレートしていった。
「……くんくん。……はぁっ。……でも、不思議。……キヨッちから、あのお姉さんと同じ、すっごく甘い匂いがする。……なんで?」
珠希は、清春の首筋から、今度は耳元へと鼻を移動させた。
彼女の熱い吐息が、清春の耳たぶを直接撫でる。
「……あぁ、だめ。……これ、嗅いでると、……また、あの時の味が、欲しくなる……」
珠希の赤い唇が、清春の耳たぶを、ハムッ、と甘く噛んだ。
「ひゃうっ!!? お、お前、何して……っ!」
「……ねぇ、キヨッち。……ちょうだい」
珠希が、清春の顔の真ん前に自分の顔を持ってきた。
彼女の吐息が、直接清春の唇に当たる距離。
潤んだ瞳。上気した頬。
そして、半開きの唇から覗く、濡れた舌先。
「……キヨッちの、口の中。……あのお姉さんと同じ、甘い味、するのかな……? ……たしかめさせて……?」
珠希が、完全に理性を飛ばした獣の目で、清春の唇を奪おうと顔を近づけてきた。
「や、やめ……っ! ストップ!! ストップだ猫宮ァァァァッ!!」
清春は、必死に両手で珠希の肩を押さえ込み、顔を背けて強引に距離を作った。
「……んぅ……。なんで逃げるのぉ……。ケチ。キヨッちの、意地悪……。ちょうだい、もっと、あまい匂い、ちょうだいよぉ……」
珠希は、唇を奪えなかったことに不満げに口を尖らせながらも、再び清春の胸に顔を埋め、ゴロゴロと喉を鳴らしながら匂いを貪り続けた。
清春は、天井を仰ぎ見て、深々と、魂が削れるような溜息を吐き出した。
終わった。
極度の男性恐怖症をねじ伏せてすり寄ってくる図書委員に続き。
理性を完全に失い、発情した猫のようにキスまで迫ってくるギャル。
この料理部という空間は、もはや平穏な聖域などではない。
俺が自らの手で生み出してしまった、激重依存ヒロインたちの「餌場」へと変貌してしまったのだ。
「……早く、誰か俺を助けてくれ……」
清春の悲痛な叫びは、珠希の甘い喘ぎ声と喉鳴りの音にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
そして、この時清春は、もう一つの最悪の可能性から目を背けていた。
もし今、この家庭科室の扉を開けて、もう一人の「匂い依存症」である八束綾が姿を現したとしたら。
事なかれ主義の少年の胃痛は、限界を突破し、ついに崩壊の時を迎えようとしていたのである。




