第11話:推奨アクション:TS変身
本日2話目です
あの目も眩むような白銀の光の中で。
日高清春という、事なかれ主義を愛した一人の平凡な男子高校生は、文字通り一度、完全なる『死』を迎えていた。
『マスター。生命維持システムの限界を確認。これより、魂の最深部に掛けられた「人」としての封印を強制解除します』
光の奔流によってすべての物理法則が遮断された、無音の精神世界。
宙に浮いたような感覚の中、シキの無機質で透明な合成音声だけが、脳の髄に直接響き渡る。
「……あぁ。……やれ、シキ」
清春は、光の中で己の意識がゆっくりと泥のように溶け出していくのを感じながら、心の中で答えた。
吸精鬼の群れに叩きつけられ、無惨に砕け散った肋骨の痛みは、すでに感じない。
その代わりに襲ってきたのは、細胞の一個一個がドロドロに溶かされ、全く別の生物へと強制的に再構築されていく、凄まじい「熱」と「喪失感」だった。
『封印、第一段階解除。骨格の再構築を開始します』
シキの宣言と同時に、清春の体内で、凄まじい軋み音が響いた。
骨が、溶ける。
男として成長してきた肩幅が、メリメリと音を立てて狭く、華奢なものへと削り落とされる。
太く無骨だった四肢の骨格が、しなやかで滑らかな曲線を描くように細く引き伸ばされ、重心が下へと移動していく。
代わりに、骨盤が内側から押し広げられるようにして熱を持ち、女性特有の豊満で扇情的な丸みを帯びた形へと変形を遂げた。
「……っ、ぁ、ぐぅ……っ!」
声にならない悲鳴が、光の中に吸い込まれる。
痛い。だが、その痛みは次第に、脳を痺れさせるような奇妙な「快楽」へとすり替わっていく。
男としての強さ、硬さ、粗野な部分がすべて削ぎ落とされ、この世のすべての美を凝縮したような「極上の雌」の肉体へと作り変えられていく、圧倒的な万能感。
『封印、第二段階解除。男性ホルモンの分泌を完全停止。生殖機能の反転および、大妖怪特有の妖力生成器官を構築します』
シキの言葉がトリガーとなり、清春の下腹部の奥底に、決定的な変化が訪れた。
男としての「それ」が、熱を帯びたまま溶け落ち、体内に収束していく。
そして、空っぽになったはずの下腹部の最も深い場所に、重たく、ドロリとした、底なしの「熱の塊」が産み落とされた。
それは、獲物を求め、他者を支配し、自分の匂いで相手を染め上げたいと渇望する、最恐の牝としての底なしの『子宮』。
「あ……、ぁぁ……っ」
清春の口から漏れたのは、もはや少年の低く掠れた声ではない。
鈴を転がすような、高く、甘く、それでいて聞く者の背筋を凍らせるような、至高の女の吐息だった。
自身の体温が、急速に低下していくのが分かる。
人間の温かい血流が、絶対零度の冷気を帯びた『妖気』へと置き換わり、血管の中を氷の粒が駆け巡る。
抜けるように白く、毛穴一つない白磁の肌が形成され、頭頂部からは月光を織り込んだような白銀の髪が、滝のように一気に伸びて、足首までを覆い尽くした。
『肉体の再構築、完了。続いて、精神領域のオーバーライドを実行します』
肉体が完成した瞬間、清春の『自我』に、決定的な侵食が始まった。
――ええ、そうよ。さあ、私に場所を明け渡しなさい。
精神の奥底から、もう一人の自分の声が響く。
それは、大妖怪『白鐘の姫』としての、傲慢で、残酷で、美しき捕食者の意識。
事なかれ主義でいたい。平和にお菓子を作っていたい。
そんな、清春がこれまで必死に守り抜いてきた小市民的な願いが、まるで薄っぺらい紙切れのように、彼女の圧倒的なエゴの前に燃えカスとなって消えていく。
――あんな下等な泥の化け物どもに、怯えて逃げ回るなんて。……本当に、私の『男』の部分は、情けなくて可愛らしいわ。
姫の意識が、清春の理性を優しく、それでいて暴力的に包み込む。
清春の心の中にあった「恐怖」や「焦り」が、すべて「嗜虐的な愉悦」へと塗り替えられていく。
あぁ、早くあの暗闇へ戻りたい。
あの図書室で、私を待っている、あの愛らしい獲物の元へ。
土蜘蛛の血を引く、極上に甘い匂いを放つ、あの地味な少女。
彼女を今すぐ組み敷いて、あの震える唇を強引にこじ開け、私の冷たい舌を這わせて、脳髄の奥底まで私の匂い(毒)で染め上げてやりたい。
「……や、めろ……俺は、俺はそんなこと……っ」
清春の残されたわずかな男の理性が、最後の抵抗を試みる。
だが、その抵抗すらも、巨大な発情と支配欲の波に飲み込まれ、甘い快楽の一部へと変換されてしまう。
『マスター。あなたの脳内で「保護欲」が「支配欲」へと完全に書き換えられました。対象「八束綾」に対する感情は現在、純度百パーセントの「独占欲」として固定されています』
シキの無機質な分析が、清春の敗北を告げた。
もう、後戻りはできない。
男として彼女を守りたかったという小さな願いは。
女の妖怪として彼女を蹂躙し、自分だけのものにしたいという、巨大な狂気へと姿を変えた。
――さあ、目を開けなさい。私の庭で、私の玩具に触れようとする不届き者どもに、絶対的な死(冷気)を賜る時間よ。
周囲を覆っていた白銀の光が、氷の結晶となってパキパキと音を立てて砕け散っていく。
光の粒子が収束し、彼女の剥き出しの肢体を包み込むようにして、霜と冷気で編み上げられた純白のドレスが形成された。
胸元を扇情的に強調し、深いスリットの入ったそのドレスは、彼女の人間離れした美しさを、さらに残酷なまでに際立たせている。
ゆっくりと。
黄金色に燃える、蛇の瞳孔が開かれた。
『――TS変身シーケンス、完了。大妖怪「白鐘の姫」、現世への完全顕現を確認しました』
図書室の暗闇が、彼女の視界に再び広がった。
だが、その景色は、男であった清春が見ていたものとは全く違っていた。
彼女の目には、空間に漂う熱、空気の淀み、そして生命の鼓動そのものが、色鮮やかな霊的データとして直接脳に流れ込んでくる。
視線の先。
壁際で震え、涙を流している八束綾の姿。
その細い身体からは、むせ返るほど甘く、芳醇な血の匂いが立ち昇り、彼女の魂からは、旧校舎の奥へと続く紫色の「因果の糸」が頼りなく伸びているのが、はっきりと見えた。
「……あぁ、なんて甘い匂い。……頭が、クラクラするわ」
姫の唇から、恍惚とした熱い吐息が漏れた。
自分の足元には、数秒前まで「自分だったもの(男の清春)」が流した、赤い血の跡が残っている。
それを一瞥し、姫はひどく退屈そうに、ふっと鼻で笑った。
「弱い男の血なんて、ひどく不味そうだこと。……やはり、私の舌を満足させられるのは、あそこで震えている極上の小動物だけのようね」
彼女の視線が、綾に群がろうとしていた吸精鬼の群れへと移る。
醜悪な泥の肉塊。
人間の負の感情の残滓。
そんなものが、自分が目をつけた獲物に、汚らわしい触手を巻きつけようとしている。
その事実を認識した瞬間。
姫の黄金色の瞳が、極限まで細く裂け、絶対的な『怒り』の色に染まった。
「……よくも。よくも、私の庭で、私の許可なく、私の獲物に触れようとしてくれたわね。……この、汚らわしい泥濘の蛆虫どもが」
ギリッ、と。
図書室の空間そのものが、彼女の放つ威圧感によって物理的に軋み声を上げた。
吸精鬼の群れが、ピタリと動きを止めた。
彼らには知性はない。ただ本能のままに精気を啜るだけの化け物だ。
しかし、その本能の最下層にある「根源的な恐怖」が、彼らの細胞のすべてに警告を発していた。
目の前に現れた存在は、自分たちとは次元が違う。
生態系の頂点。
触れれば消滅する、絶対的な死の象徴。
「ギ……、ヂ、ヂヂ……ッ」
先ほどまで獲物を前にして歓喜の声を上げていた化け物たちが、一斉に、怯えたような後退の挙動を見せた。
彼らの泥の体が、小刻みに震え始める。
それを見た姫は、極上の笑みを浮かべた。
真紅の唇が弧を描き、真っ白な頬がサディスティックな愉悦に染まる。
「怯えているの? ……いいわ。逃げるなら、存分に這いずり回って逃げ惑いなさい。……一歩でも動けたらの話だけれど」
カツン。
高いヒールの音が、静まり返った異界の図書室に、死の宣告のように響き渡った。
姫が、一歩、前に踏み出した。
その瞬間。
彼女の足元から、凄まじい冷気の波動が、波紋のように図書室全体へと広がっていった。
床の板張りが真っ白に凍りつき、書架が霜に覆われ、空気中の水分が氷の結晶となってダイヤモンドダストのようにキラキラと舞い散る。
事なかれ主義の男の自我は完全に封印され、今ここに、この世で最も恐ろしく、最も美しい『捕食者』が解き放たれた。
彼女の蹂躙が、始まる。




