呪詛【拾弐】
それから、穏やかに日々が過ぎ、秋になってもうすぐ冬が来る。本格的な冬になる前に、那子の姉・倭子は、藤壺の女御として内裏に戻った。もちろん、娘と息子を連れている。息子の方は親王宣下がなされた。藤壺の女御、もしくは王女御と呼ばれる倭子は、もう少ししたらそう呼べなくなるだろう。中宮として立后されるからだ。
茅子の方は今も五条邸で暮らしており、赤子の元気な泣き声が聞こえてくる。子がもう少し大きくなれば、内裏に顔を出すそうだ。茅子の子は女子だが、身分的に親王の相手によい。幼いころから交流を持たせるのかもしれない。
宇治重玄の件が片付いたが、那子は時嵩の東四条の邸ではなく、五条の実家にいた。那子は本当に身ごもっていて、そろそろ五か月くらいだ。妊婦にしては元気で、周囲を慌てさせたお転婆具合だった。見張る意味でも、人の多い五条邸の方が都合がよかった。
「妊婦と言うのは気分が悪くなるのものだと思っていたが」
時嵩の妻はとても元気だ。食欲が落ちるようなことはなかった。かといって太るわけでもないので、これはこれで大丈夫なのか心配になる。
「そういう人が多いようですけれど、人によるようですよ。どちらにしろ、そろそろ安定してくる時期だとお母様が言っていました」
けろりとした表情で那子は言う。母親からの助言をもらえるので、彼女にとってもこの環境はいいのだろう。
「早ければ胎動を感じるかもしれないそうですが」
「わかるか?」
「いいえ。腹は張っている気がしますけれど」
こてん、と首を傾げられる。那子の腹に手を当てるが、ふくらみなどはまだ感じられない。那子が何ともないのもあって、時嵩はまだ自分が父親になるのだと言う自覚が得られない。
「わたくしはたまに不安になることはありますよ」
と何の不安もなさそうに那子は言うのだが、彼女は周囲が思っているよりしっかり者なのだ。見た目に騙されてはいけない。口に出すと言うことは、本当に不安なことがあるのだろう。
「例えば?」
「ちゃんと産めるのかな、とか、わたくしが母親になれるのかな、とか。それから、霊力の強い女性が子を産んだ事例がほとんどありませんから、それも不安ですね」
いろいろあった。時嵩はどちらかと言えば、出産で那子が命を落とさないか不安だ。占も予知も、自分のことについてはかなり不安定だ。術師本人の思いが表に出てしまうかららしい。
生まれるのは年が明けてからだ。春の終わりか、夏に入るころだろうと言われている。楽しみな気もするし、不安な気もする。
相反する複雑な思いを抱えている中、星が落ちた。雪のちらつく寒い日、那子の父方の祖父にあたる葛城法皇が亡くなった。
「星がかげるとはこういうことか」
帝が感心したように言った。那子に指摘されて気づいたのだが、彼女の予言は「星が落ちる」とは言っていない。彼女は、「星を二つ落とした者が帰ってくる」と言ったのだ。思えば、これがあって時嵩は宇治重玄が先々帝と志子を呪殺したのだと思い込んだのだと思う。志子と相打ちになった術師と宇治重玄が組んでいたのなら、この予言も間違っていない。解釈次第だ、と言う話なのかもしれない。
「予言と言うより、注意せよ、という警告なのだそうです。五十鈴は星が落ちる、とは言っていません」
時嵩の言葉に、帝は驚愕の表情を浮かべた。
「そうなのか……だまされた気分だ」
「私もです。思い込みがありました」
帝から見て大伯父にあたる葛城法皇の逝去に伴い、帝は葬儀に使者を立てた。時嵩は本人が行く予定だ。時嵩から見ても伯父にあたるし、妻の祖父だ。葬儀の前に、内裏に寄ったのである。
「五十鈴は、主上の周囲に関することについて何も予知を行っていません。言うことでその未来が引き寄せられやすくなる、と思っているのかもしれません」
「なるほど。言霊か。斎宮の君も皇族の血を引く女王だからな」
皇族の人間は言霊の力が強い傾向がある。おそらく、霊力が強いものは、と言うことなのだと思う。
あいまいにしながらも警告を発する那子の予知。あえて逃げ道を作っているように見えるこの予知は相変わらず制御されていないし、身ごもった今でも時々発せられる。利用している時嵩が指摘できることではないので黙っている。
「斎宮の君の様子はどうだ。生まれるのは春ごろか」
唐突に話が変わって驚いたが、時嵩は「そうですね」とうなずいた。
「全くおとなしくしていないので、心配ですが」
「藤壺もそんなようなことを言っていたな。しかし、時嵩もそんなことを言うようになったんだな……」
一応甥にあたる年下の帝にしみじみと言われて、時嵩は思わず顔をしかめた。いや、時嵩に情緒がなかったことは認めるが。
「お前たち二人の子なら霊力が強いだろうな。私の子と娶せることを考えないか」
「さすがに血が近すぎましょう」
帝と時嵩と那子は全員、三代ほどさかのぼれば同じ血を引いている。いや、時嵩は二人よりひと世代ほど上だが、引いているものは同じだ。血が近すぎるのはよくない、と言われている。
「それもそうか。まあ、斎宮の君にもよろしく伝えてくれ」
多分、後宮内に入れる術師として、帝は那子を重宝しているのだろうな、と思った。仲の良い姉を守るためだ。那子も断らないだろうという予感がある。
「お帰りなさいませ」
那子の顔を見るとほっとした。葛城法皇の葬儀に出た後、しばらく物忌みとして潔斎し、五条邸に顔を出せたのは葬儀から五日ほどたった日のことだった。
「ああ……大事ないか?」
「ありませんよ」
ふふっと笑って那子は時嵩の側による。時嵩は那子の肩を抱いて座らせる。甘えたが加速している気がするが、周囲の女房たちによると身ごもっていることによる不安のせいではないか、と言うことなので好きにさせているのだ。
「何やら大変だったようですねぇ」
当然であるが、久柾も葬儀に参列しているので、大体の事情は聞いているのだろう。葛城法皇の葬儀中に遺体の入った棺が暴かれる、と言う騒ぎがあったのだ。
その場にいた陰陽師が立ち会ったが、どうも呪詛によるものではないかということだった。時崇は見ていないが、遺体は大きく欠損していたらしい。それを聞き、時崇は呪術を行使したことによる代償を思い浮かべた。志子と那子の霊力を考えれば、葛城法皇も高い霊力を持っていても不思議ではない。
死んだことでなにかの呪術の代償が発生したのではないかと思ったが、言うことはなく、喪主たる久柾がそのまま葬儀を進行させた。
思い浮かぶのは宇治重玄だ。死んだ時、何かの呪詛を放ったのではないか。葛城法皇はそれに対抗して呪術を行った、のか?
「だから言ったではありませんか」
那子の言葉に、時崇は彼女の顔を覗き込んだ。那子はいつも通りの口調で言う。
「新月の夜は気をつけよ、と」
葛城法皇の葬儀は、新月の日に行われていた。
那子のことは愛している。結婚することなどないだろうと思っていた自分が結婚し、子を授かることがあるなど想像もしていなかった。していなかったが、幸せだ、と感じる。
だが、ほぼ無自覚に繰り出される警告という名の予言にこれからも対処して行くのだと思うと、少し先行きが不安になる時崇だった。そしてやっぱり、身ごもっても予知能力は落ちていなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
一応、最終話です。微妙なところで終わりましたが…。
人物紹介をざっくり作ったのがあるので、それもそのうち投稿しようかなぁって思ってます。
お付き合いくださった皆様、ありがとうございました!




