呪詛【拾壱】
那子の寝顔を見つめているうちに、自分も眠ってしまったようだ。むにっと頬をつつかれる感触を覚えて目を開いた。
「あ、起きた」
横になったままの那子がいたずらっ子のような顔で笑っていた。時嵩の頬をつついたのは彼女だ。ぼんやりとしていた時嵩だが、おもむろに那子の体を抱き寄せた。
「よかった。心配した」
「ご心配をおかけいたしました」
那子からも抱きしめられる。しばらくそのまま抱き合っていたが、那子が身じろいだので少し腕を緩める。
「苦しかったか?」
すまない、と謝ると、那子は「いえ」と否定しながらゆっくりと上半身を起こす。
「そうではないのですが、えっと」
歯切れの悪い調子に、同じく身を起こした時嵩は「ああ」とうなずいた。
「身ごもっているのだったか。配慮が足りなかったな」
あまり強く抱きしめるわけにはいかないのだ。那子が驚きに目を見開く。
「え、どうしてご存じなのですか。確証はありませんし、誰にも言っていないのですけれど」
「浅葱に聞いた。もう少し厳密に言うと、女御様が気づいたようだが」
「お姉様……」
那子が呆然とつぶやく。那子自身にも確証がないのに、なぜ気づいたのかわからないらしい。時嵩にもわからない。
「後で聞いてみればいいのではないか」
「そうですね……」
むっと唇を突き出して、那子はうなずいた。次いでとん、と時嵩の肩に頭突きをした。子供のような振る舞いに時嵩は「どうした」と笑う。
「……多分、子ができました。ちゃんと見てもらっていないので、わかりませんけれど」
「そうか」
頭突きしてきた頭をゆっくりとなでる。この子供のような那子が、母親になるのか。
……いや、子供だと思っていたのは時嵩の方だ。那子はこれで、存外しっかり者である。彼女は時嵩に対して子供のように振る舞うが、それは甘えているだけなのだ。
「お前が眠りについたのは、腹の子を守るためか」
確認のためにたずねると、那子はこくりとうなずいた。本当に身ごもっているか、那子自身も懐疑的だったようだが、万が一のために対策を取ったようだ。
「わたくしだけでは宇治重玄には勝てないとわかっておりましたし、正面から対峙するのはまずいと思ったんですもの」
結果的に宮様にすべてお任せすることになってしまいましたが、と彼女は肩をすくめた。腕の中で顔を上げた那子の頬に口づける。
「それは構わん。結局、私も一人では勝てなかった」
あれは予期せぬ介入があったから、宇治重玄を捕らえられたに過ぎない。時嵩のみで解決しようと思えば、斎院御所ごと吹き飛ばすくらいしか方法がなかった。
「わたくしがいたからですよね。一緒に吹き飛ばしてしまえばよろしいのにとは言いませんけれど、足を引っ張ってしまいました」
無念、とばかりに那子が時嵩の肩に頬を擦り付ける。その頭を撫でながら、「私ももう少し呪術を学んでおくべきだったと反省した」と白状する。苦手だからと那子や久柾に任せていた術こそ必要だった。
二人とも反省したところで、時嵩はもう一つ尋ねた。
「話が戻るが、自発的に眠ったと言うことは、お前は宇治重玄が自分の前に現れるとわかっていたのか」
那子が眠りから覚めない、と連絡を受けたのは昨日の朝のことで、宇治重玄が五条邸に現れたのはその午後のことだ。那子は事前に察知していなければ自ら内にこもることができない。
尋ねられた那子は尋ねられたことで初めて気づいたようで、「あっ」と声を上げた。
「確かに、そのようですね……」
以前からそうだったが、相変わらず那子の予知能力は本人に認知されていない。意識を保ったままで、しかも会話も成立するようになっているので、能力自体は上がっていると思われるが、制御は今一つだ。
「お前の予知能力の制御も必要だな」
「子をはらんだことで、能力が落ち着いたりしませんかね」
「私と夫婦になった時点で霊力が落ちていないのなら、無理なのではないか」
「ですよね」
女性の術師が身ごもる事例はあまりないので断言はできないが、時嵩と結婚した時点で那子の能力が落ちたと言う事実はないので、これ以降もそんなことはないだろう。もしかしたら、子を腹で育てている期間、一時的に能力が下がる可能性はあるが、それはただの予測で、那子の予知に比べたら不確かすぎる。
きゅう、と音が聞こえた。那子の腹の音だったようで、「おなかがすきました」と時嵩に甘えながら訴える。時嵩は思わず苦笑する。元気そうで何よりだ。
「丸一日目を覚まさなかったからな。何かもらおう」
浅葱が控えていると言っていた。もう交代しているかもしれないが、女房の誰かがいるだろう。那子の頬に口づけると、時嵩は立ち上がった。
「斎院の女宮が厳密に言うと、自分と呪詛合戦をしたのは宇治重玄ではない、と言っていたのですが、心当たりはありますか」
那子が医師の診察を受けている間に、時嵩は久柾と顔を合わせていた。彼は宇治重玄が侵入したことで壊れた結界を修復していたので、手伝いながら話を聞く。
「姉上の? そう言えば以前、お前がお互いに呪詛返しを行った結果、呪詛が強くなりすぎて姉上が死んだのではないか、と言っていたな」
「言いましたね」
これに関しては、かなり事実に近いのではないかと思っている。那子は呪詛返しが得意なのだが、彼女が呪詛を返すと本来の威力より強力な結果が出ることが多い。彼女の霊力が強いため、返す時点で呪詛が強化されているのではないかと思うのだ。おそらく、志子も同じだっただろう。
「だとすれば、姉上と呪詛返しを返しあっていた術師は死んでいるのではないか?」
……確かに。状況を理解しているようでしていなかった。呪詛合戦で双方が死んだのであれば、宇治重玄が志子と呪いあった術師ではない。
「と言うことは、兄上を呪殺したのが宇治重玄、と言うことでしょうか」
「そうだろうな」
「……」
志子や時嵩の兄であった帝が亡くなった時、時嵩はまだ十代の少年だった、と言い訳はできるが、すでに元服を済ませた成人でもあった。気づけなかった自分に絶望する。あまり表情の変化がないと言われる時嵩だが、久柾は気づいたらしく、笑って時嵩の肩をたたいた。
「あまり気に病むな。今回は五十鈴を守ってくれただろう」
「……はい」
結局、那子を守ったのは志子だ。時嵩は何も守れていない。
「……斎院の女宮と呪詛しあったのは誰だったのでしょうか」
「さてな。それはお前の方がわかるんじゃないか」
つぶやかれた疑問に、久柾はそう言った。時嵩と宇治重玄が似ている、と言うことだろうか。わからない。そう思ったのだが、答えは那子から飛んできた。
「宇治重玄の大切な人だったのではないですか」
事件から数日たった夜のことだった。この頃の那子は、常に何か食べている気がする。今日は干した桃を食べていた。何かを食べていないと気持ち悪くなってくるらしい。
「親とか、兄弟とか、恋人とか。本人に聞いてみればいいではありませんか」
宇治重玄が捕らえられたことを知っている那子はそう言うが、それはもはや不可能だ。宇治重玄は獄中で死んでいた。呪詛による自殺だと思われた。
「……それで、なぜ兄上を呪殺し、私を狙うんだ」
胡坐に頬杖を突き、時嵩は尋ねる。那子は「何故でしょうね」と首をかしげる。また、彼女の予知能力の一部が発揮されている気がする。過去視の能力はなかったはずだが。
「そもそも先々代を呪殺する依頼を受けたのではありませんか。伯母様と呪いあった術師が失敗し、宇治重玄が先々帝を呪殺した」
「……あり得るな」
志子と相打ちになった術師と、宇治重玄が同じ依頼を受けていたと言う可能性もある。だが、もう調べようがない。時嵩はため息をついて那子を抱き寄せた。
「どうしたのですか」
「……」
「宮様、時々こういうことしますよね」
那子はわかりやすく時嵩に甘えてくるが、自分も那子に甘えている自覚のある時嵩だ。
もしかしたら。もしかしたら、那子の言うように、宇治重玄はあの時、大切な人を亡くしたのかもしれない。それを恨んで、こんな騒動を起こしたのだろうか。逆恨みであるが。時嵩も、那子を失えば恨むかもしれない。この世を。
もう誰にも理由はわからない。時嵩は頬を那子の頭に押し付け、目を閉じた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
あと一話ですかね。蛇足ですけど…。




