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呪詛【玖】







 五条邸で馬を借り、賀茂の斎院の居住地である紫野に向かう。那子の二条邸も五条から少し離れているが、紫野はさらに向こうだ。


 時嵩が那子が目覚めなくなった報を聞いたのは朝だったが、すでに昼を回り夕刻に近い。日暮れは逢魔が時だ。那子が眠り続けたままなら危険かもしれない。いや、さらわれているだけで危険か。


 西日を浴びながら紫野にある斎院御所を見上げる。二条邸でも思ったが、すでに結界が張られている正常な場所は、入り込めればこれ以上ない隠れ場所になる。


 斎院御所。大きな屋敷ではあるが、華美ではない。ただ、皇族の女性が暮らすことになるので、品の良い上質なたたずまいだ。那子によると、斎宮、つまり伊勢の斎王の御所はもっと質素だと言っていた。


 時嵩は正面から足を踏み入れた。どこから入ろうとも、時嵩が尋ねてきたことは察しているはずだ。なら、時嵩は真正面から踏み込む。


 門をくぐり、周囲を見渡す。御所とはいえ、一般的な寝殿造りに近い。時嵩の育ての親が賀茂の斎院だったので、彼にもなじみのある場所である。尤も、彼が訪れていたのは元服する前までのことだ。


 しん、と静けさが漂う。家人が眠らされていた五条邸の様子に似ている。導かれるように、時嵩はまっすぐ母屋を目指した。知覚能力の低い時嵩でも、罠に飛び込んでいることがわかるので、警戒しつつ進む。


「五十鈴」


 母屋の奥に那子は寝かされていた。案外丁重に扱われたようで、床にそのまま寝かされているものの,上に袿をかけられている。思わず駆け寄るが、結界で阻まれた。触れるとびりりとしびれる。


「それ以上は近づけませんよ」


 さすがに声が聞こえる前に気づいていた。奥から出てきた男を見て、時嵩は目を細めた。三十歳前後の細面の男性だ。濃い色合いの狩衣をまとっており、以前久柾の五条邸の前で目撃した術師と同一人物と思われた。


「宇治重玄か」

「ええ。お久しぶり、でいいのでしょうかね」


 初めまして、ではない。以前に顔を合わせたことがある。そのとき彼は、時嵩を見て即座に逃げたが、今回は待ち構えていた。


「……斎院御所の留守居役はどうした」


 斎院がおらずとも、留守居役がいたはずだ。ここまで、時嵩は誰にも会っていない。


「殺してはいませんよ」


 薄ら笑いを浮かべながら宇治重玄は言う。時嵩はひとまず言い争うのはやめ、宇治重玄に問う。


「五十鈴をかどわかし、何をしたいんだ、お前は」

「前斎宮(さきのさいぐう)の君に興味があるのは事実です。霊力の強い子を生むでしょうから」


 宇治重玄は結界の内にいる那子を眺めながら言った。それも事実のようだ。


「何より、あなたの大事な人でしょう。藍宮時嵩親王」


 空気が揺れている。宇治重玄は時嵩のような大きな術ではなく、他に干渉するような術が得意なのだろう。もしかしたら、那子を囲む結界は那子自身が張ったものかもしれない。彼女が自ら眠りについたのは、己の精神防御のためだ。


「お前は、私に何の用なんだ」


 面識はないはずだ。こうして面と向かっていても、顔に見覚えがない。だが、彼は斎院の女宮を呪殺した男だ。関連があるとしたら、それくらいだが。


「用、と言うほどではありませんが」


 淡々と言葉を紡ぐ宇治重玄は、続けて言った。


「私があなたよりも強いと言うことを証明したいんですよ」


 とっさに身をひねった。避けきれず、左手につけていたお守りの勾玉が砕けた。那子が力を込めたものだが、さすがに持たなかったようだ。お守りを手首から外し、印を組むが術を放てない。時嵩の術は、威力が強すぎる。側にいる那子を結界ごと吹き飛ばす可能性がある。もちろん、宇治重玄はそれをわかってこの場を離れないのだ。


「禁縛!」


 時嵩の捕縛の術は、宇治重玄にいなされた。普段那子や陰陽師に頼っている弊害だ。もう少し訓練しよう。まあ、今生き残れればだが。


「斬!」


 ためらっている場合ではないので、攻撃を放つがそれが那子を囲む結界に触れてひるむ。宇治重玄はそこら辺をためらわないので、ここに差が出てくる。


 落ち着け。時嵩が負ければ、那子も後がない。結界もいつまで持つかわからない。


 もう一つ勾玉がはじける。このままでは先に身を守る呪具が尽きる。だが、宇治重玄も本質は術師だ。この近い距離での争いに慣れているわけではないだろう。刀を持ってくるべきだった。


 ついに呪詛が時嵩の左腕を縛り上げる。だが、同時に時嵩の捕縛の術も宇治重玄の動きを止めた。膠着状態になる。霊力が先に尽きた方が倒れるが、その前に時嵩の左腕が折れる気がする。


 一瞬、意識が遠のく。ダメだ。ここで気を失うわけにはいかない。


 だが、その思いもむなしく、時嵩はその場で気を失った。







「臘月。起きなさい」


 呼びかけられて、はっと目を覚ました。顔をのぞき込んでくるろうたけた女性は見覚えがある。


「は?」

「なんです?」


 まじまじと見つめられて、女性は気難しそうに眉を顰める。そうだ。優しく聡明な女性だったが、少し神経質で気難しいところがあった。


「……私は死んだのでしょうか」

「死んでいません。膠着状態だったので、双方の意識を刈り取らせていただきました」


 ほら、と示される方を見ると、宇治重玄が伸びていた。いよいよ訳が分からない。


「……私の妄想の中、と言うわけでもないのですよね、賀茂の斎院」

「もちろん違います。五十鈴の夢渡の能力を拝借しました」


 賀茂の斎院、斎院の女宮、帝の呪術的な影。時嵩の育ての親、かつての賀茂の斎院で呪殺された志子が、殺されたときの外見のままそこにいた。亡くなった時四十五歳前後だったと思われる。その瞳は、時嵩と同じく透き通るような碧眼だ。


 夢はあの世とこの世の境。現世と幽世を行き来する。だから、志子の意識がここにあってもおかしくないのかもしれない。


「あなたたちが斎院御所まで来てくれて助かりました。そうでなければ手が出せませんから」


 お前たちには宇治重玄の相手は難しいでしょうから、と志子。能力的には彼女や宇治重玄と大差ないと思うのだが。


 顔に出ていたのか、志子は首を左右に振った。


「そうではありません。お前は五十鈴を守りたいのでしょう。すべてを振り捨ててここにいる宇治重玄には、目の前に五十鈴のいるお前が勝つのは難しいでしょう」


 気が逸れるからだろうか。ひとまずそれで納得しておく。


「……五十鈴の夢渡の能力を使っていると言いましたね。彼女に影響はないのですか?」

「今のところ、大丈夫でしょう。お前たちの意識を刈り取るのに、少し力を借りただけですから」


 眠っているのも、脅威が去れば自動的に目が覚めるらしい。時嵩は息を吐いた。


「五十鈴は精神干渉の能力があるのですね」

「ええ。わたくしはそれに気づいて、五十鈴の力の一部を封じていました。お前と夫婦になり、精神的に落ち着いているのでもう暴走することはないでしょう」


 もしかして、那子の予知能力が上昇している気がしたのは、それが原因か? 精神的に落ち着いて、精度が上がっているのかもしれない。


「……五十鈴は言いました。星が落ちる、と」


 那子の予言は当たる。だが、志子は肩をすくめた。


「わたくしにはわかりかねるわ。けれど、星が内裏におわす方とは限らないのではないかしら」

「それは」


 言いかけて、時嵩は口をつぐんだ。てっきり今上帝のことだと思ったが、そうだ。退位してまだ生きているかつての帝もいる。志子の父で、那子の祖父にあたる葛城(かつらぎ)法皇。異母弟、つまり時嵩の父に禅譲し、今は出家している。


「五十鈴の予言は帰ることはできない、方向性を変えることは可能だと思います。物事に絶対はないのですよ」


 そう言って志子はわずかに微笑むと、時嵩に「そろそろ目覚めのころですよ」と声をかけた。


「斎院、待ってください。宇治重玄の狙いは何だったのですか。あなたはどうして亡くなったのですか」

「目にした通りですよ。わたくしは当時の帝に向けられた呪詛を代わりに受け、死にました。わたくしを呪殺したのは、厳密に言うと宇治重玄ではないのですよ」

「は? 待ってください!」


 うっすらと透き通っていく志子を見て、時嵩は叫んだ。志子は軽く手を振り、「あの子をよろしくね」といつかと同じことを言った。それはもちろんであるが、それよりも意味深なことを言い残さないでほしい。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


だってたぶん、時嵩だけでは勝てないんです…!


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