呪詛【漆】
止められないと思ったのだろう。久柾は時嵩を送り出した。さすがに一人ではなく、従者が一緒だが。従者はついてくるのが嫌そうである。
二条の那子の邸は、彼女が伊勢から戻ってきた際に今上帝が贈ったものである。内裏に近いが主要道から外れているため、思ったよりは人通りが少ない。
まだ那子が二条邸にいたころ、通い詰めたことがあったな、と思い出す。あれはかなり目立っていたに違いない。
門をくぐると、邸には人気がない。もう一年以上誰も住んでいないのだ。
「誰ぞ、いるか」
中に向かって声をかけると、庭を回って下男がかけてきた。
「これは、藍宮様」
中年の男性は二条邸を管理している安吉と呼ばれている男だ。那子はあまり人を置いていなかったので、時嵩も見覚えがある。
「北に代わって様子を見に来た。変わったことなどはないか?」
家主である那子の夫なので、時嵩がこう問いかけても問題ない。安吉は苦笑気味に「自分たちは何も」と首を左右に振る。
「ただ、藍宮様がいらっしゃったのなら、何かあったのかと察する程度でございます」
「……」
さすがに那子の邸の家人だ。訓練されている。図太いし、自分たちが何も感じなくても那子や時嵩が動けば何かあるのだと察している。
「ああ、そう言えば、何度か若い殿方が訪ねてまいりました」
姫様は不在だということでお引き取りいただいたのですが、と安吉は言う。母屋の簀子縁に腰掛けた時嵩ははっとする。
「若いと言うと、二十代くらいか」
「そうでございますね……藍宮様とそれほど変わらない年頃に見えました」
だとすると、二十代半ばから後半と言ったところだ。若いという定義に当てはまるかはともかく、年齢は宇治重玄と一致する。彼は齢三十前後のはずだ。
「……最近、いつ尋ねてきた?」
「三日ほど前でしょうか……心当たりが?」
名を聞いておけばよかった、と安吉は言うが、聞いたところで本名を言わなかっただろう。一応、播磨と名乗っていたらしいが。
「少し確認したいことがある。一人にしてくれ」
連れてきた従者も置いて、時嵩は屋敷の中を改める。二条邸は立派だが、さほど広くはない。母屋と北と西に対屋があり、その先に釣り殿がある。庭に池はあるが広くはなく、人工の川を通してあった。まあ、十五歳の娘が管理するにはそんなものだろう。
那子が用心深く結界を張った二条邸は清浄な空気に満ちている。時嵩が斎院の女宮から譲り受けた東四条邸ほどではないが、空気が澄んでいるのがわかる。
だから、わかった。
「ここか」
北対だ。那子が暮らしているときはほとんど使われていなかっただろう対屋。ここの結界は、那子の霊力ではない。柱を見上げると呪符が貼ってある。このやり方も、那子のものではない。
時嵩は周囲を一応確認すると、呪符を引きはがした。結界はほどかれる。通常、こんなに簡単に結界は崩壊しないものだが、霊力に差があった。
ここにいるのは宇治重玄ではないのかもしれない。そう思った時、視界の端で何かが動いた。
「禁!」
初歩的な緊縛の術でそれをとらえた。悲鳴があがったが、男の声だった。見に行くと、狩衣姿の男が術に捕らわれても無理やり動こうとしたのだろう。床に転がっていた。宇治重玄ではないが、見たことがある。
「お前、右大臣のところに出入りしていた術師だな」
占が得意だ、と言われていた術師だ。遠目に見ただけだが、間違いない。黒髪が多い京の都において、明るい茶色の髪をしていたので印象に残っていたのだ。大陸との混血なのかもしれない。
「宇佐、と呼ばれていたか」
宇佐神宮の摂末社に仕えていた祝だという噂を聞いた。それが本当なら、那子と同系統の術を持つと思われるが。
「騙りだな」
一目見て時嵩はそう判断した。もしかしたら、那子は事前にわかっていたのかもしれない。同じような力を持つと言われるからこそ、察していたかもしれない。思えば、那子はあまり彼を気にしていなかった。
「か、騙りではない! 本当に……!」
「それを斎宮の前で言えるか」
この場合の斎宮は那子のことだ。ぴしゃりとした時嵩の言葉に、蓑虫のようになった宇佐は黙り込む。神道の関係者なら、先代の伊勢の斎宮が本物の能力者だと知っているはずだ。
「お前はどうしてここにいる。宇治重玄とはどういう関係だ」
二条邸は那子が閉ざしている場所だ。わざわざ入り込むのは何か理由があるはずだ。
「答えろ」
「た、頼まれたんだ!」
少し圧をかけると、宇佐はペラペラとしゃべりだした。曰く、右大臣に近づき信用を得、内裏に入り込めと言われた。自分にはそれほど術者としての才能はなかったが、占が得意なふりをした。尤も、これは依頼をした術師に言われた通りに言っただけだそうだ。
ここへ来たのはやはりそう言われたからだそうだ。結界をすり抜け、中に入ったのは昨日のこと。そのままここでしばらく過ごせ、と言われたそうだ。
那子は自分の結界が書き換えられたことを察して自分を閉ざしたのだろうか。
「お前にそれを頼んだのは誰だ。なんと名乗っていた? 姿は?」
「名は聞いていない。三十前後くらいの細面の男だ」
容姿の特徴は宇治重玄と一致するが、確定はできない。とにかく、この宇佐がおとりに使われて時嵩がまんまと誘い出されたのは確かだ。
時嵩は乱暴に宇佐を気絶させると、縛り上げて安吉を呼んだ。
「こ、この方です。訪ねてきたのは!」
「侵入者だ。恐れ多くも女王の所有する邸に忍び込んだのだからな」
やはりか、と思いながら時嵩は口早に命じる。
「術で拘束してある。このままここで見張っていてくれ」
見張りに式を残しておきたいが、残念ながら時嵩はその手のことは不得手だ。
安吉はあたふためきながらもうなずいた。どちらにしろ、彼は時嵩の頼みを断ることはできないのだが。
時嵩はと言うと、来た道を戻ることになった。従者が無言で五条邸へ戻ろうとする時嵩に聞きたそうな顔をしているが、そんな場合ではない。
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ちょっと短めですがここで。
宇佐と名乗っていた男は術師ではありません。




