呪詛【伍】
時嵩が帝に対面すると、すでに倭子が皇子を産んだことが伝わっていた。昼御座で対面した帝は機嫌がよかった。
「遅かったな、時嵩。朝一で駆け込んでくると思っていた」
「妻にすぐに生まれるから、と止められました」
那子に言われなければ、時嵩は帝の言うように朝一番で駆け込んでいたと思う。
「へえ。さすがは斎宮の君。吾子の様子は見てきたか?」
「私は見ていません。妻によると、元気だったそうですが」
那子は一度、赤子に魔除けの呪いをするために顔を見に行っている。元気に泣いていたそうだ。
「そうか……」
帝は満足そうにうなずいた。女御の中で一番身分の高い倭子が産んだ皇子だ。大体の面倒ごとは避けられる。後ろ盾としては左大臣の方が上かもしれないが、何しろ弾正尹宮・久柾は人望がある。彼が亡くなった後も、異母妹の那子がいる。彼女の夫は時嵩だ。後ろ盾として無視できない。
帝の様子を見ると、時嵩が那子に語った予想は大きく外れていないのではないかと思われる。今は神事を行える皇后が不在だ。その代わりを、一部那子が担っていることを、彼女本人は気づいていただろうか。
清涼殿から下がり、中には入らなかったが後宮の様子をうかがう。弘徽殿は主が不在のためひっそりとしていて、後宮全体も落ち着いているように見えた。いつもなら麗景殿がにぎやかなのだが、張り合う相手がいないからだろう。落ち着いている。宣耀殿はいつでも控えめだ。
ここに、もう一人女御が入内すれば、また勢力図が変わるのだろうか。
中務省に顔を出してから戻ろうと思い、身をひるがえしたとき、見られている、と感じた。感知能力の低い時嵩にとっては珍しいことだ。ばっと振り返る。方向的に、後宮の方だ。弘徽殿は除外し、それ以外のどこかの殿舎。
「……」
時嵩は霊視能力が高いが、万能の千里眼と言うわけではない。特に、対象がどこにいるのかわからなければなかなか見ることができない。とはいえ、この世ならざるものを見る力としては、当代最も強力な目を持っていると言える。
よどんでいると言うほどではないが、見えない部分がある。悪影響を与えるほどではないが、勘のいいひとなら気づくかもしれない。尚侍の君あたりに聞いてみようか。
「宮様、何してるんですか」
よほど動きが怪しかったのだろうか。背後から声をかけられた。頭中将、通称薫だった。
「薫か。すまない、怪しかったな」
「ちょっと挙動不審でしたね」
薫は後宮の方からやってきた。仮にも親王に対して遠慮がないが、時嵩は気にしないし、薫も時嵩が気にしないと知っている。
「前にもこんなことがありましたね」
「ああ……」
薫に言われてうなずいた。あれから、もう一年以上たっている。時嵩が伊勢帰りの那子と再会した、内裏での怪異。妹のように思っていたはずの那子が妻になるとは、あのころは思っていなかった。
「そう言えば、斎宮の君様から文が届いたようで、妻が喜んでいました」
薫に言われ、時嵩は「ああ」とうなずいた。姉と妹の出産が重なり、何かと忙しくしていた那子だが、ちゃんと薫の妻の女一宮に文を出したようだ。
「そちらも忙しかったでしょうに」
「嫌味か?」
「まさか」
左大臣の息子である薫に言われると、嫌味に聞こえてしまう。彼の妹は麗景殿の女御だ。彼女にはまだ子はいない。
「嫌ですねぇ。ただの事実ですよ」
なんだろう。薫が言うとなんとなくうさん臭く聞こえる。時嵩としては彼が割と公正な人間であると知っている。
「気になさっているのは、右大臣の大姫のことですか?」
「ああ……まあ」
気にならないわけではないが、そちらではない。だが、右大臣の大姫が入内すれば、何らかの動きがあるかもしれないな、とも思う。もちろん、宇治重玄の、と言う意味だ。
「……左大臣は静観しているのか?」
「表向きは。右大臣の大姫はまだ十二歳ですからね」
「……」
いや、裳着を済ませているので大人の女性とみなされるが、それにしても幼い。那子などは伊勢にいる時分に裳着を済ませているが、十四歳だったそうだ。あまり幼くては子も産めない。左大臣の娘の麗景殿の女御は那子と変わらないくらいの年のはずだ。今すぐ左大臣が焦ることはないのかもしれない。ほかの娘を入内させるにも、いろいろと準備や根回しが必要だ。
もう十日もすれば、右大臣の大姫が入内する。やはり、登華殿に入ることになりそうだ。弘徽殿を賜っていた倭子は、藤壺こと飛香舎に移る。そのまま立后となるだろう。
そして、那子は言った。新月に気を付けよと。もう半月もすれば新月だ。那子の見立てが正しければ、半月以内に事は起こる。そして、彼女の無意識の予言はおおよそ外れない。
中務省に顔を出せば、右大臣の大姫の入内の準備が進んでいることがわかる。親王である時嵩が口をはさむわけにはいかないので、この件に関しては触れてこなかったが、華やかな入内になるだろうな、と思った。
五条の邸は今にぎやかだ。赤子が二人もいる。夜もにぎやかで、時嵩は慣れない。それを見て那子はくすくすと笑う。
「東四条にお戻りになります?」
「……お前が一緒に来るのなら」
「わたくしはお姉様が内裏にお戻りになるまでは離れるつもりはございません」
「だろうな」
時嵩も本気ではない。少なくともこの半月ほどは危険だ。この邸にいる限りは安全だとは思うが……。
「っと、大丈夫か?」
那子が時嵩にもたれかかるように肩に顔を伏せている。顔色が悪く、ぐったりしていて、時嵩は支えるように那子の肩を抱いた。
「大丈夫……ではないかもしれません。少しだるいです」
「暑気あたりか?」
まだ本格的な夏ではないが、暑くなってきた気候に体がついて行っていないのかもしれない。
「そう……でしょうか」
時嵩は医者ではないのでよくわからないが、可能性の話だ。とりあえず横になるか、と聞いたが那子は首を左右に振った。甘えるように時嵩の腕に抱き着いてくる。時嵩は小さな頭をそっと撫でた。
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今回は短め。




