呪詛【参】
あれだけ騒がしかった邸の中も、今は落ち着いている。いつの間にか、夜半に差し掛かっていた。那子がぐっと伸びをする。
「疲れました……わたくし、何もしていないんですけど」
「気疲れだな。お疲れ様」
「はい」
にこりと微笑む那子が甘えるように体を寄せてくる。時嵩も抱き寄せてその黒髪をすくように頭をなでた。那子がくすぐったそうにふふっと笑う。
「そう言えば、大内裏で薫に会ったのだが、北の方がお前からの文を楽しみにしているそうだ」
実際に頭中将が言っていたことと少し違うが、突き詰めるとそう言うことだと思う。どちらにしろ、結果は変わらない。
「まあ。言われてみれば、このごろ筆不精をしておりました。今度、文をしたためましょう」
当たり障りのない内容が難しいんですよねぇ、と那子。楽しみにしている、などと言われれば、那子は文を書く。だが、那子が文に書ける内容がない、と言うのもわかる。女御と同じ邸に住んでいる以上、話せないことがたくさんある。彼女自身が呪詛に対応していたのだから、忙しくもあっただろう。
「……思うのだが、那子」
「はい」
生真面目にうなずいた那子に、時嵩は自分の考えを語った。
「お前は弘徽殿の女御に向けられた呪詛を返しただろう」
「そうですね」
こくりとうなずかれる。そんなことを尋ねられ、那子は少し不思議そうにしている。彼女からすれば当然のことを言われたといった心地だろう。
「呪詛返しは、返した術師の力量にもよるが、元の呪詛よりも力が上乗せされることが多い」
「ああ……呪詛を返せる、と言うことは呪詛した術者よりも霊力が強い、と言うことですからね」
一応の納得を示して那子がうなずく。それから、首をかしげて時嵩を見上げた。
「どうなさったのですか?」
「……斎院の女宮も、同じだったのではないかと思った。呪詛返しを繰り返し、最後には収拾がつかなくなったのではないか?」
言うと、那子は驚いたように少し目を見開いた。
「ありえなくはない、と思います」
収拾がつかなくなり、志子が呪詛を受け止めることで終わらせた。賀茂の斎院であった志子は、時の帝の呪術的な形代だった。当然、時の帝、つまり時嵩の父にあたるが、この人と相談したはずだ。志子が呪詛を受け止めて呪殺されれば、術師に隙ができる。その隙を狙って術師をとらえようと考えるだろう。志子には協力者が必要だ。これを、当時十代半ばの時嵩に任せようとは思わないだろう。
「……ありえなくはありませんが、わたくしたちの予測の域を出ません。当事者は全員、亡くなっているのですもの」
厳密に言うと、呪詛した術師である宇治重玄は生きているが、こちら側の当事者がいない。話を聞くことができない。那子の言う通り、予測の域を出ないのだ。
「もしかしたらおじい様がなんかご存じかもしれませんが……」
「ああ……」
那子の父方の祖父は法皇である。時嵩の父の異母兄にあたり、時嵩の父に禅譲していた。那子の祖父は生きているが、時嵩の父は崩御している。志子が呪殺されたことで盾を失い、同じく呪殺されたのだと思われた。
時嵩の予想通り、志子があえて呪詛を受けたのだとしたら少し話しは変わってくるが、那子の言う通り予想の域を出ない。那子の祖父の法皇も詳しいことは知らないだろう。
とにかく、だ。那子は『子が生まれるころ』と言った。その『子』が誰の子かわからないが、今日茅子の子が生まれ、もうすぐ倭子の子も産まれる。用心するに越したことはない。
「宮様。気を張りすぎないでくださいね」
時嵩の頬に触れながら那子は言った。そんなに顔がこわばっていただろうか。小さな手を捕まえて口づける。
「子が生まれるころと申しましても、赤子が直接の原因ではないのですよ」
手を捕まえたまま、時嵩は那子の顔を覗き込んだ。暗い中では暗色に見える青灰色の瞳が時嵩を見据えていた。今のは。
「宇治重玄が活動を再開するのは、子が生まれるためではない、と言うことか」
「たまたま、時期が同じころなのですよ。ですから、皆、要因がわからなくなるのです」
混同していると言うことか。あり得る話だ。子が生まれることはきっかけではない。つまり、茅子の子か倭子の子か。これは関係がないのだ。別の要因がある。
そして、相変わらずの予知だ。普通に会話ができているが、那子に知りようがないはずのことを述べている。漠然としているので、占の方が近いのかもしれないが。
「宇治重玄の狙いは、厳密に言うとわたくしではありません。あなたです」
これははっきりと告げられた。まじまじと那子の顔を見つめる。子供から大人になった、その顔。
「私か」
「藍宮時嵩様です」
那子が言うのなら、そうなのだろう。てっきり彼女が狙いだと思っていた。いや、たぶんそれは間違いではない。彼女の産む子は、きっと霊力が高い。
「何故私が狙われるんだ?」
「……」
これには回答がなかった。那子が答えられることと答えられないことがあるのだが、その差がわからない。おそらく、人の心情のようなことは答えられないのだと思うが……。
時嵩は息を吐き、彼女の小さな肩に額を押し付けた。
「すまん。困らせることを聞いた」
「いえ……」
こてん、と頭同士をぶつけるように那子が首をかしげる。
理由だとか、そんなのはどうでもいい。いや、どうでもよくはないが、時期は『子が生まれるころ』で間違いないのだ。茅子の子が生まれ、倭子の子が生まれようとしている今、警戒するに越したことはない。少なくとも、年末に宇治重玄に打撃を与えてから半年以上が経っている。あちらも体勢を立て直しているだろう。
翌朝、時嵩は機嫌のよい久柾に礼を言われた。何のことかと思えば鳴弦の話だった。大したことではない。
「弘徽殿の女御様の時にもやりますよ」
「そうだな」
どちらか一方だけ、と言う風にはいかない。まあ、間に合わなかったら仕方がないが……。
一度東四条の自邸に戻り、呪具を取り出す。那子は姉妹を守ることに熱心だが、自分の守りについては無頓着なのだ。本人が結界術を得意とするのも理由の一つだろうが、一般的に、お守りは他人からもらった方がよく効く。
時嵩の立場では、そんなに頻繁に大内裏に出仕しないものだが、彼は定期的に帝の元へ顔を出している。特に今は弘徽殿の女御が時嵩の妻の家に宿下がりしているので、親王としては珍しいくらい顔を見せに行っている。
「三の姫の子は無事に生まれたそうだな」
「耳が早いですね」
昼御座に顔を出すと、帝はだしぬけにそう言った。どこから聞いたのか、耳が早い。次は倭子だ。
「右大臣が、弘徽殿の出産に娘の入内をぶつけようとしているようだ」
「それは無理筋というものでは」
いつ産気づくかはわからない。茅子だって、本来ならもう少し早く産むはずだった。
「それが、腕のいい術師を雇っているようだ。以前から出入りしている者だと思うか?」
そう尋ねられ、時嵩は返答に困った。今ここに、那子が欲しい。彼女の予知能力は多用すべきではないと思っているが、こういう時的確な回答をくれる。
どちらとも言えないところだ。那子の予知によるとそろそろ宇治重玄が活動を開始している。右大臣は以前、彼を使っていたが、今回の術師もそうだと決めつけるのは早計だ。
「……それはわかりませんが。占が得意なのでしょうか」
「星読みが得意だと聞いたな。良い日が『たまたま』重なるそうだ」
「それが事実なら、弘徽殿の女御様もよき日にご出産なさると言うことですね」
時嵩が何気なく言うと帝が「おっ」と声をあげて目を見開いた。
「なるほど。そう言えばいいんだな。機会があったらそう言おう」
さすがに直接帝に言うような者はいないだろうが、心持は違うかもしれない。と思っておく。
「斎宮の君も占が得意ではなかったか?」
何気なく帝が尋ねた。確かに彼女は占術が得意だ。少なくとも時嵩よりは当たる。だが、彼女の占の才能は予知能力から来ているのではないか、と思った。
「そうですね。ですが、そこまで詳しいことはわからないと思いますよ。陰陽寮に占わせた方がよいかと」
那子はどちらかと言うと結界術に重きを置いている。細かいところまで占うとなると、陰陽寮にも問い合わせた方がよい。陰陽寮としても那子ばかり頼られると面目が立たないだろう。
まあ、五条邸に戻ったら聞いてみよう。首を傾げられる可能性もあるが。彼女はまだ、自分の能力を把握できていない。どちらにせよ、相談はしなければならない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
別に意識してなかったんですけど、五条邸って書くと、呪術〇戦の最強の先生の家みたいだな…。ただ、五条通にあるお邸って意味なんですけどね…。




