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#70 講義室での決戦—弐—

 肌を刺すような冷たい雪が降っていたあの日——


 刀を構えた大輝はフォトの懐へと走り込んだ。


「いいよ、大ちゃんになら」



「……大ちゃん?」


 除霊される覚悟で目を閉じていたフォトはゆっくりと目を開けた。大輝は自分の目の前で、斬りかかる直前に静止していた。


「やっぱり……やっぱり俺にはできねぇよ」


 大輝が腰を屈めた格好から姿勢を正すと、彼の手から刀の神器は消えていった。


「一緒に逃げよう。桃子」


 そう言って大輝はフォト——桃子に向かって優しく笑いかけた。


「でも……大ちゃんは大丈夫なの?」


「わからねぇ。遠くに行かなけりゃならねーし、最初は大変な思いをすることになるかもしれねー。だけど、桃子と一緒になら、なんとかなると思うんだ」


「全く、またテキトー言って! ばか」


 そう言って桃子が大輝の脇腹をど突いた。


「痛って、何すんだよ!」


 大輝が桃子を見ると彼女の目には涙が溜まっていた。それを見た大輝が頭を掻く。


「あっ、大ちゃんって呼び方。生前のこと思い出したのか? いつから?」


「ちょっと前から」


「なんで教えてくれなかったんだよ」


「大ちゃん、近頃何か思い悩んでるようだったから。言ったら困らせちゃうかなーと思って」


「ったく、変に気使わなくていいんだよ。……それで、一緒に逃げてくれるか?」


 大輝が桃子の目の前に手を差し出す。


「はい」


 桃子はその手をとり、しっかりと握った。とても冷たいはずの手がなんだか暖かく感じる。


「いつになるかはわからねぇ、だけどちゃんと挙げような、結婚式」


「うん。絶


 ドスン!!


 大輝に握られた手を残して、桃子の体は一瞬にして消えていった。


「は?」


 大輝に握られたままの冷たい手も徐々に消えていく。

 大輝の目の前には棍棒の神器を振り下ろした女が一人。そして、さっきまで桃子だった霊魂が一つ。


「大輝くん! 大丈夫だった!?」


「え、な、なんで……なん、なんで……だって、あ、あれあれ、あ、、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 目の前で起こったことを理解した大輝は叫んだ。

 消えてしまった。除霊されてしまった。しかも、他人の女に。そうなるくらいなら早くに自分が除霊しておけばよかった。どうして逃げようなんて考えたんだろう。どうして逃げられると思ったんだろう。どうして、どうして、どうして、どうして。


「ああああああああああああああああ!!!!!!」


 パチン!


「しっかりしなさい!」


 叫び続ける大輝のことを、棍棒の神器を持った女、美玲が平手打ちした。驚いた大輝は目を丸くして叫ぶのをやめた。

 美玲はカプセルを取り出すと、目の前の霊魂をカプセルに入れてそれを大輝に手渡した。


「いい? 彼女のことはあなたが除霊したの。そういうことにしておきなさい。幽霊はね、除霊しなければいけないの。たとえそれが大切な人だったとしても。私たちの使命は一般市民を守ること。生者を守ることなんだよ。だから、あなたはしっかりと使命を全うしなさい。わかった?」


 そう言うと美玲は少し背伸びをして大輝に静かに口付けをした。


「それじゃあ、戻ろうか……大輝くん?」


 大輝は顔を俯かせたまま一歩も動かなかった。


「大輝くん……ごめんね、それじゃあ私先に戻るね。何かあったら私を頼ってもいいんだよ。あなたには私がずっとついていてあげるからね」


 美玲はそう言い残して行ってしまった。


「おえぇぇぇっ」


 気持ちが悪い。

 大輝はその場にしゃがみ込んで嗚咽した。桃子の手が消えていく感触、他人の女の唇が触れる感触、肌に当たって溶けていく雪の感触、全てが気持ち悪い。

 幽霊は危険だから一般市民の安全のために除霊しなければならない。使命を全うしなければならない。仕方がない。これは仕方がないことなんだ。

 大輝はそう自分に言い聞かせて立ち上がった。喪失感と虚無感に押しつぶされそうになりながらも自分に言い聞かせた。

 ……誰かがこちらに向かってくる足音がする。


「はあ、はあ、大輝、フォトは…………!」


 



「何度も自分に言い聞かせたさ。仕方のないことだ、これが正しいことだったんだって……。その決心を今更揺さぶらないでくれよ。でないと……でないと俺の心はもうどうにかなってしまいそうなんだ……」


「大輝……」


 達海に覆い被さった大輝の顔はぐしゃぐしゃに歪んでいた。

 彼の心はもうほとんど壊れてしまっているんだ。僅かに残った心を、彼は幽霊を狩ることで必死に保とうとしているんだ。そう感じた達海は大輝を酷く哀れだと思った。


「はは……幽霊なんてとっくに死んでるんだ。その死に損ない共を俺たちは葬ってやってるんだ。なんだ、良いことじゃねーか。むしろそれがあるべきか(・)た(・)ち(・)なんだ。幽霊を狩って何が悪い。死人を殺して何が悪い!!」


 大輝は再び拳に力を込めて達海へと振り落とした。しかし、今度はその攻撃を達海は手のひらで受け止めた。


「それは違う……」


「は?」

 

 大輝が眉を顰める。


「幽霊だって生きている。たとえ肉体を失おうとも、その人の魂は生きている。生きているんだ……!!」


 達海は今までに出会った幽霊を思い起こした。確かに彼らは既に死んでいる。それでも彼らは喜んでいた。憎んでいた。悲しんでいた。愛していた。紛れもなく彼らには生者と同じように感情があった。そんな彼らを狩って良い訳がない。殺して良い訳がないのだ。

 達海の言葉を聞いた大輝は面食らった顔をした。そして、彼は力の抜けた拳を達海の手から離すと立ち上がった。


「そうか……生きてる…………か」


 大輝が天を仰ぐ。そして首につけていたネックレスを引っ張ると、コートの下からネックレスに取り付けられたストラップが顔を出した。ストラップはカプセル状で、中には霊魂が入っている。


「お前もまだ、生きていたんだよな……桃子」

 

「お前、それって」


 達海は目を見開いた。


「桃子の霊魂だけは本部の上層部に引き渡せなかった。代わりに別の幽霊の霊魂を渡してこっそり持っていたんだ」


 霊魂があればフォトは救われるかもしれない。陰陽様のところまで持っていくことができれば彼が救ってくれるかもしれない。一度地獄に落とされてしまうのだろうが、消滅してしまうよりは全然良いはずだ。

 達海の張り詰めていた心は少しだけ軽くなった。


「立てよ達海」


「!!」

 

 達海は大輝に言われるままにゆっくりと立ち上がる。


「お前はお前の正義を貫き通せばいい。俺は俺の正義を最後まで貫き通す。これで終いにしようや」


 大輝は達海を真っ直ぐに見て、そして拳を構えた。


「わかった……どっちが負けても恨みっこ無しだからな」


 大輝の意図を汲み取った達海も、彼のことを真っ直ぐに見て拳を構えた。


『うおおおおおおお』


 互いの拳は互いの頬を捉え、激しい打撃を同時に喰らわせ合った。


 片方がその衝撃で床に倒れ込んでいく。


 片方はその場に踏ん張り、立ち続けた。


「あーあ、結局俺は何がしたかったんだろうな。俺の正義は敗れちまった。悪かったな桃子」


 地面に仰向けに倒れた大輝は、フォトの霊魂が入っているカプセルを天に向かって突き上げて眺めた。そんな大輝の顔の近くに達海は歩み寄った。


「お前の正義は敗れてなんていない。だって彼女のことを肌身離さずに大切に持っていたじゃないか。お前は大切な人をしっかり守ってたんだよ」


「ははっ、そうか」


 大輝は静かに笑った。


「達海!!」


 虎の式神と共にレイが達海の元へ駆け寄ってくる。


「レイ、胸の傷はもう大丈夫なのか?」


「うん。ちょっと痛いけど、もう大丈夫」


 レイの傷から煙のようなものが出るのは、すでに治まっていた。


「悪かったな死装束の嬢ちゃん、二度も襲っちまって。俺はこの通り力尽きてちっとも動けやしない。煮るなり焼くなり好きにすればいい」


 大輝が目を閉じて両手を横に投げ出す。レイは大輝のことをまっすぐに見た。


「あんたのことは許したくないけど……それでも達海があんたを許すなら私はそれを受け入れるよ」


「……だとよ、どうすんだ達海」


「陰陽に来ないか? 大輝」


『!!』


 レイと大輝は達海の言葉に驚いて、目を見開いた。


「陰陽に……俺たちのところに来て一緒に幽霊たちの成仏の手助けをしてくれないか。陰陽には困っている幽霊がやって来ることもあるんだ。癖の強い幽霊が来ることだってあるけど、一緒に悩んで、そして一緒に戦ってほしい。お前なら心強い仲間になれる気がするんだ。それに、まだフォトを救うことができるかもしれない」


「フォトを救える……本当か?」


 大輝が声を大きくした。


「俺の知り合いに霊魂をあの世に送ってくれる奴がいる。除霊した幽霊の霊魂をどう扱ってるか、わからないGHに渡すより少しはましだろ?」


「それって……陰陽様のこと?」


 レイが達海に問いかける。


「うん、そうだよ。前に陰陽寮に行った時に話を聞いたんだ」


「えーなんで教えてくれなかったのー! やっぱり、天国はあるんだ!」


 レイが少し不機嫌になりながらも目を輝かせた。


「ごめん、本当のことかわからなかったから話してなかったんだ。でも、今はそれを信じるしかない」


 達海は話をはぐらかしつつ答えた。嘘は言っていない。あの世というのが天国ではなく地獄というだけだ。それに全てを話してしまえば達海は陰陽様に抹殺されてしまうのかもしれない。


「俺、まだ許されるのかな。許してくれるか、桃子」


 大輝が目を細めて、桃子の霊魂が入っているカプセルを眺める。


「ああ、フォトならきっと、というか最初からお前のことを許しているはずだよ」


 達海はフォトの手紙を思い出して微笑んだ。


(約束は守ったよ、フォト)



「俺、お前たちのところに行くよ。この借りは必ず返す。……そういえば前に言おうと思ってたんだが死装束の嬢ちゃん……レイって言ったか。うちのふ……あ、カモク」


 大輝が何かを言いかけていたところで、ホワイトボードから刀を抜いたカモクが達海たちの元へと歩いて来ていた。


「悪いカモク。俺の負けだ。先にGHに戻っていてくれ。俺のことは好きに報告してくれて構わない。今回のことは全部俺の所為にして良いから。私情にお前のことまでは巻き込まないよ」


 カモクがゆっくりと寝そべっている大輝のことを覗き込む。


「カモク?」


 ザクっ!


 カモクは手に持っていた刀を、大輝の腹部めがけて勢いよく突き刺した。


「ゴフッ」


 大輝の口から血反吐が噴き上がる。


「は?」

「え?」


 達海とレイは何が起きたのか理解が追いつかずに一瞬固まった。そして達海はすぐにカモクの腕を掴んだ。


「お前……何してんだ!!」


「な……で……」


 大輝が声にならない声をあげる。


「大輝!!」


「ダメだよ、達海! 抜いたら尚更血が出ちゃう」


 慌てて大輝の腹から刀を抜こうとする達海をレイが制止した。


「いや……だ、や……だ。死にたく……い。やっと、これか……のに。……たくない、死にたくない! ゴフッ」


「大輝!」


 大輝は再度吐血すると、それ以降何も喋らなくなってしまった。目が虚な状態になっている。

 死んでしまった。さっきまであんなに熱くぶつかり合っていたのに。あんなに熱く話し合ったのに。今となってはその体もだんだんと冷たくなっていた。


「なんで……なんで……」


 達海は強い吐き気に襲われた。両親の死、そして明宏の死が達海の脳裏にフラッシュバックする。

 「オエッ」という、えずきと共に達海の胃の中の内容物が床に広がった。


「やだなー汚い」


 カモクが口を開いた。


「どうして……仲間じゃなかったの?」


 レイが声を振るわせながらカモクに聞く。


「そんなに驚かないでよ。組織の邪魔になるから殺した。それだけのこと」

 

 カモクからの回答にレイは恐怖した。こんなにも簡単に人が人を殺すのか、と。


「大丈夫だよ。神器で殺しているから、彼が幽霊になる心配はない。ああ、でもそうか。困ったな。警察官の死体がここに転がっているのはまずいよね。どうしようか」


 カモクが体を揺らしながら考える素振りをすると、何か閃いたようにポンと手を叩いた。そして、カモクはトレンチコートのポケットから手錠を取り出して、それを達海の両腕に嵌めた。


「そうだ、こうしよう。天池達海、君を殺人の容疑で現行犯逮捕する」

「は?」


 突然の出来事に、達海は口から胃液を垂れ流しながら固まったままでいた。



「江藤巡査部長ー! すぐに現場へ」


 カモクが通信機で呼びかけると数名の警官がすぐに講義室内に入ってきた。彼らは大輝の死体を見て一瞬驚いた様子を見せたが、手錠が嵌められた達海を見て顔を恐くさせた。


「彼をGH本部まで連行して」


「承知いたしました!」


「は? なんでだよ! おい! 離せ!!」


 必死に抵抗するも数名の警官に取り押さえられた達海は、彼らによって講義室の外へと連れ出された。


「達海!!」


 レイがそれを追いかけようとする。


「おっと、君はまだだめだよ」


 カモクがレイの腕を掴んで、講義室の後方に向かって投げ飛ばした。


「!?」


 レイは、そのまま手前の机にぶつかり倒れ込む。カモクは大輝の体から刀を抜き取ると、血液が滴るそれをまじまじと見た。


「もう、結界の効果はとっくに切れているけど、君はまだ出ちゃだめ。君には大切な役割があるんだから、今はまだ除霊もしてあげない。達海を助けたければGH本部まで来ればいい……それじゃあさようなら。……ああ、そうだ、君のお姉さんにもよろしく言っておくよ」


 そう言ってカモクも講義室を後にした。

 広い講義室にポツリ。レイが静かに呻きながら横たわっている。

今回の話で、大輝がフォトの手を握る描写がありますが、大輝に達海のような能力がある訳ではないです。

フォトの意思で大輝の手に触れていますし、もし動かせば、すぐにすり抜けてしまう訳です。(必死の言い訳タイム)

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