#69 講義室での決戦
「大輝ってまさかこの人が……」
レイが声を振るわせながら達海に問いかける。
「ああ、フォトが生前、愛していた人。フォトの生前の恋人だよ」
達海の言葉を聞いてレイは唇を噛んだ。
「あんたが……あんたがフォトを……許さない!」
「……レイ、待て!!」
「うおおおおおお」
レイは前の机をぴょんぴょんと移り渡ると大輝に向かって飛びかかった。
「お前が!!–––」
レイが大輝に拳を振り上げた瞬間、
「神器、発動……」
「虎!!」
大輝の手には刀が現れて、その刃は上方向に向かって弧を描くように振り払われた。
「あっ」
レイの動きは、刃が当たる寸前で、達海が投げた形代から現れた虎の式神によって止められた。レイが着ている死装束の首元を優しく咥えた虎は、そのまま達海の元へ戻っていった。
「ちっ、もう少しだったのに。達海、お前、式神が使えたのか」
「まだまだ修行中だけどな……」
少し息遣いの荒くなった達海が大輝に答える。念の為持ち歩いていた形代一枚。猫が出現することも覚悟で呼び寄せた達海だったが、ここで初めて虎を呼び寄せることに成功する。
「レイ、相手はGHだ。気をつけないと……。レイ?」
レイは苦しそうに静かに唸っていた。達海がレイの胸元をよく見ると微かに煙のようなものが昇っている。先ほどの大輝の刃はレイの胸元を僅かに捉えていたのだ。もし、虎を呼び寄せることができていなければレイは確実に祓われていただろう。
「レイ、怪我してるじゃないか! ここで休んでて。俺が行く」
「でも、私も!……」
「いいから! 大丈夫。フォトの敵は俺が取るから」
達海は優しい顔をレイに向けた。レイは悔しそうに顔を伏せる。
「おい、達海! 早くその幽霊をこっちに渡せ。最近この大学で心霊現象が起こると通報があったんだ。おそらくその幽霊の仕業だろう。仕事は早く終わらせたい」
大輝は気怠げな声で達海に言った。白髪の小柄な女はちょこんと講演台の上に座っている。
「虎、レイのことを守っていてくれ」
達海はそう言って立ち上がると、大輝の方に向かって歩いた。ゆっくりと机脇の階段を下っていく。
「彼女は俺の大切な人だ。渡すことはできない。絶対に守る」
「前にも言ったがこれは仕事なんだよ。大切な人だとかどうとか、そんなもの、俺には関係ない」
階段を下り切った達海は大輝の目の前に立ち塞がった。達海が大輝の目をしっかりと見つめる。どれだけ休めていないのだろう。大輝の目の下にはくっきりとしたクマがある。
「幽霊は皆、等しく悪だ。俺はその悪を狩り続けるだけだ」
「違う、幽霊にだっていい奴はいる。俺はそういう奴だって何人も見てきた」
「そうか……」
大輝はそう言うと、いきなり刀を振り上げてそれを達海に向かって振り下ろした。
「!!」
「達海、危ない!」
レイの叫び声が聞こえてくる。
達海は刀の刃が頭部に当たる直前に、その刃を両手で受け止めた。
「ああっ!」
広い講義室内に達海の叫び声が響き渡る。対幽霊用の武器とはいえ、本物の武器と性能はほとんど変わらないようだ。達海が刃を受けている手のひらから血が滲み出てくる。それでも、大輝は力を弱めようとはしなかった。このままだと、両親指が付け根から切断されてしまう。
達海は、体を右側にそらすと刃から両手を離した。そのまま刀は地面へと振り下ろされる。直後に達海は、刀を持つ大輝の右腕に膝蹴りを入れた。
「くっ」
その衝撃で大輝は刀を手放したが、攻撃を避けた達海の顔を睨みつけると、彼の顔面を左手で鷲掴みにしてそのまま後頭部を机に叩きつけた。ガンッという鈍い音が響く。軽く脳震盪を起こした達海はその場に倒れ込んでしまった。
「どうしたよ達海。守るんじゃなかったのか? こんなんじゃ大切な人を失っちまうぞ」
大輝はそう言いながら、落とした刀をゆっくりと拾い上げた。
達海がふらつきながらもゆっくりと立ち上がる。
「お前こそどうしたんだよ。前はそんな奴じゃなかっただろ。幽霊に敵意は持っていても、生者をわざと傷つけるような人じゃなかった」
「それはお前の思い違いだよ。俺は元からこういう奴だ。そらっ!」
大輝は刀を右から左へと薙ぎ払った。達海はすぐにしゃがんでそれを躱すと同時に、大輝の足を払う。左方向に重心が傾いていた大輝はそのまま左手前に倒れ込んできた。達海は立ち上がる勢いを利用して、そのまま大輝の右頬にアッパーを喰らわせる。バランスを崩した大輝はそのまま地面に倒れた。
「ぶっは」
この攻撃で口の中を切った大輝から少量の濁った血が吐き出された。
達海が大輝に近づいていく。それを上目で確認した大輝は刀を振り上げた。一瞬でその攻撃を察知した達海は振り上げられた刀を蹴り飛ばす。その勢いで大輝の手を離れて飛んでいった刀は、講演台に座るカモクの横を抜けホワイトボードに刀身が突き刺さった。その際、カモクはぴくりとも動かなかった。
「もうこんなことはやめよう、大輝」
「ふっ、初めて会った時とは変わって、少しはやるようにはなったみたいだな」
達海に見下ろされていた大輝がゆっくりと立ち上がる。お互いの呼吸は、疲労によって既に乱れていた。
「だけどな、こんなとこでやめるわけにはいかないんだよ。俺は職務を全うするだけだ」
「だけどそれは正しいことじゃない」
「じゃあ正しいことってなんなんだよ!!」
大輝が今日一番の大声で叫んだ。
「幽霊にもいい奴はいるから仲良くしましょう。それでもし、そいつが悪霊になって生きている人間が……大切な人が殺されたら運が悪かったねってか!? そうじゃないだろ! リスクは早いうちに潰しておかなけりゃならねぇ。お前がやろうとしていることはただの綺麗事だ!」
「そんな、綺麗事じゃ……」
「もし!」
大輝が達海を見たままレイに向かって指差した。
「もし、あの死装束の幽霊が悪霊になって誰かを殺したら、お前、責任取れるのか?」
「レイは悪霊になんかならない!!」
「本当に? ……本当にそう言い切れるのか?」
大輝が目を鋭くさせて達海を見つめ返す。
「悪霊になんか……」
達海は少し不安な表情でレイの方へゆっくりと顔を向けた。
本当にそう言い切れるだろうか。
ピエロの言葉と春明の日記を思い出す。
——春明とレイがGH創設に関係している。彼女は誰かを恨んでいる。彼女が自ら家族を手にかけた。彼女を除霊するしかないのだろうか。——
レイは悪霊関係のことになると少しだけ影を見せることがある。それは心の内で、自分もこうなってしまうんじゃないかと恐れているのだろうか。
達海の中で不安が降り積もっていく。正しいことってなんだろう。もしレイが悪霊となり誰かを殺してしまったら……。春明や悠真を殺してしまったら……。俺は…………
「ばかやろーーーー!!」
レイの叫び声に達海の意識は現実へと戻された。
「そこの長髪でか男!! 勝手に私たち悪口言わないで! 私は悪霊になんかならないし、達海がやってることも綺麗事なんかじゃない! 達海に救われた幽霊だっている! 成仏できた幽霊だっている! 少なくとも私は! 達海に出会えて本当によかった。だから、達海を悪く言う奴は私が絶対に許さない」
「亡霊は黙ってろ!!」
大輝がレイを睨みながら、静かに、それでいてドスの効いた声で言い返す。
「黙るのはあんただよ! 達海も何不安そうな顔してるの! さっさと言い返せ!」
「もういい。すぐに除霊してやる」
大輝がホワイトボードの元へと向かい、突き刺さった刀を抜こうと柄を掴んだ。それを阻止するように達海が大輝の腕を掴む。
そうか、そうだよな。何を心配していたのだろう。あのいつも明るいレイが、あの心優しいレイが、悪霊になんてなるわけないじゃないか。ピエロの言葉は俺を惑わすための戯言だ。春明の日記だってきっと俺の勘違いだ。もし悪霊になる運命だったとしても俺が——。
達海はしっかりと前を向いてまっすぐに大輝の目を見た。
「俺はレイを信じてる。俺がやってることが正しいことかどうかはわからない。だけど、間違ったことじゃないのは確かだ。絶対に後悔はしないから……したくないから」
「くっ、なんだよ……なんでなんだよ」
顔を歪めた大輝は、達海の腕を振り払い、彼のことを押し飛ばした。達海の体はそのまま後方に倒れていく。大輝は刀をホワイトボードから抜かずに達海の元へ行くと覆い被さった。
「俺は間違ってるってか!? じゃあ、どうすればよかった!? 必死になってもがいたさ! ずっとそばに居たかった! 守りたかった! だけどダメだったんだよ!!」
大輝が達海の顔を右手左手で交互に殴る。達海はそれを抵抗せずに受け続けた。
「達海!!」
レイが達海の元へと行こうとしたが、虎によって引き止められる。
「だから俺は狩り続けなければならない! これは間違いじゃないって! 桃子のためだったって肯定するために!! 幽霊は悪なんだよ……。 狩り続けなければいけないんだよ……俺だって後悔なんて……」
達海を殴る大輝の拳は弱々しくなっていき、次第に殴るのをやめた。
「じゃあ、どうして……どうしてそんなに苦しそうな顔してんだよ」
達海の顔に、大粒の水玉がポツポツと落ちてくる。
「逃げようとしたさ……。だけどGHはそれを許す組織ではなかった。目の前で……目の前で桃子が消えていったんだ……。俺はそれを呆然と見ていることしかできなかった……」
「大輝……それじゃあ、お前」
「桃子を祓ったのは……俺じゃない……」




