#40 双子の天才小学生
達海は寒さのあまり目を覚ました。時刻は朝の五時三十分。二度寝をしようとも思ったが、目が冴えて来てしまったので、掛け布団を剥がして身体を起き上がらせた。
素朴な木製テーブルに投げられたリモコンに手を伸ばして、テレビをつける。すると男の気象予報士が淡々と天気予報を読み上げていた。まだ十一月の下旬だというのに、どうやら今日の最低気温はマイナス三度らしい。どうりで寒いわけだ。
達海はお湯を沸かすと、スープの粉末を入れたカップにそれを注ぎ込み、マーガリンを塗った食パンに齧り付いた。
今日は、ランニングをしたら空手教室を何軒か尋ねてみよう。そんなことを考えながら反芻していく。
達海は大学の論文で空手について執筆するという口実のもと、いくつかの空手教室に取材のアポイントメントをとっていた。
達海はジャージに着替えるとアパートの自室を後にした。
達海は五キロメートルを軽く走り終えると、スポーツドリンクを自販機で購入して口にした。時刻は七時をまわっている。春明ももう起きているだろう。カフェ陰陽にも顔を出しておこうかと、達海は再び走り出した。
「おう天池、朝から精が出るな」
インターホンを鳴らすと眠そうな顔をしたパジャマ姿の春明が出てきた。
「すみません。まだ寝ていましたか?」
「いや、少し前に起きてたよ。今、コーヒー淹れてやるから早く中に入れ。寒いからよ」
達海はカウンター席に座ると春明がコーヒー豆を挽く様子を眺めた。春明がバンドルを回すと、ゴリゴリと心地の良い音を奏でながら、豆からふわっと香ばしい匂いが漂ってくる。
「今日もトレーニングしていくのか?」
「はい。でも今日は用事があるので九時半までレイとアクタには付き合ってもらおうと思っています」
「そうか」
ミルから挽きたてのコーヒー豆を取り出した春明は、カップに乗せられたドリッパーにそれを移し替えると、お湯を注ぎ始めた。先ほどの豆を挽いた時とは違った柔らかい香りが疲れた体を癒していく。
「そういえば昨日、フォトに陰陽寮に行く話はしましたか?」
「ああ、フォトも行きたいって。皆んなして好奇心旺盛なことで、本当に参っちまうよ。……そういやあフォトの奴、なんか元気がなかったような気がするが何か知らないか」
「……いえ、わからないです」
「そうか。よく出かけているが何をやってるんだかな。何度かこっそりついていってみたが撒かれちまうし。悪霊やGHに気をつけてくれりゃいいんだけどよ」
そう言って春明は頭を掻いた。
昨日、フォトは大輝からしばらく会うことを控えようと言われているはずだ。達海はそのことでフォトが落ち込んでしまっているのではないかと心配していた。とはいえ、大輝と会っていることは春明に話さないように口止めをされているので、彼に相談をするのは憚られるのだ。
「フォトって今いますか?」
「ああ、二階のいつもの部屋にいるはずだ」
「わかりました。少しフォトの様子を見てきます」
達海はコーヒーを飲み終えると、二階へと上がった。
「あ、達海くん。やっほー」
「レイたちならもう庭に居ますわよ」
達海が部屋に入ると、フォトがお姉さん座りをしながら、お嬢に一眼レフの画面を見せていた。お嬢は四つん這いで画面を食い入るように見つめている。
いつもと変わらぬ様子のフォトに達海は少しだけ安心した。
「達海くんもちょっと見ていかない?」
「ああ、見せてもらおうかな」
フォトの一眼レフには様々な風景が収められていた。カフェ陰陽の庭園、商店街、動物園など、フォトがボタンを押すたびに次々に切り替わっていく。高台の写真が映し出されたところでフォトの手が止まった。
「あ、この写真って、俺がフォトに初めて会った時に見せてくれたやつだよな」
「うん。この場所はね、私にとってすごく大切な場所なんだ」
フォトは少し悲しげな表情をしながら言った。
「フォトさん、それってあなたの生前に関係してますの?」
「さあ、どうなんだろうね」
フォトはお嬢に笑って見せた。達海にはその笑顔がどこか苦しそうに見えた。そうだ、彼女は不安で仕方ないはずなのだ。
「よし、達海くん。そろそろ行こうか。レイちゃんも待ってるよ。私も縁側で達海くんのこと応援しようかな」
フォトは誤魔化すように話を変えると、立ち上ってドアの方に歩き出した。
「私も行きますわ。達海さん、早く行きますわよ」
「ああ、わかったよ」
達海はフォトに何か言葉をかけてあげようと思案したが、安易に励ましの言葉をかけることができなかった。なんて言ったらいいのかわからなかった。きっと、無責任な言葉のようになってしまうと思ったから。
達海はお嬢の背中を追いかけ、レイたちが待つ庭園に向かった。
「えーもう行っちゃうのー?」
「レイ少女、達海少年も忙しいのだよ。わかってあげたまえ」
トレーニングをひとしきり終えた達海がカフェ陰陽の店内で帰りの支度をしているなか、レイが駄々を捏ねていた。
「ごめん、レイ。また夕方に来るから」
達海がドアに手をかけたとき、フォトが彼に呼びかける。
「達海くん……」
「どうした? フォト」
「…………んーん。やっぱりなんでもない」
フォトは何かを言いかけたが首を横に振り、笑顔を見せた。やはり、その笑顔にはどこか辛さが混じっている。
「フォト、話を聞くことくらいは俺にもできるから。だから、無理はしないで。話したくなったら話してくれよ」
それが達海が口から捻り出した精一杯の言葉。
「……ありがとう、達海くん」
レイたちがキョトンとするなか、達海はカフェ陰陽を出ていった。
「フォト、なんかあるなら俺たちにも相談しろよ。聞いてやるから」
春明は達海が出ていったドアを見つめたまま、静かな声で言った。
レイ、アクタ、マッチョ、お嬢が春明に賛同するように、フォトに向かって笑顔を向けた。
「皆んなもありがとうね、でも私は大丈夫だよ」
達海は一度自宅に戻り無難な服装に着替えると、黒のオーバーコートを羽織って約束を取り付けた空手教室に向かった。
「改めまして、天池達海と申します。今日はよろしくお願いいたします」
「今日は寒い中、良くお越しいただきました。私としても空手に興味を持っていただけてとても嬉しいです。どうぞ、なんでも聞いてください」
道場で生徒たちが稽古を行なっているなか、その傍にある事務室で達海は教室の師範に挨拶をした。壁には優勝トロフィーを持った生徒の写真や集合写真などが飾られている。
達海は拙い話し方で、この教室の歴史や戦績などを質問した。この教室の師範は強面であったが、真摯に達海からの質問に答えてくれた。
「では次の質問ですが、十三年前から十五年前の中学生空手道選手権大会についてですが、どう調べてもその期間だけ記録がすっぽりと抜け落ちてしまっているんです。この期間は、いったい何があったんですか」
達海がそう質問すると、師範が一瞬顔を強張らせた。明らかにピリついた雰囲気に達海は生唾を飲んだ。
「この期間、運営陣がごたついていて空手の大会は行われなかったんですよ」
少しの沈黙ののち、そう笑顔で答えた師範の目の奥は笑ってはいなかった。
「運営陣のごたつきですか……」
達海はこれ以上、この師範から何も聞くことができなかった。記録の空白については触れられたくないようであったが、運営陣が原因であればレイの生前に関わるようなことはないのであろうか。
二軒目の空手教室にも訪れてみたが、やはり一軒目の師範と同じような反応を見せた。
最後の三軒目、達海は半ば諦めていたが、この若い師範の反応は今までのものとは違っていた。
「不慮の事故ですか?」
「ええ、不慮の事故が起こってしまって大会が中止になったと聞いています」
「事故で三年間も? 私は運営陣のトラブルにより大会が中止になったと以前聞いたことがあるのですが」
「……ああ、そうだったかもしれない。そうだ、運営陣のトラブルですよ。それで大会が行われなかったんです」
若い師範が慌てた様子で先ほど話したことを訂正した。何かを必死に隠しているかのように。
「……本当に運営陣のトラブルだったんですか?」
「ええ、そうですよ。……ああ、もう時間だ。そろそろ稽古が始まりますのでお引き取り願えますか」
若い師範は、ばつが悪そうに話を捲し立てると席から立ち上がった。
「あっ、きょ、今日はありがとうございました」
突然告げられた終了の言葉に、思わず達海も立ち上がって礼を言うと、教室の入り口へと向かった。
結局、大会の記録が空白の間に触れてはいけない何かがあるということがわかっただけで、レイの生前に繋がる情報を聞き出すことはできなかった。
十三年前から十五年前。レイが生前に空手をやっていたとしたら丁度その大会に参加していたとしても不思議ではない。やはりこの件についてはもう少し調べてみるべきか。
「あのう」
達海が外に出ようとした時、道着を着た高校生くらいの青年から声をかけられた。
「……どうかしましたか」
「いえ、師範との会話が少し聞こえてきたもので。あのう、これあんまり話すなって言われているんですけど……」
青年がキョロキョロと周りを確認すると達海の耳に口を近づけて小声で話し始めた。
「あくまでこの話は都市伝説だと思って聞いてください。十年以上前に、空手の大会で一位、二位を取り合う双子の天才小学生が居たと言われているんです。ですが、突如としてその双子は空手界から姿を消してしまったらしいんですよ。それ以降、彼女たちが出場した大会の記録が改ざんされたようなんです。記録が空白の大会。彼女たちはその大会に出ていたはずです……」
「田中!! 稽古始めるぞ!」
若い師範の大声が道場から聞こえてくると、青年は目を瞑って肩をすくめた。
「今行きます! この話、俺がしたって誰にも言わないでくださいよ。空手界のタブーなんですから」
そう言いながら青年は道場へと走っていってしまった。
「あ、ありがとうございます」
双子の天才小学生。もしかしたら、レイが関係しているのだろうか。達海は新たな情報に少し興奮した顔つきで教室を後にした。




