#39 安倍晴明
「おっと」
アクタの体が宙に浮き、そのまま地面へと転がった。
「一本! すごいよ達海」
レイが達海に向かって叫ぶ。
陰陽の庭園でトレーニングを始めて三ヶ月、達海の成長は凄まじく、少し手加減されているとはいえ達海はアクタから初めて一本取ることができた。
「やった。ついにアクタから一本取ったぞ!」
達海は少し興奮した声で言うと笑顔をレイに見せた。
「いやー、達海に投げられるとはね。俺もびっくりするほどの上達ぶりだよ」
笑顔で頭を掻きながら立ち上がるアクタに、達海はジト目を向ける。
「……でも今ちょっと油断していたろ、アクタ」
「あれ、バレちゃった?」
「もう一回だ、もう一回。本気で来てくれよ」
「あはは、わかったよ。次は油断しないよ」
「天池。ちょっと話がある」
達海がアクタに投げられた瞬間、宙を舞っている時に縁側から春明の声がした。地面で受け身を取った達海は、仰向けで寝そべりながら春明に返事する。
「今行きます。アクタ、あとでまたリベンジするからな」
「はいはい」
達海は黒ジャージについた土を払うと春明の元へと駆け寄った。
「なんですか、話って」
「ちょっと会ってもらいたい人がいるんだ。中に来てくれるか」
「会ってもらいたい人?」と、達海は少しだけ顔を緊張させながら春明について行く。カフェ陰陽の店内に行くと、テーブル席で一人の男がコーヒーを飲んでいた。端正な顔立ちで白い着物を身に纏っている。髪は真っ黒で春明よりも少し長めのバングショート。年齢は春明よりも少し若いくらいだろうか。その男は達海に気がつくと笑顔を向けてきた。
「君が天池君か! 春明から話は聞いているよ。君、幽霊に触ることができるんだってな。すごいなー」
男は興奮した様子で達海のことを舐め回すように見た。
「天池が困ってっから、早く自己紹介をしてくださいよ」
若干怯えた様子の達海を見かねた春明は呆れたように男に言う。
「すまない、紹介が遅れた。私は陰陽師の頭首である。安倍晴明だ。よろしくな」
「安倍晴明!?」
達海は驚いた。『陰陽師といえば誰が思いつくか』と聞かれれば、多くの人が安倍晴明と答えるであろう。しかし、彼は平安時代を生きた人物のはずである。達海は晴明のことを奇怪な目で見つめた。
「幽霊じゃ……ないですよね」
「あははは、私は幽霊じゃないよ」
陽気に笑う晴明の横で春明が説明を加えた。
「安倍晴明の名はな、陰陽師の中で力ある者に代々襲名されていくんだ。彼は三十七代目の晴明なんだよ」
「へー、そうなんですね。それでその晴明さんがなぜここに?」
「春明くんに頼まれてね、所用で一週間ほど前に東京に来ていたんだ。用事も済んで観光をしていたんだが、そろそろ帰らないと寮の皆に叱られてしまうからね。最後に天池君を一目見ようとここに来たという訳なんだ」
晴明はチープな鼻歌を歌いながら自分の着物の懐を弄ると、形代を取り出した。
「天池君、ちょっと持ってみてくれないか」
「あ、はい」
達海は晴明から渡されるがままに形代を受け取った。晴明は真剣な顔になり、達海に話し続ける。
「この形代には式神を宿す力がある。いいかい天池君、目を瞑って想像するんだ。ここから虎が現れる」
「でも、俺は陰陽師では……」
「いいから、やってみなさい」
達海は言われた通りに目を瞑り虎の姿を想像した。大きな体に鋭い牙、凛々しい顔つきで力強く唸る猛獣を。
「そして形代を投げて叫ぶんだ。虎!! とね」
「虎!」
達海が晴明から言われた通り、叫びながら形代をその場に投げつける。すると達海から放られた形代は、みるみるうちに獣の姿に変化していった。
「ニャーー!」
「にゃ、あ?」
春明と晴明は達海から呼び寄せられた可愛い猛獣を見て目を丸くさせた。
「ああ、虎というよりは……猫だね」
猫の式神が春明に向かって威嚇の声を出し続ける。
達海はこの状況をどうして良いのかわからずに、気まずい顔で「あー」と声を漏らす。
「しかし、しかしだ! 力が弱いとはいえ、やはり君には陰陽師の力を扱うことができるようだ」
晴明はとびきりの笑顔で達海の肩を掴んだ。
「あ、あ、そ、そうなんですか?」
「東山の家でのことを晴明さんに話したんだよ。ほら、結界の札を剥がした時の。そしたら、晴明さんがやらせてみようって。まさか本当に出来るとは」
春明は驚いた様子で達海に話した。
「でも、俺の家系に陰陽師はいないと思いますよ?」
達海は晴明に肩を揺らされながら困惑した表情で言う。
「ああ、そのはずだ。陰陽師の血縁にある者は皆、京都の陰陽寮で暮らしてる。……二人の例外を除いてはね。だからなぜ君に陰陽師の力を微力ながら扱えるのかは不思議でならない。君は特別な存在なのかもしれないね」
カフェ陰陽の二階にある一室で晴明は目を閉じて両手を合わせた。目の前には仏壇があり、晴明が持って来たお菓子が供えられている。
「実に惜しい人を亡くしたよ。明宏さんは才能のあるお方だった」
晴明は目を開いて腕を下ろすと、後ろにいる春明の方へ身体ごと振り返った。
「君にもその才能の血が流れているはずだよ、春明くん」
「やめてください。俺に親父や祖父さんみたいな才能はないですよ。申し訳ないが陰陽寮に移り住む話はお断りします」
「私のお願いは断るくせに君のお願いは私に聞けと? なんて傲慢な奴なんだ」
晴明は呆れたという顔で首を横に振る。春明はそんな晴明に向かって頭を下げた。
「俺にはやらなければならないことがあるんです。どうか、お願いします」
「……冗談だよ。君には相当な無理を言っているからね。その結果がこの有様だ。正直、こちらも申し訳なく思っている。三十六代目にも合わせる顔がないよ。そうだ、今度、陰陽寮に来たら彩葉さんにも会って行ってくれよ。彼女も息子の顔を見ればきっと喜ぶ」
「ああ、そうですね……」
春明は少し目線を落として晴明に返答した。
春明と晴明が階段を降りるとテーブル席で達海、レイ、マッチョ、アクタが談笑していた。
「おお、君たちが噂の幽霊さんたちか!」
晴明が笑顔でテーブルに近づいていく。
「誰この人、なんか怖い」
「君、陰陽師か! ワタクシの勘がそう言っている!」
「服装を見るとそのようだね」
晴明のにこやかな圧に少し怯えているレイは達海の腕を掴んだ。
「大丈夫だよレイ。この人、陰陽師の頭首なんだって」
「ええー! すごい人じゃん」
するとレイは表情を一変させ、目をキラキラと輝かせながら晴明を見る。
「いやー照れるな。そうだよー、お兄さんはとっても凄い人なんだよー。でも、春明くんはお兄さんよりもっとすごい人のはずなんだよ」
晴明は春明の方をチラリと見た。そんな晴明に春明は冷ややかな目線を送る。
「そんな、てきとーなよいしょをしても陰陽寮には移り住みませんって」
「えー、適当じゃなくて本心なんだけどな。まあ、いいや。それじゃあ、私はそろそろ行くよ。十二月に陰陽寮で待ってる。ここに居る皆んなもぜひ連れてくるといいよ」
「陰陽寮!? なんか楽しそう! 私も行く!」
「ワタクシも、ぜひ春明の同胞に会ってみたい!」
「俺も京都の観光したいな」
レイ、マッチョ、アクタはノリノリで晴明の話に食いついた。
「ちょっと、まだ決まった訳じゃないからな。遊びにいく訳じゃねーんだ。お前たちは陰陽寮に連れては行かねーぞ」
春明が慌てて三人の幽霊と晴明の間に割って入った。
「いいじゃないか、連れて来ても。京都だからGHに出くわす心配もほとんど無い。万が一何かがあったとしても、私たち陰陽師が君たちを守ることを保障しよう」
「……そういうことなら……まあ、いいか」
春明が頭を掻きながら、渋々了承する。すると、一瞬、沈んだ表情となったレイとマッチョに再び笑顔が戻ってきた。
それから、晴明は「それじゃあね」と手を振ると東京土産の袋を両手でいっぱいに持ち、店を後にした。晴明が店を出て路地を歩きだすと、後ろから幼い少女の声が聞こえてくる。
「久しぶりですわね、晴明」
懐かしい声に晴明は振り返った。
「君は……お嬢ちゃんか。会うのは二回目だね」
「また、春明さんのことを誘惑しに来ましたの?」
「あはは、誘惑もしたんだけどね。安心しなよ。彼はここを離れるつもりはないって」
「当たり前ですわ」
お嬢は少し安心したような表情を見せた。時折吹いてくる凩がお嬢のスカートを微かに揺らす。
「明宏さんの最後はどうだった?」
「……とても勇敢でしたわ。最後まで私たちを守ろうと静かに踠いていました」
「そうか。明宏さんらしいな。……そうだ、お嬢ちゃんも陰陽寮に遊びにおいでよ。来月皆んなで来る話になっているはずだからさ。詳しくは春明くんに聞いてね。それじゃあ、また」
「……ちょっと、皆んなでってどういうことですの!」
晴明はお嬢の問いに答えることなく歩き始めた。
「全く、もう……」
お嬢はカフェ陰陽の中にすり抜けて入っていった。カフェ陰陽の中からは幽霊たちのにぎやかな声が聞こえている。




