三
億十郎は、どどどっ! と足音を立て、剣鬼郎にまっしぐらに突進する。まるで怒りに燃えた犀か、アフリカ象のような迫力だ。
剣鬼郎は顔色を蒼白にさせ、茫然と迫ってくる億十郎を見上げている。あまりの恐怖に、完全に腰を抜かしている。
【遊客】は、仮想現実に接続したときに、剣術の達人としての知識をインストールされている。修行一つしていないのに、剣術の達人として振舞えるのだ。
が、剣術の達人が持ち合わせている気構えとか、泰然自若とした態度は、これっきりも持ち合わせてはいない。長年の辛い修行に耐えた者だけが、どんな危急の場面でも冷静に対処できるのだが、【遊客】らには無縁の話だ。
「あ……あんた、誰だ……!」
ようやく剣鬼郎は、目の前の相手に尋ね掛けた。唇は細かく震え、全身からびっしり、冷や汗が噴き出している。
「拙者、大黒億十郎と申す者!」
「大黒……億十郎……?」
剣鬼郎は微かに首を捻り、やがて思い出したように頷いた。
「ああ、鞍家二郎三郎が言っていた、仮想体験劇への出演予定者か!」
ほっとしたのか、血色が戻っている。億十郎の背後に、健一と永子を認め、出し抜けに笑い出した。
「月さん! あんた、人が悪いぜ! 俺を驚かすために、いきなり出演者を呼んできたんだな! いやー、まったく騙された! 良くできたドッキリだぜ! 今の場面は、あんた撮影していたんだろうな? 厭だぜ……今の場面を、面白おかしく演出して、公開するつもりなんだろう?」
安心したのか、やたら口数が多い。
黙って聞いていた億十郎は、だんっ! と大きく足を踏み鳴らした。億十郎の凄まじい足踏みに、剣鬼郎は、びくりっ! と飛び上がる。
「さっきから何を言っているので御座る? 拙者は、お主が公儀転覆計画なるものを探索していると……」
剣鬼郎は、慌てて手を上げた。
「待て待て待て……。何だって? 公儀転覆計画? どこかで聞いたような……?」
億十郎は喚いた。
「浅倉玄蕃頭とか申す、謀反人が首謀者らしいな? どこの誰で御座る?」
「へっ?」
茫然としている剣鬼郎に、健一は素早くささっと近寄り、耳打ちをする。
「剣鬼郎! ちょっとした誤解なんだ。俺が『剣鬼郎百番勝負』のプロットを渡したら、こいつ、本気にしちまったんだ。ここは一つ、うまく話を合わせてくれ!」
「な、何っ? じゃあ、先週、撮り終わったエピソードを……。そ、そうかっ!」
一瞬にして状況を理解したらしい。剣鬼郎は顔を挙げ、億十郎に向かって、にこやかに話し掛けた。
「ああ、そうか! 浅倉玄蕃頭かっ! うんうん、ありゃ、とーっても、悪い奴だ! 奴は、死んだ! 蓄えた火薬と諸共、どっかーん! と吹き飛んでしまったよ! 俺が奴を追い詰め、自爆させたんだ!」
一気に喋って、億十郎を上目遣いに見上げ「ははははは……」と力なく笑う。
「死んだ……と?」
億十郎は、がっくりと膝を突いた。虚脱したように、肩が下がる。
剣鬼郎は勢い良く、ぽんぽんと億十郎の分厚い肩を叩いた。
「そうだ! 死んだんだ! 浅倉玄蕃頭は、もうおらぬ。だから御公儀転覆など、もう存在せぬ。安心してくれ!」
億十郎は虚ろな目で、剣鬼郎の顔を見詰めている。が、ぐっと唇が真一文字に引き締められた。
「では、その証拠は? 確かに、浅倉玄蕃頭なる謀反人が死んだという、証拠は御座るのか?」
剣鬼郎は仰け反って聞き返す。
「な、何で、証拠が必要なんだ。俺が奴が死んだと言うのが、信じられないのか?」
「お主を信じる、信じないの話ではないのだ! このような謀反計画は、確かに潰えたという証拠がなければ、報告するわけにはゆかぬではないか?」
億十郎の返答に、剣鬼郎と健一は顔を見合わせた。健一は、恐る恐る、億十郎に質問する。
「報告って、どこにするんです?」
億十郎は頷き、重々しく口を開く。
「公儀転覆などという重大な犯罪。勘定奉行様に報告申し上げ、評定所にて、厳しく詮議しなくてはならぬ! 幸い、拙者の兄上は、勘定方目付を拝命している片岡外記様配下で御座る。兄上を通じ、外記様に報告申し上げる所存」
健一は、億十郎の完璧な勘違いに、頭を抱えていた。




