勇者の陥落と、肉体の乗っ取り
賢者の館を飛び出したカインを追い、ライルたちは王都郊外の荒野まで駆け抜けていた。
「カイン様! 止まってください! お願いです、僕たちの声を聞いてください!」
ライルが叫ぶ。
夕闇が迫る荒野の中央で、カインは静かに足を止めた。ゆっくりと振り返るその顔――右頬から首元にかけて、黒い紋様が皮膚を覆い尽くさんとしていた。
「ライル……ミリア……セイル……」
カインの口から出たのは、微かな、掠れた声だった。
その瞳に一瞬だけ、かつての素朴で優しい村人カインの光が戻っていた。
「逃げ……て……。僕の頭の中で……誰かが……暴れているんだ……。僕を……僕を殺してくれ……っ!」
「カイン様……! そんなことできるわけないじゃないですか! 一緒におうちへ、村へ帰りましょう!」
ミリアが涙を流しながら手を伸ばす。
しかし――その救いの手すら、届くことはなかった。
「あガっ……!? ガハッ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
突然、カインが己の頭を抱え、絶叫した。
右手の魔剣から爆発的な紫黒の魔力が吹き出し、カインの全容を包み込んでいく。黒い紋様が首を駆け上がり、顔の半分、そして左目までをも一気に飲み込んでいった。
『――クックック……ハハハハハハハハハ!――』
カインの口から出たのは、もはやカイン自身の声ではなかった。
天地を揺るがすような、太く禍々しい『魔王』の笑い声。
メリメリと音を立てて、カインの頭部から漆黒の角が生え伸びる。背中からは巨大な黒い魔力の翼が広がり、右手に固着していた魔剣は、カインの腕そのものと完全に一体化を果たした。
「カイン……様……?」
ライルは膝から崩れ落ちた。
光が収まったそこに立っていたのは、もう『村人カイン』でも『勘違いの勇者』でもなかった。
漆黒のオーラを纏い、両目を冷酷な紫色の獣眸へと変えた――完全なる【新魔王カイン】の姿だった。
「……永い眠りであった」
魔王カインが、低く重々しい声で呟く。
その言葉には、村人だった男の記憶も、仲間たちと旅をした思い出も、欠片ほども残されていなかった。カインの意識は肉体の底深くへと沈められ、完璧に魔剣(魔王の核)によって乗っ取られたのだ。
「カイン様ぁぁぁぁぁっ!!」
ライルが剣を抜き、涙を流しながら死に物狂いで突進した。
「失せよ、羽虫」
魔王カインが、面倒そうに左手を一振りする。
それだけで凄まじい衝撃波が放たれ、ライルは大剣ごと吹き飛ばされ、地面を何度も転がって鮮血を吐いた。
「ライル!!」
セイルとミリアが悲鳴を上げて駆け寄る。
「フン……人間どもよ、怯えるがよい。我はこの世界を再び我が手中へと収める」
魔王カインは圧倒的な魔力を解放しながら、ゆっくりと天空へと浮上していった。
地上に残されたライルたちは、力なく横たわりながら、新魔王として覚醒してしまったかつての仲間を、ただ絶望の眼差しで見上げるしか出来なかった。




