平和な国の崩壊と、魔王誕生
その日、バカッニア大国の「平和」は音を立てて崩れ去った。
かつて弱小な魔物しか現れず、人々が農具を手に穏やかに暮らしていたその国の上空に、巨大な紫黒の亀裂が走ったのは正午過ぎのことだった。
「ひ、避難しろーッ! 魔王の軍勢だ!!」
王都の街街に、悲痛な叫びと警鐘の音が鳴り響く。
天を覆う暗雲の中心に立ち集うのは、古代の眠りから呼び覚まされた数万の魔物たち。そして、その頂点に君臨するのは――漆黒の翼を広げ、かつて『聖剣』と呼ばれた魔剣を右腕と一体化させた男、新魔王カインだった。
「……脆いな」
魔王カインは、眼下に広がる美しい王都を見下ろし、冷ややかに呟いた。
かつて「ただの村人」としてこの街を訪れ、人々の温かさに胸を痛めていた少年の面影は、そこには一切存在しない。瞳には生気がなく、冷酷な虚無だけが宿っていた。
魔王カインが左手を緩やかにかざすと、王都の広場の中央、かつてカインが立ち寄った平和な石造りの街並みが、凄まじい地鳴りとともに崩壊を始めた。
地割れから溢れ出す紫黒の魔力。建造物は次々と呑み込まれ、わずか数分のうちに、禍々しい尖塔をいくつも備えた巨大な『魔王城』が突如として現れ出たのだ。
「うそ……だろ……」
王都の防衛線を構築しようとしていた兵士たちは、武器を握る手すら震わせ、その場に崩れ落ちた。
圧倒的な魔力の奔流。かつて自分たちが「世界を救う勇者様」と信じて称えていた青年が、いまや世界を破滅へと追いやる魔王として君臨しているのだ。
「我を讃えよ。我が前にひれ伏せ」
魔王カインの声が、大国中に轟き渡る。
それは恐怖の宣告であり、完璧な絶望の始まりだった。
* * *
崩れかけた王都の瓦礫の陰で、ボロボロになった身体を叩き起こす者がいた。
剣士のライルだ。
「ライル……ダメです、もう身体が……!」
涙を拭いながらミリアが必死に制止するが、ライルは血を吐きながらも、大剣を杖代わりにして立ち上がった。
「カイン様は……あんな奴じゃない……」
ライルは拳を強く握り締め、胸の奥から絞り出すように呟いた。
たしかに一撃で山を吹き飛ばし、敵を惨殺する恐ろしい姿も見た。しかし、その裏で「自分はただの村人だ」と困り果て、人々の感謝に罪悪感を抱き、夜一人で悩んでいたカインの優しさを、ライルたちは誰よりも知っていたのだ。
「あの魔剣が……カイン様を苦しめているんだ。カイン様は今も、あの暗闇の中で助けを求めている……!」
「ライル……」
魔導士のセイルが、涙に濡れた瞳でライルを見つめる。
「僕たちが止めなきゃダメだ。僕たちの手で……カイン様をあの呪いから解放するんだ!」
立ち上がる3人の瞳に、再び強い意志の光が宿る。
たとえ相手が世界を滅ぼす魔王になろうとも、自分たちを救ってくれた「大切な仲間」を取り戻すために。
天空にそびえ立つ魔王城を見上げながら、元・勇者パーティの決死の討伐劇が、いま始まろうとしていた。




