受け入れられた力と、不吉な予兆
大国バザールを出発してから数日。カインたちの旅は思いのほか順調に進んでいた。
「カイン様、こちらの魔術書によると、古の勇者が使っていたとされる聖剣には『意志』が宿り、選ばれし者にしか扱えないと記載されています!」
知識豊富な魔導士の少女セイルが、嬉しそうに厚い本を広げて見せる。
「やっぱり! カイン様の右手に吸い付いているその剣こそ、正真正銘の『聖剣』なんですね!」
修道女のミリアも目を輝かせる。
「……あはは、そうなのかもね」
カインは引きつった笑みを浮かべ、右手に巻きつけた布の上からそっと柄を撫でた。
最初はあれほど嫌がり、必死に「自分はただの村人だ」と否定していたカインだったが、ここ数日でその態度は少しずつ変化し始めていた。
(みんながこんなに頼りにしてくれてるんだ……。僕が『勇者』でいれば、みんなを守れるし、喜んでくれる)
村人時代、誰からも特別視されることのなかった自分が、いまや誰もが憧れる英雄として扱われている。
街道で現れる凶悪な魔物たちも、カインが右手の剣をひと振りすれば、眩い光と共に一瞬で塵へと変わった。仲間たちはその度に「流石はカイン様です!」と歓声を上げ、カインを称えた。
「カイン様、次の街へ着いたら、ぜひ美味しいお肉を食べに行きましょう! 僕がおごりますから!」
剣士のライルが快活に笑う。
「ありがとう、ライル。楽しみにしているよ」
仲間たちとの絆が深まっていく感覚は心地よく、カインの心の中にあった「自分は嘘をついている」という罪悪感は、いつしか「自分はこの力でみんなを守る勇者なのだ」という万能感へとすり替わりつつあった。
力を振るう快感。人々からの絶大な信頼。
それらは、ごく普通の村人に過ぎなかったカインの心を、優しく、けれど確実に麻痺させていった。
* * *
その日の夜、野営の見張りを終えたカインは、幕舎の中で一人、右手の布を解いた。
「っ……!」
月明かりに照らされた己の腕を見て、カインは言葉を失った。
手首まで伸びていた不気味な黒い脈動は、いまや前腕の中央あたりまで血管のように根を張り巡らせていた。それだけではない。皮膚の表面には、禍々しい刺青のような黒い紋様が、くっきりと浮かび上がっているのだ。
だが――不思議なことに、以前感じたような恐怖はなかった。
(……痛みもないし、体調もすごく良い。むしろ、前よりも身体が軽くて、力が湧いてくるみたいだ)
カインは黒い紋様に覆われた右手の拳を、ぎゅっと握りしめた。
指先まで漲る、人間離れした圧倒的なエネルギー。かつては恐ろしいと感じていた柄の冷たさが、今では心地よいとさえ感じてしまう。
『――そうだ……それでいい……――』
頭の奥底で、あの不気味な声が甘く囁いた。
『――力を恐れるな……お前は選ばれた存在だ……その力で全てを支配せよ……――』
「……そうだ。僕は……僕の力でみんなを守るんだ……」
カインはうっとりとした表情で呟いた。
黒い紋様が不気味に蠢き、一瞬だけ怪しく紫色に発光したことに、カイン自身は全く気づいていなかった。
自分は仲間を守る勇者であるという「正しい理由」を盾にして、カインは少しずつ、魔剣がもたらす圧倒的な破壊の魅力に毒されていく。
不吉な紋様は、英雄の誕生を祝福する印などではなく、一人の青年が『魔王』へと堕ちていくカウントダウンの始まりであった。




