第三章 仲良しスイーツ大作戦
はぐれ星に招待されて、あっという間に一週間が過ぎた。お城での生活に慣れてきて、少しずつだけど他の皆とも話す機会が増えていた。アオイくんは相変わらず誰ともつるまないし、私のことは意図的に避けているようにすら見えるけれど。
皆と仲良くなりたいのはもちろんとして、私が一番気になるのはやっぱりアオイくんのことだった。どうしたらもっとお話できるのかな……そんな風にぼんやり考え事をしながら、私が今やっていることは――。
「止まれトトリ。それ以上はいけない」
静かな、だけど凛とした声に私は我に返る。
「生地を混ぜすぎると焼いた時の膨らみが悪くなってしまう。粉っぽさがなくなれば十分だ」
「わ、わかりました!……ごめんなさいクラレットさん、私ってばぼんやりしちゃって」
私は今、パティシエのクラレットさんに教わりながら、マドレーヌ作りに挑戦していた。ある人物に提案された『仲良しスイーツ大作戦』を実行するためだ。ボウルの中にふるった粉を混ぜて、次に溶かしたバターも加えて混ぜていく。
「いや、上出来だ。しばらく生地を休める必要があるから、その間トトリ達も休憩するといい」
「はい、続きもご指導よろしくお願いします!」
「トトリお姉ちゃん、マドレーヌ楽しみだね」
「兄ちゃんもいたら一緒に出来たてを食べられたのにな~」
私とマドレーヌ作りに挑戦している、可愛い年下の二人組。魔族の子供であるスノウちゃんとウーニャくん。ご家族が星の探索へ出ている間、幼い二人はお城で留守番をしているんだそう。退屈していた二人は新しく招かれた私に興味津々で、何度も遊びに誘われているうちに仲良くなっていった。
「うん、上手に焼けるといいね。すぐ食べてもいいけど、プレゼント用にラッピングするのもきっと楽しいよ」
「仲良し大作戦♪仲良し大作戦♪」
『仲良しスイーツ大作戦』を提案してくれたスノウちゃんは、人間のお父さんと植物の魔族であるお母さんの間に生まれた半魔の女の子。お父さん似だから見た目はほとんど人間と同じで、淡い栗色の髪から見える耳が少し尖っているくらいだった。スノウちゃんは今『〇〇言葉』にハマっているそうで、それはお母さんが教えてくれた花言葉がきっかけだとか。
「お菓子言葉なんてあるの、私知らなかったなあ。スノウちゃんは物知りなんだね」
「うん!お父さんが持ってる本に書いてあったんだよ」
「俺は難しいからよくわかんない。絵がたくさん描いてある本が好き!」
「あはは、私も絵が多いと助かるかも」
ウーニャくんは狼の魔族で、大きな獣耳が特徴のやんちゃな男の子。ご両親とお兄さんがそれぞれ別部隊を率いて星の探索に出ているそうで、自分も大人になったら外へ行けるんだ!と無邪気に笑っていた。
「マドレーヌのお菓子言葉は『あなたと仲良くなりたい』だったよね」
「うん!だから、仲良し大作戦だよ」
三十日後、星を去るまでに皆と仲良くなってたくさん思い出を作りたい私は、スノウちゃんから教わったマドレーヌのお菓子言葉に自分の気持ちを乗せて、お城の皆にプレゼントしようと考えた。それが今回の作戦。
「でも、仲良くなりたい一人であるクラレットさんに手伝ってもらってるのは、なんだか申し訳ないな……」
とはいえ、お菓子なんて一人で作れないから、しょうがないんだけど。
「なんで?一緒に作るのも楽しいからいいじゃん!それも仲良し大作戦だよな、スノウ!」
「そうで~す!」
「そっか、一緒に作る時間も思い出のひとつになるよね。……よーし!頑張って作って、出来上がったら一番最初はクラレットさんと一緒に食べようね」
私がそう言うと、あんなにはしゃいでいた二人が急に静まり返った。え、どうしよう……私何か変なこと言っちゃったのかな?そう心配していると、ウーニャくんがぼそっと呟いた。
「……食べてくれるのかな。俺クラレットが何か食べてるところ、一度も見たことないんだけど」
*
休ませたマドレーヌの生地は可愛い貝殻の型へ流し込まれ、あとはふんわりと焼き上がるように祈るのみだった。クラレットさんは洗い物をテキパキと片付けている。私は手伝いを申し出たけれど、お菓子作りは思っているよりも体力を消耗するため腕がくたくたになっていた。それをクラレットさんに見抜かれたのか、休んでいるよう促された。
スノウちゃんとウーニャくんは、キッチンから見える中庭で楽しそうに遊んでいる。元気だなあ。私は一人、魔力で動いている異世界のオーブンをじっと眺めながら、さっきのウーニャくんの言葉を思い出していた。食べるところを見たことがない……ってどういうことだろう。でも確かにここへ来て一週間の私も、食堂でクラレットさんと一緒になったことはなかった。食事の必要がないのは、ぬいぐるみのステラくらいだと思っているけど、クラレットさんもそうなのかな?
私はクラレットさんの方をちらりと見た。落ち着いた雰囲気であまり口数は多くないけれど、不愛想とか怖いといった印象はなく、私にとっては話しかけやすいタイプだ。背が高くて大きな瞳と長い睫毛が印象的な、とても綺麗で中性的な人。いつもお菓子を作っているからなのか、甘い香りを纏っている。う~ん、見た目だけならクラレットさんは魔族より人間って感じがするけどな。
「……トトリ、また考え事か?」
「わっ!クラレットさん、おかえりなさい」
声をかけられ意識が戻る頃には、マドレーヌはしっとりと綺麗に焼き上がっていて、辺りに良い匂いが漂っていた。あとは粗熱が取れるまで待ち、型から外していく。匂いに誘われたスノウちゃんとウーニャくんが顔を出したけど、冷めるまで待つように言われるとまた中庭へ戻って行った。
「綺麗に焼けているな、凄いぞトトリ」
「ありがとうございます!」
「よし、あとはしっかりと冷ましてからラッピングするように」
「それなんですけど……このあとラッピング前に皆で出来立てを食べるんです。クラレットさんも一緒にどうかなって」
「……いや、私は気にするな。その分マロンに食べさせてやるといい。あいつは私のお菓子が好きなんだ」
そう言うとクラレットさんはキッチンを出て行ってしまった。きっちり無駄のないその動きには引き留める隙がなかった。でも……一瞬複雑そうな表情を見せたのは、私の気のせいだったのかな。
「おいしい~!」
出来立てのマドレーヌは、自分達が一生懸命作ったという達成感も合わさり、今まで食べたどのマドレーヌよりも美味しかった。スノウちゃんとウーニャくんも夢中で頬張っていて、プレゼント用にたくさん焼いたマドレーヌ達が、油断しているとあっという間にお腹へ消えていってしまいそうだった。
「トトリお姉ちゃん、これなら皆喜んでくれるね」
「うん、こんなに美味しく作れるなんて感動しちゃう……あとでクラレットさんにはもう一度お礼を伝えなくちゃ」
「……でもやっぱり俺が言った通りだったんだね」
ウーニャくんは食べる手を止めて不思議そうに話す。
「こんなに美味しいものを作れるなら、その味を知ってなきゃおかしいじゃん。クラレット、食べないんじゃなくて食べるのを我慢してるんじゃないの?」
「我慢って……どうして?」
「それはわかんないけど、クラレットが使ってる砂糖はフェザーさんが料理に使う砂糖と違う特別なものって言ってたから……その節約とか?」
確かにクラレットさんにマドレーヌ作りを教わる中で一番驚いたのは、見たことのないピンク色の砂糖を使っていたことだった。ステラの魔力で故郷の星から取り寄せていると話していたので、ここにはない貴重なものなんだと思う。
「皆に食べてもらいたいから自分は我慢するってこと?そんなのダメ!全然仲良しじゃないよお」
「スノウちゃん……そうだね、これは『仲良し大作戦』だもんね」
「ねえトトリお姉ちゃん、クラレットさんの分も可愛く包んで持って行ってあげようよ」
「うん、そうしよう」
そう言って、マドレーヌをひとつずつ丁寧にラッピングした私達は、城にいる他の皆へ早速届けに向かった。
*
ちょうどフェザーさん、ベルナールさん、マロンちゃんがキッチン横の食堂にいたので声をかける。
「くんくん……あんたたち、なにかもってるわね」
マロンちゃんが鼻をヒクヒク動かしながら尻尾を振っている。犬が喋る姿にも、一週間もすれば慣れてくるものだ。ちなみにマロンちゃんはここへ招待された際に浴びた魔力の影響で、言葉だけじゃなく食べ物に関しても何でも食べられる体質に変化したそうだ。そしてベルナールさんとふたり、城でもトップクラスの食いしん坊。きっとマドレーヌも大好きだろう。
「実は三人でマドレーヌを作ったんです。クラレットさんに教わったから、とびきり美味しく出来上がりました」
「マジか、あいつの作る菓子美味いんだよなあ。それをお前達が?……へえ、やるじゃねえか!」
ベルナールさんは豪快に笑って私達三人の頭を順番にわしゃわしゃと撫でると、マロンちゃんと自分の分を受け取り、二人はその場ですぐに食べてくれた。
「嫌だよこの男は、今コーヒーでも淹れようと思ったのに」
飲み物を用意しようとしていたフェザーさんが苦笑いする。美味い、美味いとあっという間に完食したベルナールさんを見て、私は嬉しくなった。この間まで小学生だった私にとって、ベルナールさんのような大人の男性ははぐれ者の中でも特に接する機会のないタイプの人だったので、初めて会ったときは少し怖かったことを覚えている。
「ベルナール、ちゃんと味の感想も言ってくれよ」
「ああ悪い、でも本当に美味いときって言葉出てこないもんだからな。……兄ちゃん帰ってくるの明後日だったか?きっと喜ぶぞ」
「いーや、兄ちゃんにはまた今度出来立てを渡すんだ。今回はトトリの作戦に協力してるから」
「作戦?」
三人はウーニャくんの言葉にきょとんとした顔で首をかしげている。しまった、という表情で私に助けを求めるウーニャくんと目が合った。私は少し照れながら正直に伝える。先日私の決意を聞いてくれたフェザーさんは、なるほどと頷きながら温かいコーヒーと共にマドレーヌを喜んで食べてくれて、この城の皆は甘い物が好きだから心配しなくていいと教えてくれた。マロンちゃんはマドレーヌを余程気に入ったのか、「じゃ、あたしたちはもう親友ね!ってことで、おかわりしてもいいかしら」と笑う。そうしてしばらくの間雑談が続き、後からやって来たステラとアカリちゃんも加わると、話はクラレットさんの話題になっていった。
「クラレットが食事をしないっていうのは事実でふよ。あの子はちょっと特殊な存在でふからね」
「特殊?」
「ボクと似ているような違うような……まあいろんな存在がいるんでふよ」
本人のいないところであまり語りたくないのか、ステラはもごもごとごまかしている。……確かに何か事情があるのなら、ここで聞いて理解した気になるのは違うと思った。
「気になるなら直接聞けばいいんじゃねえの?」とベルナールさんが言う。
「ええっ……そんな直球な……」
「俺クラレットとはそこそこ話すけどよ。あいつは無駄のない性格してるから必要ないことを自分から話さないんだ。でも質問したら普通に答えてくれたぞ」
「ってことはベルナール、クラレットちゃんのことを知ってるのですか~?」
「まあな。誰だって気にかけるだろ、飯食わなかったら普通は死んじまうんだからよ」
「……よくわかんないけど、クラレットは自分だけ我慢しているわけじゃないんだよな?」とウーニャくんが真剣な顔で言う。
「楽しいことと美味いものは皆で分け合えっていうのが俺達オオカミ族のルールなんだ。クラレットが無理しているならやめさせるところだった」
「……無理はしてねえと思う。治したかったらドクターに診てもらえって言ってあるしな」
「……?」
私はベルナールさんの言ったことが気になった。……クラレットさん、もしかしてどこか悪いのかな?じゃあやっぱり、今は無理にマドレーヌを渡すべきじゃないのかもしれない。
「マロンちゃん、あのね……」
先程クラレットさんが言った通り、余る分はマロンちゃんに食べてもらおうと思った。だけど……。
「あら、さすがのマロンもそれはうけとれないわね。クラレットにひつようなものかもしれないじゃないの」
「必要なもの?」
「それは、ええと……とにかく!わたすまえからかってにあきらめるなんて、トトリはちょっと弱虫なんじゃない?弱虫はいざってとき、生きのこれないのよ」
「う……」
自分の一番直すべき点を指摘されてしまった。マロンちゃん……喋ること以外は普通のふわふわで可愛い小型犬なのに、この修羅場を潜り抜けてきたような強者感は一体どこから出てくるんだろう。
「トトリお姉ちゃん、私はやっぱりクラレットさんにあげたいなあ」
「うん……そうだね、ごめんねスノウちゃん」
これは『仲良し大作戦』――大切なことは、相手を知ること。気持ちを伝えること。……勇気を出すんだ。私は残りのマドレーヌが入った紙袋の持ち手をぎゅっと握りしめ、皆に見送られながら食堂を後にした。
*
引き続きスノウちゃん、ウーニャくんと三人で『仲良し大作戦』を遂行する。クラレットさんを探して城を見て回っているとテオさんとエマさんに出会ったので、私は二人の為に準備していたマドレーヌのプレゼントに成功した。
「わあ、おいしそう~。ありがとねぇトトリちゃん」
「あ、でもエマちゃんは今薬飲んだばっかりだから……あとで食べようか。オイラもその時いただくよ。い、一緒に食べたいし……」
「え、エマさん体調悪いんですか?」
「ううん、元気だよぉ。子供の頃はあちこち悪くしていたんだけど、最近は薬もちょびっとだけになったの」
「ドクターなら大抵の病気を治してくれるからな。あ、ドクターっていうのはこの城の医療を担当している魔族のじいさんで……」
「ドラセナ様はスノウちゃんのおじいちゃんだねぇ」
「そうで~す!」
ドクターと呼ばれるドラセナさんは、魔族の中で最も長く生きている植物の魔族で、怪我をした遠征部隊の治療や、城に残るはぐれ者たちの健康管理をしているということだった。同じく植物の魔族であるスノウちゃんのお母さん――リリローゼさんというらしい――の父親。つまりスノウちゃんのおじいさん。この一週間、まだ一度も会っていないので他に残っている魔族がいたなんて知らなかった。あとでちゃんとご挨拶に行こう。
「そういえばドクターの部屋へ向かう時、クラレットとすれ違ったんだよな」
「え?」
「あの辺で見かけることないから珍しいなって思ったんだ。まだ近くにいるかもしれないよ」
そう言ってテオさんがドラセナさんの部屋がある方向に指を差す。私は先程のベルナールさんの言葉を思い出していた。
『治したかったらドクターに診てもらえって言ってあるしな』
やっぱり、クラレットさんには治療が必要な何かがあるんだ。それなのに……これから私がすることは、余計なお世話なのかもしれない。ただの、自分の気持ちの押し付けでしかないのかもしれないけど……。
「テオさん、教えてくれてありがとうございます!」
「あっ!待ってトトリお姉ちゃん!」
それでも私は、考えるより先に走り出していた。
二人を置いてきてしまったことを自覚しながら、それでも止まることなく走り続けた。ここが学校の廊下だったら先生に怒られちゃうな。
「はあ、はあ……クラレットさん!」
「トトリ?どうしたんだ、そんなに息を切らして」
呼吸を整えようと思ったけれど、そうやって落ち着かせるとまた私は、酸素と一緒に言いたいことまできっと飲み込んでしまう。だから今はこの勢いに任せたい。
「あの、これ……っ」
「それはマドレーヌ……トトリ、だから私の分は……」
「受け取ってとは言わないです、何か事情があるんですよね?でも……このマドレーヌに込めた気持ちだけでも伝えたくて……!」
「!」
「私、たった三十日だけど、家に帰っちゃうことは決まっているけど。それでもここで過ごす時間を、ずっと忘れないで持っていきたいから、だから……『あなたと仲良くなりたい』です!」
「……それはマドレーヌのお菓子言葉、だな」
「はい、皆と仲良くなりたくて。でもクラレットさんが食事をしないって知らなかったから……」
「ああなるほど……ステラか、もしくはベルナールが言ったのか。私のことでたくさん悩ませてしまって、トトリには悪いことをしたな」
「そ、そんなこと」
「どこまで聞いているかわからないが、私が食事をしない理由はふたつある。ひとつは単純に必要がない。私は人間ではなく人形……お菓子でできた人形なんだ」
「え!」
「そしてもうひとつが……私にはどうやら、味覚が備わっていないらしい」
「味覚が……?そんな、だってパティシエなのに」
「そう、だからどのお菓子がどんな味で、どう作れば美味しく仕上がるか……それはすべて、私の中に眠る『製造者』の記憶によって再現可能となる」
「???」
「ベルナールはドラセナになら私の味覚を治せるかもしれないと言った。だけど私には、それに向き合うだけの勇気がなかった。だから今までずっと逃げて……こうやってドラセナの部屋へ向かおうとしても、結局何も出来ずに……」
クラレットさんのお話は、ところどころ難しくてすぐに理解できない部分もあったけれど、勇気を出すのが難しい気持ちは痛いほどよくわかった。私が今、走って乱れた呼吸はもう整っているのに心臓がバクバクしているのは、なけなしの勇気を振り絞ったせいだから。暴れる胸に手を当てて次の言葉を探していると、クラレットさんはかがんで私と同じ目線になった。その艶やかなイチゴ色の瞳がお菓子でできているなんて信じられない私は、目の前の綺麗な顔に釘付けとなった。
「お菓子には作った者の気持ちが込められている。それを受け止めて、噛み締めて、それらすべてをひっくるめて『美味しい』と感じるのだろう。……私に味覚はないけれど、トトリの気持ちを自分の中で大切にしていきたい。マドレーヌ、受け取っていいだろうか?」
「……も、もちろんです!」
「ありがとう、トトリ。私達はこうやってお菓子を自分に贈られて初めて、パティシエとして一番大切なことに気付けたようだ」
「トトリお姉ちゃ~ん!」
「やーっと見つけた、トトリって俺より足速いんじゃない……って、あれ?」
「あっ二人共!ご、ごめんね……夢中で走ってきたから置き去りになっちゃったよね」
置いてけぼりにしてしまったスノウちゃんとウーニャくんへ慌てて謝罪をする。自分で付き合わせたことなのに、最後の最後は一人で暴走してしまって……『お姉ちゃん』のすることではなかった。
「……んーん、大丈夫!だってなんか、上手くいったみたいじゃん」
「うん、『仲良しスイーツ大作戦』大成功だね~」
私はまだ何も伝えていないのに、二人はこちらを見て満足そうにニコニコと笑っている。どうしてわかったんだろう……と不思議に思っていると、誰かが私の頭にそっと手を置き、優しく撫でてくれた。――ううん、誰かなんて、そんなのわかりきっていた。顔を見上げるとその手の持ち主であるクラレットさんは、今までで一番柔らかく、甘い表情で私に微笑んでいる。先程渡したマドレーヌの袋はいつの間にか空になっていて、そして私にだけ届くような、小さな声で一言――「美味しかった」と……確かにそう伝えてくれた。
*
大成功した『仲良しスイーツ大作戦』のチームは解散し、私は自分の部屋に戻っていた。だけどこの作戦はまだ終わっていない。私の手元にはあとひとつ、マドレーヌが残されていた。石造りの廊下に響く足音へ耳を集中させる。しばらくするとコツ、コツという音が一人分聞こえてきた。……相手は止まってくれない。こちらの覚悟が決まるのを待ってはくれない。私はありったけの勇気を自分の喉へ集めて、足音の持ち主に声をかけた。
「アオイくん、ちょっといいかな……?」
返事はない。こちらに振り向くこともない。だけど歩みは止めてくれたから、私はちょっと図々しいかな、くらいの気持ちで話し続ける。
「あのね、今日クラレットさんに教わってマドレーヌを作ったんだよ。皆にプレゼントしてきたの。それでアオイくんにも――」
「『あなたと仲良くなりたい』だっけ?」
「えっ」
「あんたの声、結構うるさいよね。廊下にすごく響いてた」
「……っ、……っ」
それって絶対、さっきクラレットさんに話したことだよね?アオイくんに聞こえていたんだ……ていうかもしかして、他の皆にも?私は自分の顔に熱が集中するのを感じ、恥ずかしくてたまらなくなった。そうなるともう、次の言葉がなかなか出てこない。
「はあ……もう。だからなんでそうやって黙るのさ。あんなに大きい声出せるなら、さっさと用件言ってもらえます?」
「あ、うん……もちろんアオイくんの分もあり、ます」
ぼそぼそと小さな声で、最後は何故か敬語になってしまった。こんなはずじゃなかったのに。
「俺、あんたとよろしくする必要はないって言ったけど?」
「……でも、私にはあるの」
「話すことなんてないって伝えたけど?」
「私は話したいの」
「クラレットには受け取ってと言わなかったのに、俺には何が何でも押し付けるつもり?」
「そ、そんな言い方しなくても……っ!」
「……ねえ、ひとつだけ約束してよ」
「え……?」
「俺はあんたと違って家には戻らない。絶対に。……だからここで見たこと聞いたことを、戻ったあと絶対誰にも言わないで。こんな摩訶不思議な出来事を真に受けて、俺を追いかけてこようとする人間だっていることを……覚えておいて」
「アオイくん……」
「それならもう無視しないし、そっちの話くらい聞いてあげる」
「も、もちろん……!最初からそのつもりだよ、誰にも言わない私だけの思い出にするの」
「あっそ。好きにしたら」
素っ気ないけれど、初めてこんなに長くアオイくんと会話が続いて私は嬉しかった。だから「ん」と差し出された手の意味に気付くのがちょっとだけ遅れて。仲良しの証に握手してくれるのかな、なんて思っちゃったりして。手を握ろうとしたらするりとかわされて……。
「……握手なんてしないけど。マドレーヌ、俺の分」
「……そっ、そうだよね!?ごめん変な事しちゃって……!」
「はあ、あんたの声やっぱうるさ……」
「うう……」
「ま、いいか。――もぐ。このマドレーヌの美味しさに免じて許してあげる」
ちょっとだけ意地悪で、でも私が話しやすいように誘導してくれた気もして、アオイくんがどんな子なのかまだわからないけれど。
『お菓子には作った者の気持ちが込められている。それを受け止めて、噛み締めて、それらすべてをひっくるめて『美味しい』と感じるのだろう』
――美味しいって言ってもらえたから。今はそれで十分だった。




