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はぐれ者の星  作者: 宇奈月 翠


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【回想 フェザー編】 大きなお腹のはぐれ者

 新しく招待されたはぐれ者――トトリというその少女は、母親が心配するので家に帰りたいと話していた。居場所を失っていない者をこの城に閉じ込めておくのは私も賛成できない。せめてこの三十日間を少しでも楽しく過ごせるように、彼女の母親役ができればいいと私は考えた。

 どうにも臆病で人見知りの激しい子供のようだった。ずっと強張った表情のままで、傷つかないように自分の言葉を隠しているのだとわかった。そんなあの子へのアドバイスがこれだ。

 「嘘をつかないこと、なんて……どの口が言っているんだか」

 

 たったひとつの嘘で、私は最愛の人を失った。

 大切にしたかった自分の居場所を、自分で壊したんだ。

 

 *


 青い空と青い海に囲まれた、人口三百人程度の小さな島国。それが私の故郷。そんな小さな国を治めて満足し、偉そうにふんぞり返る王族。それが私の家族。王位を巡って二人の兄は毎日、お互いを出し抜こうと水面下で争いを続けていた。国も小さければそれを治める人間も小さい。狭くて息苦しい、鳥籠のような国の王女に生まれた。それが――私。


 王位継承権のない女の私は、誰にも構われず放置されて育った。だけど寂しくはない。この鳥籠のような城が私は大嫌いだったから、城の外へ抜け出すために放っておかれるのは好都合だった。王女の身分を隠し、毎日のように民の暮らしを覗き見て、伸び伸びと空を飛ぶ鳥たちのように自由を味わった。今この瞬間だけは上手に息ができている……そう思えたから。

 あの人に出会ったのは十八歳の時。気の向くままに何時間も整地されていないデコボコの道を歩き続けていた私は、履いていた華やかなヒールの靴で足を痛めてしまった。城へ戻るための羽を失ったかのように途方に暮れていると、一人の青年が私に声をかけた。

 それがヴァン――生涯この人だけと誓った、私の最愛の人である。


 「どうしたの?足が痛いの?」

 「え、ええ……靴が合わなかったみたい」

 「僕の家へおいでよ。すぐそこ。僕は靴職人だからね、君に合う新しい靴を用意してあげよう」

 そう言って、ヴァンは見ず知らずの私を家に招いた。こじんまりとした木造の家に靴を作る道具や材料が集められていて、生活スペースは隅っこへ追いやられていた。お世辞にも裕福そうには思えない。

 「ねえ、私今日お金を持ってきていないの。こんなこと、悪いわ」

 「でもその靴じゃもう歩けないんでしょう?わあ、凄く素敵な靴!上質なレザーに大粒のパール……こんな靴見たことないよ!君はお姫様なの?」

 私はどきっとした。民の間で王家の人間はあまり評判がよくないのだと、外へ出るようになって初めて知った私は、自分の身分を知られるのが恐ろしくて――だからとっさに否定した。

 「ち、違うわ。ただの貰い物よ。だからほら……歩き慣れていなくて、足が血だらけでしょう?」

 「わあ、本当だ。靴よりもまず、君の足を手当しなくちゃいけないね」

 ヴァンは終始のんびりとした穏やかな青年で、私のことをこれっぽっちも疑わずに、話すことすべてを丸ごと信じてくれる人だった。

 切り傷やマメができているゴツゴツとした手で、優しく包帯を巻いてくれる。おんぼろのベッドに腰掛けながら、銀色の前髪の奥に見える青空のような瞳を私は静かに見つめていた。

 「ねえ、あの靴が気に入ったなら貴方にあげるわ。職人から見てそんなに良い物ってことは、売れば代金の代わりになるでしょう?」

 「駄目だよ。君はさっき、あの靴は貰い物だと言っていたじゃないか。そんな大事な靴を簡単に手放さないで」

 「でも、もう痛くて履けないから処分することになるわ。それに靴を買ってくれた人はきっと、存在ごと忘れているわよ」

 これは本当だった。城の人間は私の服や靴なんていちいち気にしていない。今日だって靴を履き替えて帰っても、誰も気付きやしない。私に関心がないのだから。

 「……じゃあこうしよう、この靴を飾っているパールを僕が新しく作る靴に使わせて。変わらず君の足元で輝いてほしいから」

 「でもそれじゃ換金できなくなるわよ」

 「いいんだ。僕のお金になるよりも、その方がずっと素敵だ」

 「……貴方がいいなら、それで」

 「ありがとう。それと、僕の名前はヴァンだよ」

 「私……私はフェザー」

 本名を伝えるべきか、一瞬躊躇った。だけど私はこの人に――ヴァンには自分の名前を呼んでほしいと思った。きっともう、この時私は恋に落ちていたんだろう。


 *


 この日以降、私が城を抜け出して向かう先はヴァンの店になった。ヴァンが作ってくれた柔らかいレザーのフラットシューズを履いて、今まで以上に軽やかな気持ちで、それこそ、今にも空を飛べそうだと浮かれていた。

 私が恋に落ちたように、ヴァンも私を好きだと言ってくれた。私の目を見て真っ直ぐと。誰かの視線の先に自分がいるという事実は、それだけで私を救った。こうして私は身分を隠したままヴァンと逢瀬を重ね、親密になっていった。

 数か月が過ぎた頃、私は今までに経験したことがない体調不良で目を覚ます。体は熱っぽく、食べたものは戻してしまい、猛烈な眠気にも襲われた。全身が休めとサインを出しているかのようだったが、それでも私は城を出た。――ヴァンに会いたかったから。私の居場所はとっくに、この鳥籠ではなくヴァンの隣になっていたのだ。

 「こんなに体調が悪いなら、家で休んでいなきゃ駄目だよ」

 店に着くなり倒れこんだ私をベッドへ運んだヴァンは、珍しく私を叱った。家のことを一切話せない私は、黙ってそれを聞いているしかなく……気まずくなりそうな空気の中、一人の女性が訪ねてきた。隣で小料理屋を営むポプラさん。ヴァンの店に入り浸る中で私は町の人達と親しくなり、特にポプラさんからは今まで経験のなかった料理を教わるのが楽しみのひとつとなっていた。ポプラさんは私の様子を見るなり、耳元でこう言った。

 「……フェザー、あんた月のものが止まっているんじゃないのかい?」

 月のもの、つまり月経のことだ。いくら私が世間知らずの小娘でも、この言葉に何も感じないわけがなく、顔から血の気が引いていくのを感じた。


 検査の結果、私は妊娠していることがわかった。


 ヴァンは喜んで、結婚しようと言ってくれた。私が普通の家の娘なら喜んでそうしただろう。だけど……。

 「こらヴァン、そんなこと二人だけで決められるものじゃないだろう。フェザーにも報告すべき家族がいるんだからね」

 ポプラさんがはしゃぐ彼を落ち着かせている。大好きな人の子を授かり、それを相手が喜んでくれているというのに、どうして私はこんなに落ち込んでいるんだろう。

 「……」

 私は言えなかった。自分の身分を。こんな大事な時でも保身を選んでしまった。だって、今まで身分を隠して王家の人間が庶民ごっこをしていたなんて、皆にどんな顔をされるだろう。ヴァンに嫌われるんじゃないか――そう思うと、私は途端に何も話せなくなる。でも、そんな私をヴァンはやっぱり丸ごと信じてくれて。

 「報告はフェザーの体調が落ち着いてからにしようか。ほら、順番が逆になったからきっと怒られちゃうし……今はそういうストレス良くないでしょ?」

 「そう、ね……」

 その優しさに甘えて、自分に都合の悪いすべてのことから目を逸らし続けた。

 私は今まで通り城とヴァンの店を行き来していた。けれど、羽のように軽やかな気持ちは日に日に薄れていき、順調に育っている子供と同じ分だけ、罪悪感も大きく重くなっていくのがわかった。

 安定期に入り、わかりやすくお腹が大きくなり始めてからも、相変わらず私に無関心の城の人間達は誰一人私の妊娠に気付いていない。だから大丈夫だと思った。この城に私を必要とする者はいない。それなら私は王族としての何もかもを手放して、あのこじんまりとした店でヴァンの仕事を見守りながら子供を育てる。ポプラさんや町の人達と交流をしながら、ひっそりと、でもとても穏やかな日々を過ごして、おばあちゃんになるまでこの人と一緒に居られると……それが許されるのだと考えていた。

 それなのに、妊娠の報告を受けた国王――私の父親は激怒して、私を自室へ閉じ込めた。ヴァンは罪人として連行されていった。


 *


 「出して!ヴァンに何かしたら絶対許さないわよ!」

 何度も部屋のドアを叩き、声を上げる。見張りがすぐそこにいるのはわかっていた。私の声は嫌になるほど聞こえているはずなのに、よく何時間もそこで平気にしていられるものだ。

 「まったく、お前は一応この国の王女なんだから、もう少しお淑やかにできないのか」

 突然開くはずのないドアが開き、私は思わずたじろいだ。

 「カヌス兄様……」

 目の前に現れたのは私の次兄、カヌス。長兄のラルスと共にこの国の王位継承者として、その座を巡って毎日水面下で激しい争いを繰り広げている男だ。父である国王はラルスを後継者にしたいようだったが、このカヌスはそれを認めようとしない。理由はラルスとカヌスが同い年――双子の兄弟だったからだ。

 「可哀想な妹よ、僕が助けてあげようか」

 「……何を企んでるの?私、カヌス兄様の声を久しぶりに聞いたわ。もう少しで忘れるところだった」

 「ふん、生意気を言える立場か?……まあいい、お前が今一番知りたいことを教えてやるよ。あの男の処遇について……な」

 「!」

 「ま、王女と知りながらお前に近付き、孕ませたんだ。……問答無用で死刑さ」

 「嘘よ、どうせ貴方達が一方的に決めたことでしょう?だって私は身分を明かしていない……ヴァンが私のことを知っているわけないわ。あの人は、私に騙されたのよ!」

 「本人がそう言っていたんだよ」

 「え……?」

 「来い。あの男に会わせてやる。いいか?僕は国王陛下やラルスと違って、お前達二人を助けてやりたいんだ」

 カヌスが本心から私達を助けたいなんて思うはずがない、それは頭でわかっていた。それでも今は言う通りにするしかない。私は一刻も早く、ヴァンに会って話がしたかった。


 「ヴァン!」

 ヴァンは城の地下牢に閉じ込められていた。拷問などを受けた痕跡はなく、食事も与えられているようで安心した。早くここから救い出さなくては。いつ刑が執行されるのかは、カヌスも知らされていないのだという。

 「フェザー、ごめんね。たくさん泣いた顔をしている……僕のせいだね」

 「違う、ヴァンのせいじゃない!私が大事なことを伝えなかったから……貴方に嘘をついて、それでこんな目に……」

 「ううん。最初から知っていたんだ」

 「え……」

 「僕は君がフェザー王女だって知っていた。知っていてあの日君に声をかけたんだよ。だから全部、僕のせい」

 「どういうこと……?」

 「僕だけじゃないよ、町の皆も知っていた。当たり前だよね?自分の国のお姫様だもの。でも君は王女であることを知られたくないようだったから、皆それに合わせてくれたんだ」

 「皆……私に気を遣って……」

 「フェザー、僕はね……子供の頃に初めて見たパレードで君を見つけた瞬間、生まれて初めて恋をしたんだ。それまで王家の人間は良い噂を聞かなかったけど、君は僕達国民をとてもキラキラした瞳で愛おしそうに見ていたでしょ?僕はすっかり心を奪われた。その恋は決して叶わないとわかっていても、君の幸せを願うだけで僕の毎日は満たされていったんだ」

 パレードのことは私も覚えている。退屈な城と違って活気に溢れた民の暮らす町に、私はずっと憧れていたから。私に言わせればキラキラしているのは皆の方だった。

 「……言ってくれたら良かったのに」

 絞り出すようにそう零した私は、なんてずるい人間なんだろう。自分だって黙っていたくせに。

 「言えなかったんだ……君に嫌われたくなくて。薄汚い靴職人の男が王女をそんな目で見るなんて、許されることじゃないから」

 「……」

 「最初は少しの間話せるだけでも十分だった。君の瞳に僕が映る、それだけで奇跡みたいな出来事なんだって。それ以上はいけないことだと頭でわかっていたんだよ。でも想いが通じ合っていると知って、止められなくなった。だから全部、僕が悪いんだ」

 

 ――ああ、そうだったんだ。私とヴァンは同じだ。二人とも束の間の幸せのために大切なことを隠して、それでバチが当たった。最初からちゃんと何もかも伝えられていたら。この人と結婚したいって、順番を間違えず父に頭を下げることが出来ていたら。そうしたらきっと、今と違う未来があったかもしれないのに。

 

 「カヌス王子、僕は自分の刑を受け入れます。……フェザー、君の夫として、子供の父親として傍にいられなくてごめん」

 「嫌よ!カヌス兄様、私達を助けてくれるって言ったわよね?私達はこの城も、権力も、何もいらない。兄様の邪魔になるようなことは一切するつもりないのよ。ただ、一緒になりたいだけ……」

 「無論。国王陛下も、ラルスも、自分達の評判を何もわかっていない愚か者だ。ここでヴァンを処刑すれば今までの不満が爆発して、暴動が起きることくらいわかるだろうに」

 「じゃあ……」

 「僕はそれを止める。その先はお前達の好きにすればいいさ」

 そうだ。城の人間は私に関心がない。自分達の地位さえ安泰なら他の事などすべてどうでもいい、それが私の家族だ。私達が王家の邪魔にならないことさえわかってもらえたら……そうすればきっとヴァンを助けられる。


 *


 「ならぬ」

 「お父様!」

 ヴァンを地下牢に残したまま、私は父である国王陛下と兄達へひとり頭を下げていた。けれど、何度説明しても父の理解は得られなかった。

 「あの男を信用してはならん。お前に靴を贈ったそうだな?身分が上の者……ましてや王女だと知りながら靴を贈るとは、無礼にも程がある!」

 「ヴァンは靴職人なのよ。私が足を痛めたから別の靴を作ってくれただけで、何も企んでなんかない!」

 私は知らなかったことだけど、身分が上の者へ『踏みつける』ための靴を贈ることはとても失礼なことだと父は言う。そんなの受け取る人間がひねくれてるだけでしょう?私にとってヴァンの靴は、どこにでも行ける羽のようなお守りだというのに。

 「フェザー、確かにお前自身に王位継承権はない」

 「そうよ!だからヴァンはお父様の邪魔にならないって、何度もそう言ってるじゃない!」

 「では、そのお腹にいる子供はどうだ?」

 「え?」

 「先日受けた検診で子供の性別が判明した。お前の腹には王家の血を継ぐ――男児がいる」

 「!」

 「へえ……男児、ね」

 それまで顔色ひとつ変えず黙っていたラルスが不敵な笑みを浮かべる。黙っていろと隣のカヌスが制止し、父は会話を続けた。

 「生まれてくるお前達の子供には、王位継承権を与えられる。あの男がそれを利用しない保証など、どこにある?」

 「放棄するわ、そんなものいらない!」

 「お前の意見ではない!……いいかフェザー、野心のない男などおらぬ。貧乏暮らしの靴職人が王女との間に男児を授かり、今以上の生活を、権力を望まないわけがないのだよ」

 「ヴァンはそんな人じゃない!何も知らないくせに……今まで何も見ていなかったくせに、偉そうに私の人生へ指図しないでよ!」

 あの日、ヴァンは私の靴に飾られたパールをそっと外し、ひとつ残らず慎重に新しい靴へ付けていた。そのパールは今も私の足元で輝いている。ヴァンが望むのはそういうことだ。……貴方達と一緒にしないでよ。


 何の成果も得られぬまま自室へ戻されると、しばらくしてカヌスが訪ねてきた。

 「今夜、ヴァンと二人で国を出るといい。船を手配した。お前達二人を隣国で匿ってもらえるように根回しも済んでいる」

 「本当?」

 「本当だとも。臨月になってからでは身動きが取れなくなる。……何より、ヴァンがそれまで生きていられるのかもわからないからな」

 「ありがとう、カヌス兄様」

 「……」

 その晩、私は鞄のひとつも持たずにヴァンが作った靴だけを履いて、船着き場へと向かった。少しやつれたヴァンを気遣いながら、周囲に見つからないよう息をひそめた。カヌスはローブで身を隠し、私達の後に続いた。身重の体で息を切らしながら進み、ようやく船が見えて安堵したその時、私の真後ろで微かなうめき声と共に、どさりと人の倒れる音がした。振り返るとヴァンが血塗れで倒れていた。

 「……ヴァン!?」

 背中からナイフで心臓を貫かれたヴァンは、ぴくりとも動かない。青空のような澄んだ瞳に、もう私は映っていないのだと悟った。私達を導いてくれたはずのカヌスの手には、ヴァンの血で赤く染まったナイフが握られている。

 「カヌス兄様……なぜ」

 わなわなと震える唇でその名を呼んだ時、私はようやく大きな過ちに気付く。

 「……ラ、ルス……?」

 全く気付かなかった。一体いつの間に入れ替わっていた?それとも二人は最初から結託していた?――いや、それだけはありえない……。

 「いくら双子だからって、兄である俺様とカヌスを見分けられないとは……『何も見ていなかった』のはお互い様ということになるな?妹よ」

 「……っ」

 「ふん、父上も何だかんだ甘い。お前とお前の子は許し、城に残すつもりでいたようだ。だがそれでは将来、この俺様の邪魔になるだろう?」

 「何をする気……」

 「家族三人、仲良く海の藻屑となってもらおう」

 ――殺される。咄嗟に両腕でお腹を庇う私を、ラルスは躊躇なくヴァンの血が付いたナイフで切り付けた。ぼたぼたと地面に流れ落ちる自分の血に恐怖を感じながらも、私は必死で抵抗した。どれだけ傷付けられても構わない。きっとこれは報いだ。だけどお腹の子は――ヴァンの子は、命に代えても守りたかった。

 大量の出血で意識が朦朧とする中、遠くから大勢の人間の影が見え、やがて争う声が聞こえてきた。それが誰の声だったのか私にはわからない。けれどその中に、一番聴きたいあの人の声がない……それだけははっきりとわかった。ヴァン、こんな形で永遠に逢えなくなるなんて。全部、全部私のせいだね――。


 *


 柔らかな風が頬を撫でて目を覚ます。どれだけの時間気を失っていたのだろう?私は船着き場の近くにある路地裏で両腕の手当を受けていた。

 「フェザー!ああ、よかった……あんたまで死んでしまったのかと」

 「ポプラさん……?」

 「カヌス様からあんたと一緒にここで隠れているように命じられたんだよ。ラルス様がヴァンを……それで男どもに我慢の限界がきてね。今、迂闊に外へ出れば巻き込まれてしまう」

 カヌスが予想した通りの展開になってしまった。傲慢なラルスに比べて、王位を奪う側のカヌスは狡猾な男だ。きっとこれも私を心配しているのではなく、民衆を味方につけるためのパフォーマンスなのだろう。なんかもうどうでもよかった。そんなことよりも、私と一緒にいるところをラルスに見つかれば、ポプラさんは捕まってしまう。これ以上、私のせいで誰かが傷付けられるのは見たくなかった。

 「ポプラさん、私はもう大丈夫……はやく家に戻って隠れていて。暴動が起きているのは、まだこの船着き場周辺だけなんでしょう?」

 「馬鹿言うんじゃないよ!あんたを一人にしておけるもんですか!」

 「平気よ。私にとって危険なのはラルス兄様だけ……でもこの勝負、きっとカヌス兄様が勝つわ」

 ここまでの騒ぎになったなら、お父様はラルスを切り捨てて民衆の味方についたカヌスを選ぶだろう。だって私達家族は皆、自分の身が一番大事なんだもの。

 なかなか離れようとしないポプラさんの心に感謝しつつも、最後は王女として命令することで無理矢理帰らせることにした。何度も振り返って私を気にしながら、ポプラさんは自分の家がある静かな住宅街へ去っていった。カヌスの命令へ背いたことになるけれど、たとえこの場で私が死んでしまったとしても、カヌスはポプラさんを責めたりなどしない。私がいないならいないで構わない、そういう人間だと知っていた。とはいえ、私は死ぬわけにはいかなかった。だって一人ではないのだから。

 「泣いてばかりいられない……この子を守れるのは私しかいない。いつまでも娘ではなく――母にならなくては」

 ラルスの言葉を信用するのなら、お父様は私とこの子に手を出すつもりはないのだろう。だけど、もうあの城へ戻る気持ちにはなれなかった。どうにかこの国を脱出できないか考えたけれど、ここは周囲を海に囲まれた島国。船の手配などされていなかったし、今は真夜中だ。打つ手がない私はひとまず別の場所に身を隠し、朝を待つことにした。

 「綺麗……」

 空は雲ひとつなく、星の輝きがどこまでも続いている。ヴァンはあの星のどこかに行ってしまったのだろうか。貴方がくれた羽のようなこの靴で、私も今すぐここから飛び立ちたい。私が原因で争いが生まれる。私が嘘をついたから、その報いでヴァンが死に、民が傷つき、国だって滅んでしまうかもしれない。ここに居てはいけない……今すぐどこか別の場所へ、私を知る者なんかいない場所へ。

 「あれは……何?」

 空から星が零れ落ちるように、金色に輝くそれは空中を漂っていた。不思議と目が離せない。何かとても大切なもののように感じたからだ。だけど、私はここから動けない。見つかってしまうリスク以上に、もう体は疲れ果てていて、お腹の張りが心配だった。もどかしい気持ちで見つめていると、どこからか風が吹き、金色のそれが手紙であるとわかる距離までふわりと届けられた。

 「あと少し……」

 お腹を優しく支えながら手紙の落下地点へ急ぐ。その時遠くから誰かが私の名前を叫んだ。ラルスだった。見つかった――逃げる?でもどこへ……どうやって?それよりも私はあの手紙が気になった。どうしてもあれを読まなければいけないと、導かれているようだった。風がまた吹いた。今度は私を守るように、誰も近付けないように……強い風はラルスの行く手を阻む。手紙にはこう書かれていた。

 「居場所のないキミ――ボクの星へおいで」

 その瞬間、私はラルスの目の前で強い光と共に姿を消した。私を守った優しい風は、いつの間にか止んでいた。


 *


 気が付くと私は城の中にいた。一瞬、連れ戻されたのかと焦ったけれど、どうやらここは私の知っている鳥籠ではないらしい。目の前にいるのは小さなヤギのぬいぐるみ。ニコニコと微笑むランプのような少女。他にも獣耳の生えた者、翼を持つ者、手が木の枝みたいな植物の老人など。……私が知っている『人間』は見当たらなかった。

 「ようこそはぐれ者!新しい仲間として歓迎するでふよ!」

 「え?……何、ここはどこなの?」

 突然話し始めたヤギのぬいぐるみに驚き、自分の身に何が起きたのかを確かめようとした――その時。

 「……っ!痛……痛い、……痛い痛い痛い!」

 私のお腹に激しい痛みが走った。ラルスに切り付けられて今は包帯を巻かれている両腕の痛みなんて、消し飛ぶ程の衝撃だった。これは陣痛?生まれてくるにはいくら何でも早すぎる。もしかして、無理がたたって危険にさらしてしまったのだろうか?嫌……嫌だよヴァン。私はこの子を守りたい。貴方の子供を守りたい。

 「わああ!どうしたでふ?お腹が痛いでふか?」

 「……っ」

 ここがどこなのか、なんでヤギのぬいぐるみが喋るのか、どうして人間がいないのか……そんなの今は全部どうでもいい、あとから考える!なんでもするから、だから今は――。

 「ヤギさん!この女性お腹に赤ちゃんがいますの~!」

 「お、お願い……この子を助けて。産ま、せて……っ」

 「なんですとおおおお!?」

 

 そこからはあっという間に事が進んでいった。陣痛に必死で耐えていると、慌てふためくヤギの代わりに複数の女性が私を別室へ連れて行き、お産の準備をテキパキと整えた。何度見ても、やっぱり誰一人として人間じゃない別の生き物だったけど、命が誕生しようとしているこの瞬間に、きっとそんな違いは些細な事なんだろう。とにかく必死だった……何時間かかったのかわからない。予定よりも早く生まれてくる我が子は大丈夫だろうか?弱っていないだろうか?今すぐ抱きしめてあげたい。

 「ほぎゃあ……ほぎゃあ……」

 「きゃー!生まれましたの~!」

 様子を見守っていたランプの少女が歓声を上げる。生まれた我が子は少し小さいけれど、元気な声で泣いている。無事だ。この子も……私も。

 「生まれてきてくれてありがとう……『テオ』」

 私の腕の中で、ふにゃふにゃと動く温かくて小さな命。この世で一番大切な人からの贈りもの。吸い込まれそうな大きな瞳は、ヴァンと同じ澄んだ青空を宿していた。


 数日が経ち、体調が落ち着いた頃には、私はすっかりこの不思議な生き物達を受け入れていた。魔法とか魔族とか、元の星には物語の中にしか存在しないものだったけれど、何であれ私は、テオと二人で生きていく居場所を与えてくれたステラに感謝している。……いや、ステラだけじゃない。この城に住む魔族達は皆おおらかで心優しく、テオを自分の家族同然に可愛がり、一緒になって子育てをしてくれている。

 皆が私やテオを見てくれる。どこの誰かもわからない私に、だからこそ何の忖度もなくありのままで接してくれる。彼らにできる私の恩返しは、私自身も偽らず、ありのまま誠意をもって接することだ。――大丈夫、もう間違えない。新しい私の居場所を、今度こそ大切にしていこう。テオと一緒に。


 *


 「母ちゃん起きろって――」

 「……ん、テオ?……私もしかして寝てた?」

 「声かけても全然起きなかった!疲れてるの?今日のメンテ見るのやめとく?」

 「んーん、いつも通りお願いするわ。私これが楽しみで生きてるところあるし」

 「楽しみピンポイントすぎ!」

 なんでもない日の午後、ぽかぽかと暖かい光を浴びて、うたた寝をして。そうしたらそっと起こされて、他愛もない会話で笑って。本当はこの場にヴァンも居てほしかった。けれどあれから十九年……私の知っているヴァンと同じ年齢まで成長したテオは、びっくりするくらい貴方とそっくりな子になったのよ。

 「いつ見てもオイラが生まれる前から履いてる靴とは思えないな。メンテしてるとはいえ高級素材ってわけでもないのに、全然へたらないよね」

 「何だって高価なら良いわけじゃないもの。その靴は私が痛い思いをしないようにっていう優しさで作られているんだから」

 「父ちゃんが作った靴だもんな。正直オイラが手を加えるのは、何度やっても緊張するけど……」

 「ちゃんと直してちょうだいね、靴職人の見習いさん。私はこの靴しか履きたくないの」

 「わかってますってお客様!」

 貴方に会ったこともないテオが、突然靴職人になると言い出した時は夢でも見ているのかと思った。こんな形でしっかりと血の繋がりを感じることもあるのね。

 

 ――ヴァン、私は貴方に酷いことをしてしまった。今こうして幸せになっている私を、貴方は許してくれるかしら。あの鳥籠からこのはぐれ星が、どれだけ離れた場所にあるのか見当もつかないけれど、どうか私達を見守っていてほしい。そしてもし……もし許されるなら。私が眠りにつくその時は、あの日みたいにまた声をかけて――どうか私を、迎えに来て。

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