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はぐれ者の星  作者: 宇奈月 翠


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【回想 クラレット編】甘い香りのはぐれ者

【マジパペット】レシピ

 ①砂糖(スイートローズ)とアーモンドパウダーを一対一で用意する。

 ➁水を混ぜて練り上げる。

 ③出来上がった生地を色付けて成形。

 ④完成したボディに――の××を――する。


 *


 スイートローズは故郷の星にのみ存在する特別な砂糖だ。星で暮らすすべての生き物にとって、酸素や水と同じくらい大切な、あらゆる栄養素を含んだ食料。薔薇色でとびきり甘い香りをしていることから、その名が付けられた。

 人間達はこの特別な砂糖を使ってたくさんのお菓子を作った。食べた者に幸福を与えるお菓子を生み出すパティシエは、この星で最も素晴らしい職業とされ、世界中の人間がパティシエを志した。皆がお菓子を作り、お菓子を食べ、この星は薔薇色の幸福に包まれていた。

 そんなパティシエ達が最後に辿り着くお菓子……それが、自分のレシピすべてを引き継ぐマジパン人形だった。スイートローズで作ったマジパン人形『マジパペット』は特別な力を持つ。パティシエの持つ記憶、技術、センス……あらゆるものを引き継いだ永遠に腐らないもう一人の自分である。

 しかしそのマジパペットは、数多くいるパティシエの中でも一握りしかいない一流と呼ばれる者達でさえ、完成は困難であるとされてきた都市伝説のようなレシピだった。


 クレーレはまだ十代の少女だった。チョコレート色の長い髪をふたつに結い、ツイストドーナツのようにくるくると縦ロールにしている。タルトの上で輝くイチゴを思わせる艶やかで赤い瞳。赤とクリーム色のショートケーキのように可愛らしいコックコート。印象的なそばかすは、彼女にとってはコンプレックスであった。

 その小柄で愛くるしい外見からは想像もできないほど、プライドが高く野心家な性格。しかしお菓子作りの腕前は確かで、彼女は天才パティシエとして世界に注目されていた。

 そんな順風満帆だった彼女のパティシエ人生はあることがきっかけで、まるで失敗したシフォンケーキのように取り返しのつかない事態となってしまった。

 「……ダメ、今日もダメだわ!」

 朝目が覚めたら顔を洗い、歯を磨く――そんな当たり前の作業だけで、クレーレは自分の体がまだ治っていないことを思い知らされる。

 ある日過労で倒れた彼女は、パティシエにとって命よりも大切なものを失ってしまった。それは――味覚。原因はわかっておらず、仕事が途切れることを恐れたクレーレが周囲に知られないよう隠したため、適切な治療を受ける機会を逃し、症状が改善されないまま今に至る。

 毎朝の歯磨きはクレーレにとって苦痛な作業だった。口の中にぶくぶくと広がる泡を怒りと共に吐き出す。……いつまでこんな日々が続くのだろう。記憶に刻まれたレシピと味、体が覚えているその技術で何とか業務を続けていたが、とうとう耐えきれずに現在は事情を隠したまま休業に入っていた。

 

 『――今朝の特集はこちら!今大注目の人気パティシエ、アンバー氏の独占インタビューです!』

 

 テレビから流れるアナウンサーの声がクレーレに追い打ちをかける。

 「アンバー!また、こいつ……!」

 少し前までは、こうやって世間にもてはやされるのはクレーレだった。可憐な天才パティシエ少女、夢は大きく世界初のマジパペット制作!――などと連日特集が組まれ、雑誌の表紙を飾り、お菓子のみならず関連グッズやお揃いのコックコートも飛ぶように売れる。まるでトップアイドルのような扱いにクレーレはご満悦だった。しかし――。

 「何よ、ちょっと休んでいるだけじゃない……」

 この世界に幸福をもたらす最も素晴らしい職業とされるパティシエは、当然それを志す者も多く、クレーレのいない間に新たなスターが誕生するのは無理もない話だった。とろけるような蜂蜜色の瞳が印象的な青年・アンバー。この日彼のインタビューを耳にしてしまったことが、クレーレの運命を決定付けた。

 

 『――俺、マジパペットを作ってみたいって思ってるんですよ。俺のレシピを俺と同じように作れる存在がいてくれたら、それってより多くの人を幸せにできるってことだもん。皆の幸福が俺の幸福ですから』


 インタビューをする女性アナウンサーは、アンバーのその甘ったるい回答をうっとりしながら聞いている。彼は多くの女性を魅了する好青年だが、クレーレはアンバーの存在は何から何まで胸焼けがして受け付けられなかった。

 「気に入らない……マジパペットは私が成功させるんだから!ずっとそうやってインタビューに答えていたのはこの私なのよ!」

 世界初となるマジパペットを誕生させて、都市伝説のようなレシピが本物であると証明することが、クレーレ最大の野望であった。自分のいない間に突如現れそのポジションへするりと入り込んだアンバーが、あろうことか自分と同じ目標を口にするなんて……プライドの高いクレーレは、これ以上見ていられないとテレビのリモコンを必要以上に強く握りしめ、ライバルの映る画面へ剣を突きつけるように振りかざした。

 

 『今レシピを集めて研究しているんですけど、最後の材料だけがどうしてもわからなくって――』

 

 プツン。アンバーの言葉を一刀両断するように、クレーレはテレビの電源を落とした。

 「……なーんだ。アンバーってマジパペットの材料すら把握できていないのね。気にして損したわ。とんだ二流じゃないの」

 クレーレはアンバーがまだ自分より後方でもたついていることを知ると、途端に機嫌がよくなった。彼女はすでにマジパペットのレシピをすべて集め終えていたからだ。

 「マジパペットを完成させるのはこの私。私こそ相応しい。だってこのレシピの最後に必要な材料は……」


 ④完成したボディに製造者の魂を注入する。


 「マジパペットは、今の肉体を捨てる覚悟のある者にしか作り出せないのよ」


 *


 クレーレはマジパペットのレシピを集め終えたその瞬間、自分がパティシエとして復活するにはこの方法しかないと思った。原因不明の味覚障害。治る見込みがなく休業を余儀なくされ、絶望の中にいた――そんな彼女が見つけた、たったひとつの希望だったのだ。

 「マジパペットはもう一人の自分ではなく、新しい自分なの」

 マジパペットのボディには大量のスイートローズを必要とする。クレーレは自分の店にあるすべてのスイートローズをかき集め、祈るように生地をこねた。

 マジパペットは完成した際の姿のまま、永遠に生き続けるのだろう。そう考えたクレーレは現在の幼さが残る自分ではなく、未来の自分を想像してボディの成形を始めた。

 「身長はもっと伸びるはずだし……髪は大人になったら短く切っているんじゃないかしら。きっとそうよ、大人の私はまさにクールビューティーって感じね!」

 試行錯誤を重ねながら完成したボディ。今よりも二十センチは盛った長身で、二十代前半くらいの端正な顔立ち。コンプレックスのそばかすは、その美しい顔からは消え去っていた。

 「……べ、別に良いわよね?大人になれば誰だって顔立ちが変化するものだし、私ならこのそばかすをメイクで毎日隠すもの」

 誰に対しての弁明かわからないひとり言を呟きながら、クレーレは最後の工程に進もうとしていた。

 「最後の材料は、パティシエの魂……」

 今まで誰ひとりとしてマジパペットを作ることができなかった理由はこれなのだろう。この世界で一流と呼ばれる地位を手に入れた者たちが、わざわざ命を投げ出してまで未知のレシピに挑むはずがなかった。

 「……けど、私にはその価値がある。このまま何も成し遂げることなく忘れ去られるくらいなら、私は私の命を懸けてこのレシピに挑戦するわ」

 クレーレは愛用のナイフを掲げ、高らかに宣言する。このマジパペットが天才パティシエ・クレーレの最高傑作である!レシピが本物であることをその命で証明した唯一の存在として、二度とこの私を誰も忘れないよう、この星の頂点に、永遠に君臨し続けよう!

 クレーレはおもむろにテレビの電源を入れた。画面には見慣れた甘ったるい顔の男が映し出される。

 

 『俺、ついに発見したんですよ!マジパペットの最後の材料を――』

 

 「……ふ、もう遅いわ。マジパペットを完成させるのはこの私!この星で最も優れたパティシエは、この私なんだから――」

 クレーレはアンバーへ見せつけるようにその細い首筋をナイフで切りつけた。どさりと倒れた彼女の小柄な肉体が、真っ赤にデコレーションされていく。薄れゆく意識の中、アンバーの声が室内に響いた。

 

 『マジパペットの存在は許されない。あんな危険なレシピは未来永劫、封印されるべきだ』

 

 しかしその言葉はクレーレの耳にはもう届かない。彼女の魂はこの時すでに、その肉体を離れていたからだ。


 *


 目を覚まして最初に見るものが自分の遺体なんていう経験は、他の誰もしたことがないだろう。元の肉体はパティシエとしてすでに死んでいたも同然だったため、クレーレは何の未練もなく捨て去ることができてしまったのだが……。

 「……しまったわ、もっと片付けやすい方法にすればよかった」

 横たわる真っ赤な自分を見て呟いたその声は、初めて耳にする少しハスキーで落ち着いた大人の声をしていた。クレーレは急いですぐ近くにある鏡を確認する。

 「凄い……成功している!マジパペットのレシピは本物だった!」

 マジパペットは人間と見分けがつかないほど精巧な出来栄えだった。先程までは砂糖で作られた生地でしかなかったはずなのに、その髪は動きに合わせてサラサラと揺れ、心臓がドキドキと高鳴り、興奮して火照った体からは汗が流れ落ちた。その汗から甘い香りがすること以外は、以前の肉体と変わらなかった。

 スイートローズ、やはりあの砂糖は特別だ。この星で暮らすすべての命に幸福を与えてくれる。クレーレは自分のパティシエ人生も薔薇色の未来が待っているに違いないと、一度はぺしゃんこに潰れた夢や目標がむくむくと膨らんでいった。……そんな希望を再び叩き潰すような言葉が、つけっぱなしだったテレビから流れてきた。


 『――最初に見つけたのが俺で良かったですよ。誰が考えたイタズラなのか知らないけれど、あんなレシピを信じて死んだ人間がいたらと思うと……ぞっとしますね』


 テレビではアンバーが緊急特別番組とやらに呼ばれ、年配の司会者へ興奮気味にコメントを伝えている。


 『アンバーくんの正義感と迅速な対応によって死者を出さずに済んだのですよ。いやあ、本当に良かった!貴方はお菓子以外でも私達を幸福に導いてくれるのですね。お若いのになんて素晴らしい!』

 『ええ……でも俺も踊らされたことを反省しないと。やはり自分のお菓子は自分の手で。マジパペットなんて存在しなかった……いや、存在してはいけなかったんですから』


 「……どういうこと?たった数時間の間に何が起こったというのよ!」

 クレーレは慌ててテレビのリモコンを操作し、チャンネルを次々と変えながら情報を集めた。そしてアンバーによってマジパペットのレシピにはパティシエの魂が必要だと記されていることが世に知れ渡り、この悪質なイタズラに釣られて命を投げ出す者が現れる前に、世界各国でマジパペットに関係するものすべてを厳しく取り締まることが緊急決定したと知る。クレーレは自分の思い描いていたプランが音を立てて崩れていくのがわかった。

 「嘘よ……嘘、こんなの嘘!」

 世界初となるマジパペットのお披露目と同時に、クレーレは自分の身に起こった悲劇を伝える。そしてその絶望に打ち勝って、天才パティシエとして華麗に復活する様子を世界中が涙を流し祝福する。そんな未来を毎晩のように夢見ていた。それがようやく……ようやく現実になろうとしていたのに――。

 床に横たわる、かつての自分。もう元に戻ることなどできるわけがない。けれど今の姿でクレーレの名を名乗ることも許されない。マジパペットの成功は名誉でなく汚名になってしまうのだから。

 「…………」

 クレーレは小さな自分を優しく抱きかかえると、用意しておいた裏庭の空きスペースに埋葬した。そして部屋を隅々まで丁寧に清掃し、マジパペットのレシピは燃やして処分した。空っぽになったクレーレの店に、マジパペットの痕跡が残らないように。

 「私はイタズラに踊らされて命を投げ出した愚か者なんかじゃない……レシピが本物であることを、あの憎たらしいアンバーからマイクを奪って大声で叫んでやりたいのに!」

 クレーレは今もここに存在しているのに……この世界はそれを許さない。

 

 住み慣れた自分の店を出ていくことにした。ここにいるべき人間はもうこの世にいないから。マジパペットであることを隠さなくてはならないのなら、これまで積み上げたものをすべて捨て、新しい名前で一からやり直すしかない。

 気持ちを切り替えよう――クレーレはそう言い聞かせた。マジパペットを作った事実は変わらない。そう、彼女が天才パティシエであることは変わらないのだ。そして何より、彼女が命を懸けてでも今の姿を手に入れた一番の理由があるではないか。失ってしまった何よりも大切なもの……それさえ取り戻せたなら、きっとまた復活できる。クレーレはキッチンに残っていた砂糖……スイートローズを手に取って恐る恐る口へ運んでみた。しかし――。

 「……なん、で」

 薔薇色の砂糖は舌の上にじゃりじゃりと不快な食感だけを残し、やがて跡形もなく消えた。それはクレーレにとって、この先の未来まで溶けて無くなってしまったような二度目の絶望だった。


 *


 どれくらい歩いただろう?あの後クレーレは何も持たずに外へ飛び出し、できるだけ遠く……誰にも見つからない静かな場所を求めて、深い森の奥へ向かって歩き続けていた。もう自分には何も残っていないと……生きる気力も何もかも、すべて味のしない砂糖と共に溶けて消えてしまった。

 「もういい……もう疲れたの」

 くたくたになった体からは相変わらず甘い香りの汗が流れ落ちる。それすらも不快に感じるほどすべてに嫌気がさしていたクレーレは、歩みを止めて生い茂る草の上に寝転がった。気付けばすっかり夜になっていて、空は金平糖を散りばめたように星が輝いている。このままここで眠り続けよう。マジパペットは死なないというのなら、せめて永遠に幸せな夢の中にいさせてほしい。

 「お願いよ、もう誰も私を起こさないで――」

 この日以降、『私』が呼び掛けても何をしても、クレーレの声が聴こえてくることはなくなった。


 マジパペットが死なないというのは、どうやら本当らしい。飲まず食わずで早一週間、肉体に何の変化も起こらず生命活動が維持されている。変化したのは恐らくクレーレの魂だ。眠りについたあの日、材料として生地に混ぜ込まれたクレーレの魂がふたつに割れたのを感じた。クレーレの方は深い眠りにつき、今はきっと幸せな夢の中で生きている。

 ……ならば『私』は?『私』は何者だ?クレーレの記憶を持ち、素晴らしいレシピからアンバーへの対抗心まで、これまで感じた喜び絶望すべてを把握していながら、決してクレーレではない『私』は――誰だ?

 一カ月が過ぎた。半年が過ぎた。一年も……過ぎたかもしれない。誰もいない森の奥深くで、いちいち日付を数える意味なんてなかったから、途中でやめてしまったのだ。

 クレーレは目覚めない。『私』も彼女を起こそうとは思わない。彼女のこれまでが、自分の経験のように刻まれているから。クレーレが望んだ眠りとは――死なのだ。寿命がないマジパペットの中で眠りにつくことだけが、その命を終える方法だった。『私』が生まれた理由は彼女の死を維持すること。ただ、それだけ。

 だけど、クレーレから引き継いだものは辛い記憶だけではなかった。お菓子を作ること。食べてくれた人が美味しいと笑ってくれること。それがクレーレの記憶の中で、『私』が一番幸せに感じることだった。ここにいてはそれが二度と叶わないのだろう。『私』も誰かのためにとびきりのお菓子を作りたい……この気持ちは、誰にも会いたくないというクレーレとは真逆の感情だと理解していたけれど、次第に抑えきれなくなっていった。

 

 「『私』がクレーレの眠りを邪魔することなく、パティシエで居られる場所を見つけたい」

 

 それから毎晩『私』は草で作ったベッドに寝転がり、星空へ向かって願い事をして眠りにつく――そんなことを何度も繰り返していた。時間だけはたっぷりとあったから。

 そしてある日。その日は雲がひとつもなく、いつも以上に星を近くに感じる空だった。手を伸ばすと届きそうで、目が離せなくて……じっと見つめていると、空から一筋の光がこちらに向かってくるのが見えた。その何かはまるでホットケーキに蜂蜜を垂らすように、真っ直ぐ『私』に落ちてくる。

 

 (……私、蜂蜜なんて大嫌いよ)

 

 クレーレの声が一瞬、聴こえた気がした。その声に従って思わず払いのけようとしたそれは、金色の手紙だった。

 違う、この手紙はクレーレではなく『私』に届けられたもの。何故だかわからないが、絶対に読まなくてはいけない気がした。――このとき初めて『私』は『私』の気持ちを優先した。ふたつに割れた魂が、完全に別のものになった瞬間だった。

 「私は――クラレット。私が私で居られる場所に連れて行ってほしい」

 手紙を開くと全身が眩い光に包まれた。私は少しだけ心配した。この光で、クレーレが目を覚ましてしまうかもしれないことを。


 *


 「ようこそでふ!新しいはぐれ者」

 目を覚ましたとき、私ではなくクレーレになっていたらどうしようと考えたが、クレーレは変わらず眠り続けているようだった。

 「……」

 「あ、あれ?キミは『ヤギが喋ってるー!』とかそういうリアクションしないんでふか?……珍しいでふね」

 しまった、考え事をしていたせいで反応が遅れてしまった。――と言っても、『クラレット』が誰かと対面するのは生まれて初めてのことで、ヤギがどうとかいう問題ではないのだが。

 「……ええと、ここはどこだ?ヤギは普通、喋らないものなのか?」

 「わーお!新しいパターンでふ!悪くないでふよ、そういうの!」

 ……何やら好印象を与えたようだ。ヤギとやらは楽しそうに私へ状況の説明を始めた。金色の手紙はヤギからの招待状で、あの日私は受け取るための条件を満たしていたらしい。毎晩星空へ願い事をしていたのは無駄じゃなかったようだ。

 私が一番興味を持ったのはヤギのことだった。このヤギのぬいぐるみには、とある星で勇者に敗れた魔王の魂が乗り移っているのだという。それはマジパペットである私と近い存在のように感じた。ここでなら、私はありのまま存在することを許されるのかもしれない。

 次にヤギは城で暮らす他のはぐれ者や魔族を私へ紹介した。その中にはクレーレのような普通の人間もいたが、どちらかといえば故郷の星には存在しない生き物が大半を占めていた。ぬいぐるみになった魔王とたくさんいる配下の魔族、ふわふわ飛び回る小さな光の精霊に、喋る犬……不思議な生き物が毎日パーティーでも開くかのように楽しく共存する世界。彼らはとても仲が良く、とりわけ食事はひとつの空間に集まって共にするということにこだわりがあるようだった。彼らの大切にする日常へ自分が加わるのなら、この食事会は避けて通れないだろう。

 私はひとまず、城の長であるヤギと光の精霊には事情を話すことにした。するとヤギはふかふかとした滑舌で「それってなんだかボクと似た者同士でふね~」と笑い、二人はあっさり私という異物を受け入れた。意を決して話したつもりだったので、思わず力が抜けていく。こうして私は食事会に参加せずとも平穏に過ごせていたが、ある日一人の男がそれを打ち破る。

 

 「なあお前、クラレット……だったか?飯ちゃんと食ってるのかよ」

 金色のウェーブがかった髪をした背の高い男。片手にはおしゃべりな小犬を抱いている。その瞳の色は、クレーレが忌み嫌う蜂蜜色をしていた。

 「お前はベルナールだったな。……大丈夫だ、何も問題ない」

 「嘘だね。俺の知る限りお前が食堂を利用したことは一度もない。何も食べていないんじゃないか?」

 「かいぬしはごはん大好きだからいつも食堂にいるのよ。ごまかしちゃだめよ」

 それは堂々と話すことだろうか?と言いかけたが、直感でこの男との衝突は避けた方がいいと思った。クレーレを刺激してしまう気がしたからだ。さっさと退いてもらうには正直に話した方がいいだろう。

 「私は人間ではないから飲食の必要がない。これで理解してくれるか?」

 そして私はベルナール達にこの星へ招待されるに至った経緯を説明した。当然ながら、彼らの故郷には私のような存在はいなかったようで、とても驚かれた。

 「くんくん……だから甘いにおいがするのね」

 「ふふ、落ち着いたら菓子作りをしてもいいか聞いてみようと思っているんだ。その時はぜひ食べに来てほしい」

 せっかく私が私として生きていける場所に辿り着いたのだから、ここで存分にその腕を振るいたい。クレーレの記憶にあるあの幸せな光景を、私も見てみたいのだ。

 「……まあ食わなくても死なないってのはわかったよ。けどお前は今のままでいいのか?」

 「え?」

 「味覚のことだよ。治す気ないのか?マジパペットは食べなくても死なないってだけで、食べちゃいけないわけじゃないんだろ?じゃあ美味いもん食べられた方がいいじゃねえか」

 「そんなこと……」

 考えたこともなかった。確かにクレーレが人間だった頃、彼女は周囲に味覚障害を知られたくないという理由で治療を受けなかった。……治る?これは治るものなのか?今は人間のクレーレではなく、マジパペットのクラレットなのに?

 「わ、私が人間と同じ治療を受けて治るのか……」

 「その辺も含めて一度診てもらえって。この城にいるドクターは数百年生きている魔族だ。俺らの常識では治せないものも治せちまうかもしれないだろ」

 「かいぬしも大怪我していたけど助けてくれたのよ」

 「そんな凄い医者が……しかし」

 ――もしも味覚が戻ったら。『クラレット』の役割は終わってしまうのではないか?クレーレが『死』をやめて目覚めてしまったら、私は私の望みを叶えることができなくなってしまう。クレーレを刺激することは避けたい。クラレットとしての『生』を味わいたい。……他のどんなご馳走よりも。

 「……助言感謝する。必要であれば検討しよう」

 「ま、じっくり考えな。例えばそう……すげえ食べてみたいものができたとか、そうすれば気が向くかもしれないしな」

 

 *


 その後も私は一切の食事をせず、黙々と菓子作りに励んでいた。クレーレから引き継いだレシピと技術はやはり素晴らしく、唯一心配していたスイートローズも少量ずつだが手に入った。城の皆はいつも喜んで食べてくれて、その様子を見ていれば、私は何も口にせずとも満たされていた。あの日ベルナールが言った『食べてみたいもの』。そんなものにこの先出会うだろうか?この時の私は考えもしなかったが――。


 『クラレットさんも一緒にどうかなって……』


 小さな手で懸命に生地を混ぜる少女。そういえば私は、誰かとこうやって一緒に菓子作りをするのは初めてのことで、それはクレーレの記憶にもない体験だった。彼女は他のパティシエを、蹴落とすライバルとしか見ていなかったから。

 子供達へ作り方を指導しながら、失敗したり散らかしたり……笑いの絶えない時間が過ぎていく。自分だけで作ればとっくに出来上がっていたし、形や味もきっと整っているのだろう。だけどこの時間を、私は今までで一番『楽しい』と感じた。そんな楽しさの詰まったトトリのマドレーヌを……私は『食べてみたい』と、自然とそう思った。


 「……」

 気が付くと私の足はドラセナの部屋へ向かっていた。治療を受ければトトリのマドレーヌを受け取ることができるだろうか。しかし、それをクレーレは見逃してくれるだろうか。……どちらかしか選べないなら、私はそれをどうしても決められなくて。

 「いつからこんなに、欲張りになったのだろう」

 だけどそこへトトリがやってきて、私の事情を察したのか……決して無理強いはせずに。

 

 『あなたと仲良くなりたいです』


 マドレーヌに込められた素直であたたかな気持ち……ただそれだけを伝えに来てくれて。その時、私の中に眠るクレーレも、私自身も。パティシエにとって一番大切なものを、ようやく理解できた気がした。トトリのマドレーヌはきちんとレシピ通りに作られていたが、食べてもやはり味はしなくて。だけど……とても『美味しい』と感じたのは、偽りのない()()の本心だった。


 「……起こしてしまってすまない、クレーレ」

 その夜自分の部屋に戻った私は、心の中で彼女に初めて声をかけた。返事がなくてもわかったのだ。先程のマドレーヌで、クレーレが目覚めてしまった……と。

 「クレーレ、ずっと悩んでいたが私は治療を受けるべきだと思う。そしてもし、味覚が戻ったら……」

 戻ったらその時は、このふたつに割れた魂を彼女に返そう。『クラレット』がいなくなっても、私はクレーレの一部としてこれからも一緒に菓子作りを続けていける。私達の気持ちが同じなら、きっと大丈夫だ。


 (そうね。あのマドレーヌは良かったわ……味よりも大切なものを思い出せた気がする)

 

 菓子作りの楽しさ、食べてくれる人を想う気持ち。あのマドレーヌでクレーレも気付いてくれたなら……ならばもう一度彼女に、薔薇色のパティシエ人生を。


 (それにあんた達の楽しそうなやり取りも正直羨ましかったし。『次』は私も混ぜなさいよね)


 「――え?」

 (だから!もう一体マジパペットを作るのよ。魂がふたつに割れたのなら、同じボディを取り合ってないで新しく作ればいいだけでしょ!)

 「ス……スイートローズが足りない、ステラの魔力は皆で分け合わなくてはならないから、一度にたくさん入手できないんだ」

 (じゃ、来月から節約しなさい!ここには他の砂糖もあるんでしょう?……それに、新しく作るマジパペットは今より小さいものだから大丈夫よ)

 「どういうことだ?」

 (……この星へ招待されたのは貴方よ、クラレット。じゃあ皆がクラレットとして接しているそのボディは貴方のものであるべきよね)

 「クレーレ……」

 (私は本来の、チビでそばかすの髪が長いボディを作り直すわ。ちっぽけな見栄やプライドなんて……そんなものに意味はないってわかったから)

 「じゃあ……私は」

 (貴方はこれからもクラレットでいいのよ。……私のこと、今日まで守ってくれてありがとうね)

 「……っ」

 (あとは私に任せなさい!だって私は――)

 「(天才パティシエ・クレーレ。世界で……いや、宇宙で唯一、マジパペットのレシピに成功した者だ!)」


 私達にはまだ乗り越えなくてはならない試練が残されている。だけどきっと大丈夫だ。いつの日か二人が並んでキッチンに立ち、この星を幸福で包み込むような、とびきりのお菓子を一緒に作ろう。そのお菓子には私達の居場所になってくれた皆へ……ありったけの感謝の気持ちを込めて。

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