第3話 …メンソール以外のタバコはなかったか?
市街地の郊外から、避難所までは大人の足で三十分ほど。
道路沿いの建物や民家を警戒しつつ、四人は慎重に歩を進めていた。
やがて畑や牧草地が見えはじめ、視界が開けてくると――
緊張していた空気が、少しずつほどけていく。
遠くに建物の影が見えた。
『……無事に、帰って来れたわね』
先頭を歩いてい幸が、振り返って微笑んだ。
何度も持ち替えていたスーパーのカゴは、見るからに重たそうだった。
『ここまで来れば、あとちょっとっすね。俺、持ちますよ』
直樹はボウガンを地面に置き、カゴを受け取る。
『ありがと。なんだか、ちょっとたくましくなったじゃない』
『高校ももう目の前だから、女子にカッコつけたいんだろー?』
『ち、ちがいますってば!』
そんなやり取りの最中、幸が避難所の建物を指差す。
『あ、あれ葵ちゃんじゃない?』
『え!?どこ!?どこっすか!?』
『なーんちゃって』
幸がニヤニヤと笑い、直樹は真っ赤になってうつむいた。
その様子に、大人たちはこらえきれず吹き出す。
その笑いの奥に、不安はまだ残っていたけど――
今は、無事に帰ってこられたことがすべてだった。
農業高校の敷地が見えてくる。
柵、ネット、金網、時には車でバリケードを組み、外と内を隔てていた。
『おーい、無事だったかー!』
最上階のベランダから、中年の男が手を振る。
大野克俊(48)、見張り役だ。
『克俊さーん、タバコありましたよー!』
『おおっ、よくやった!』
『鹿も一頭。今日は三日ぶりに肉が食えます!あと、ビールも!』
『ビール!? 最高じゃねぇか!』
ベランダから、顔を覗かせる避難民たち。
四人は笑顔でそれに応じながら、校舎へと歩いていく。
『裕太ー!あとで話がある!ついでにタバコもな!』
『了解でーす!』
玄関を抜けると、ロビーはにわかにざわめいていた。
出迎えの避難民たちが荷物を下ろし、戦利品をひとつずつ確認していく。
雑誌、調味料、漫画、お菓子。
些細なものが、ここでは宝物だ。
廊下には、各教室から運ばれたホワイトボードが並んでいる。
避難所の情報、不足品リスト、子どもの落書きまで――
それぞれの記録が、この場所を支えていた。
裕太は、不足品のボードにひと言追記する。
「嗜好品:酒・タバコ・コーヒー等補充済み。タバコは1日10本まで」
その下に、カートンのタバコを並べる。
一箱だけポケットに入れ、階段を上がっていく。
三階のベランダ。
克俊が、望遠鏡を覗いていた。
『コーヒー、どうぞ』
『おっ、気が利くな』
笑って受け取ると、タバコに火をつける。
裕太も続き、二人で煙をくゆらせた。
風が吹き、煙が屋上を越えていく。
『こんな時でも、タバコはうめぇなぁ……』
克俊は、しみじみと空を見上げた。
『それで、鹿はどうだった?まさか赤角じゃねぇよな』
『まだそこまでじゃなかったです。でも人の死肉を…』
『……食ってたのか』
『…はい』
『お前らが無事だったのは、街から離れてたからだ。もし、騒ぎを聞きつけて他の獣が来てたら……』
『赤角や羆だったら、マジで詰んでました』
裕太は、あの角の血を思い出しながら目を伏せた。
『ま、戻ってきたんだから、それでよし。おかげでこうしてタバコも吸えてんだ』
克俊は複雑な顔をしつつ、裕太の肩を軽く叩いた。
『街の様子、どうです?』
『…相変わらず動きはない。動物の姿は見えるが……人間は見てない』
椅子から立ち上がり、克俊は望遠鏡の席を譲る。
裕太が覗き込むと、廃墟と化した市街地が広がっていた。
事故車が連なる幹線道路。
ドアが開いたままの車。
風に散る荷物。
放置された鞄。
かつての「日常」が、静かに侵食されていた。
『……全滅ですかね』
『わからん。ただ、動物の数は減ってる。行くなら……今かもな』
風に乗って、煙が空へと昇っていく。
この場所に「人間」がまだいることを、示すように。
――
―――
──『こちら本部通信室。監視者31番、応答を確認』
──『モデルコロニー3号、定時報告の時刻です』
──『生活パターン、資源消費、秩序形成の兆候を標準形式で提出してください』
牧草地の奥。ひとつの影が、通信に応える。
『監視者31番、H-22観測域。定時報告──遅延理由は中継ノードの再接続』
『対象コロニー、午前7時台に共同作業を確認。給水および食料備蓄の再編』
『協調性に変化なし。外的干渉もなし』
『避難民の零子覚醒は、現段階で未確認』
『本時点における全ステータス──ノイズ』
通信を終えた監視者は、また静かに草の中へと姿を溶かしていった。
※第4話は【2025年7月4日7:00】に投稿予定です。
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