第20話 守ろうとした痕跡
裕太たち四人は、園庭に並ぶ車の間を通り抜け、保育園の建物の前に立った。
外側から破られた窓ガラス。その隙間から腕を差し入れ、手探りで鍵に指を掛ける。
ガチャン……カラカラカラ……
サッシをゆっくりと横に滑らせると、
バサッ、とカーテンが大きく揺れ動いた。
その瞬間、夕陽が差し込み、薄暗かった室内を一気に照らし出す。
『……!!!』
そこには、
地獄絵図と呼ぶほかない光景が広がっていた。
椅子、テーブル、本棚、おもちゃ、絵本。
食器や鍋、フライパンといった調理器具まで、
保育園の中にあるありとあらゆるものが、無秩序に散乱している。
四人は言葉を失ったまま、土足で中へと踏み込んだ。
教室が続く長い廊下。
その奥を見渡しただけで、すでに四、五人の避難民が、頭部や上半身に激しい損傷を受け、絶命したまま倒れているのが見えた。
『……最悪だ……こんなの……』
浩平の声が、かすかに震える。
『ごめんなさい……俺もう無理っす……』
直樹は口元に手を当て、必死に嗚咽を堪えた。
『………』
裕太は何も言わず、険しい表情のまま猟銃を構え、廊下の奥へと進んでいく。
一つ、また一つ。
教室の中を確認しては、静かに通り過ぎていった。
『……だ……誰かいませんか……お願いだから……返事をしてください……』
彰宏は、声を震わせながら教室一つ一つに呼びかけ続ける。
だが、返事が返ってくることは一度もなかった。
廊下も、教室の中も、同じ光景が延々と続く。
最後の教室を確認する頃には、
誰一人、言葉を発しなくなっていた。
廊下を抜けると、厨房や職員室、
そしてその奥に遊戯室が並ぶ玄関へと出た。
玄関付近に積まれていた物資の段ボールはひっくり返り、
中身が床に散乱している。
四人はそのまま、職員室へと足を踏み入れた。
室内は本棚や机が倒れ、足の踏み場もほとんどない。
『……抵抗したんだな……必死に……』
裕太は構えていた銃を静かに下ろし、
床に落ちていた写真立てを拾い上げた。
そこには、園児たちがお遊戯会で可愛い衣装を着て踊る写真や、
園庭を走り回る運動会の写真が収められていた。
『……そういえば……子供たちが……いないですね……』
直樹が、写真を覗き込みながら、そっと呟く。
『確かに……それに、死体の数も、停まってる車の数と比べると少なくないか……?』
浩平が、裕太に問いかける。
『そうだな……車の数から考えると、大人と子供合わせて三十人くらいはいたはずだ。
……たぶん、子供から……食われたんだろう……』
『そんな……いくらなんでも……酷すぎる……』
直樹は、憤りを隠せない。
『状況を見る限り、ここ一、二週間の間に突然窓ガラスが破られて、
複数の羆が一気に押し入ったみたいだな。
相当パニックになったはずだ……
手当たり次第に物を投げたり、倒したり……必死に抵抗したんだろう……』
『どうして外に逃げなかったんでしょう……
窓も玄関も……閉まったままでしたよね……』
彰宏が、伏し目がちに尋ねる。
『分かりません……
その時の状況は、当事者じゃないと……
でも、外に逃げる余裕もなかったんでしょう……
子供たちを守らなきゃいけなかったでしょうし……』
『……確かに……
……子供たちは、どれだけ怖かったことか……』
彰宏は写真立てを受け取り、しばらく見つめたあと、
そっと机の上に置いた。
『……最後に……
……ホールの方を見て、終わりにしましょう……』
裕太はそう言って、奥の扉に目を向けた。
残りの三人も、暗い表情のまま静かに頷く。
「おゆうぎしつ」と平仮名で大きく書かれた扉は、
半開きのままになっていた。
避難民の大半がここで寝泊まりしていたのか、
子供用の昼寝布団や体操マット、避難民の私物などが、
これまで見てきたどの教室よりも多く残されている。
それらは無残に荒らされ、
床や壁は血で赤く染まり、
複数の引きずられた跡が出入り口まで伸びていた。
遊戯室の中をゆっくりと見渡す。
だが、
そこに避難民の遺体はなかった。
『……誰も……いませんね……』
直樹が、散乱した荷物に目を落としたまま呟く。
『あぁ……
ここに倒れていた人たちは……全員、連れて行かれたみたいだな』
裕太は、床に残る痕跡を指差した。
『……でも……
保育園の中には……その……
食べられた跡みたいなのが……あまり残ってませんが……』
彰宏が、慎重に言葉を選びながら尋ねる。
『羆の習性の一つです。
安全な場所まで獲物を引きずって、そこで食う。
食いきれなかった分は土に埋めて、後で食う……
もちろん、その場で食うこともありますがね……』
『……そうなんですね……
……だからか……』
彰宏は納得したように頷きながらも、
悔しさを滲ませ、視線を床に落とした。
廊下の方には、
まだ避難民の遺体が取り残されている。
彰宏はそれをしばらく見つめ、
何か言いかけるように口を開いた。
『……あの……』
『ダメですよ、彰宏さん……』
『……え……』
裕太は彰宏の視線と表情から、
その意図を察し、静かに制した。
『……遺体を運びたい、って言うんでしょ……?』
『……はい……』
『気持ちは分かります。
でも、それはダメです』
裕太は、鋭い目つきのまま淡々と続けた。
『羆は、自分の獲物に異常なほど執着する。
昔、三毛別羆事件ってのがありました。
住民たちは、羆に殺された遺体を掘り起こして持ち帰り、供養しようとした。
……だが、戻ってきた羆はそれに気づき、
葬式中の家を襲った…』
三人は、息を呑む。
『ここにある遺体を高校に持ち帰れば、
高確率で同じことが起きる。
……高校にも、二次被害が及びます』
『……つまり……
それじゃあ……俺たちは……
何もできないんですか……』
彰宏は、傷だらけの拳を強く握りしめた。
夕陽に照らされたキーホルダーが、小さく揺れている。
『何もできなかったわけじゃないですよ……』
浩平が、視線を合わせないまま口を開く。
『俺らが来なければ……
この人たちは、誰にも見つけられずに、
ただ羆に食われて終わってた……
……間に合わなかったけど……
……最期を“知る”ことはできた……
……人知れず終わるよりは……
……まだ……マシだったんじゃないですか……?』
その言葉に、誰も返事ができなかった。
『俺には……何が正解なのか分かりません……
でも……高校に二次被害が及ぶなら……』
彰宏は言葉を詰まらせ、
流れる涙を袖で拭った。
『……あの……
……そろそろヤバくないですか……?』
直樹が、不安そうに外を気にする。
『もう日が暮れるし……
早くしないと……羆に……』
夕陽は、今にも地平線に沈みそうだった。
『……そうだな……
……もう帰ろう』
『……あぁ……』
『………』
三人は、遊戯室を出ようと歩き出す。
彰宏は鼻を啜りながら、
手にしたキーホルダーを見つめていた。
『……ごめんなさい……』
そう独り言のように呟いた、その時――
ふと、
遊戯室の一角が目に留まった。
ステージ脇に、
テーブルや椅子、遊具が不自然に積み上げられている。
最初は、居住スペースを確保するために寄せたのだと思っていた。
だが、その奥に――
扉が見えた。
『……!!
……もしかして……』
彰宏は震える手でキーホルダーをポケットに押し込み、
吸い寄せられるように、その場所へ歩み寄る。
そして、
その前に立った瞬間、確信した。
『……これ……
……バリケードなのか……』




