第16話 境界線
『よっこいしょっと……』
彰宏は軽トラの荷台に、いくつもの段ボールを積み上げた。
中には保存食や缶詰、おにぎり、水、そして毛布などの防寒具がパンパンに詰まっている。
さらに、ガソリン用の携行缶やポリタンクもきっちり固定されていた。
『準備できましたか?』
信介が軽トラの横に立ち、声をかける。
『あ、はい! ……できればもう少し積み込みたいところですが、これ以上は人が乗るスペースがなくなってしまうので。今回はこの辺にしておきます』
彰宏は荷台を見上げながら答えた。
『そうですね。他の避難所が今どうなっているのか分かりませんが……これくらい食料があれば、何食かは食いつなげるでしょう。もちろん、何人いるかにもよりますが』
『えぇ……まずは周囲の偵察と安否確認。状況によっては、避難民を搬送してうちに合流してもらおうと思っています。まだ寮や教室にも空きはありますしね』
最悪のケースが頭をよぎるが、
二人はそれを言葉にせず、慎重に会話を続けた。
少し離れたところでは、直樹が葵や子どもたちに見送られていた。
『本当に行くの?』
葵は直樹の支度をじっと見つめ、不安そうに問いかける。
『大丈夫大丈夫! 裕太さんもいるし、安心してよ!』
『本当かなぁ……無理しちゃダメだよ? 直樹くん弱いんだから』
『うっ……! そ、そりゃあ裕太さんに比べたらね……』
葵の遠慮のない言葉に、直樹は一瞬かたまった。
『実際、葵ちゃんのほうが強いもんねー? 剣道部キャプテンで道大会優勝してるし』
幸がニヤニヤと笑いながら茶化す。
『ちょっとやめてくださいよ幸さーん!』
『ふふふっ……じゃあ私が代わりに行こうか?』
葵もからかうように言い、直樹は慌てて手を振る。
『勘弁してよ葵ちゃんまで……! 俺、頑張るからさ!』
そう笑ってみせたが、その表情には緊張が滲んでいた。
『直兄なら大丈夫! ボウガン上手なんだよー! この前も遠くの空き缶に当ててたんだよ!』
陽莉をはじめ、子どもたちが嬉しそうに口を揃える。
『えーー? おい直樹ー、子どもたちの前では危ないから使うなって言ったよなー?』
荷台の装備を調整していた裕太が、振り返って呆れたように声をかけた。
『あーちょっと! みんなにはナイショだってば!』
直樹が慌てて口に指を当てると、子どもたちも『あっ!』と声を上げて手で口を隠す。
無邪気な笑い声が、冷たい空気を少し和らげた。
『じゃあ俺も今度射撃を教えてもらおうかなー。なぁ直兄?』
裕太は荷台の柵に肘をつき、ニヤリと笑う。
『もー! すいませんでしたって!』
そんなやりとりが続き、重たかった空気が少しだけ軽くなった。
『準備よし……それじゃあ、行ってきます!』
助手席に乗り込んだ彰宏が窓を開け、見送りの人々に頭を下げる。
『よろしくお願いします。どうか無事に帰ってきてくださいね』
信介が代表して言葉を返した。
『いってらっしゃーい!』
『気をつけてねー!』
避難民たちに見送られながら、
四人を乗せた軽トラは市街地へと続くバイパスへ向けて走り出す。
降り始めた雪が、ゆっくりと車の影を飲み込んでいく。
やがて見送りの人々は一人、また一人と校舎へ戻っていった。
それでも信介だけは、軽トラが見えなくなるまで立ち尽くしていた。
──その時。
雪に紛れて、ひとつの光が空から降りてきた。
オーブのように淡く光る球体が、ゆらゆらと揺れながら軽トラの後を追っていく。
『……ん? あれは……』
信介は目を凝らした。
『あー! ほら! またあのふわふわだよ!』
背後から子どもたちの声が響く。
振り返ると、彼らは光の消えた方向を指差してはしゃいでいた。
『えー? どこどこ?』『どれー?』
高校生や親たちも空を見上げるが、見つけられない様子だ。
再び前を向いた信介の視線の先――
もう、軽トラの姿は消えていた。
『なんだったんだ、一体……』
その呟きが、白い息とともに雪空に溶けていった。
ブゥーン……ブロロロロロ……
雪が舞う中を、軽トラは風を切って進む。
『うひょおおおお! 顔が冷てぇぇぇ!』
荷台から顔を出した直樹が、吹きつける風に身をすくめた。
『ちゃんと周り見とけよ』
裕太は首にタオルを巻き、顔の半分を隠して前方を見据える。
その眼は、耕作地や民家の影に潜む“何か”を探っていた。
かつては車の列が絶えなかったバイパスも、
いまでは人の気配がほとんどない。
枝道には規制線やバリケードが設けられ、
警察や自衛隊の車両がそのまま放置されていた。
──【立入禁止】
この先、野生動物による被害多発区域。
人命保護のため、自衛隊・警察・猟友会以外の立入を一切禁止します。
発見次第、退避または拘束・避難誘導を行う場合があります。
防衛省 北部方面隊・北海道警・北海道猟友会──
『……』
裕太は流れる景色の中、看板を無言で見つめる。
『……裕太さん?』
直樹が赤くなった鼻をすすりながら声をかけた。
『ん? あぁ、悪い。少し考え事してた』
『そうですか……どの道も立入禁止や通行止めばっかりっすね』
『そうだな。最初は人の少ない集落や山奥だけだった避難指示だったのが、
今じゃ日本中でこうなってる。……一体どこにいれば安全なんだろうな』
『確かに。田舎だけの話じゃないっすもんね。
札幌や千歳のほうはもっとヤバいって聞きました。
孤立してる避難所や住民がたくさんいるって……』
『俺も自衛隊員から聞いた。
街じゃロックダウンした市街地を野生動物がうろついて、
怪我人を運ぶ救急車や物資トラックを守るために、
市街地戦が続いてるらしい
…それも今頃はどうなっているか…』
『はい… 避難所も襲われてるって言ってましたよね。やっぱ人間目当てなのかな……』
『人間目当て、か……襲われてたのは人間だけじゃなかったんだけどな』
『えっ……?』
『ほら、前にも言ったろ? 数年前から動物たちの様子がおかしかったって。
あれは食性が変わっただけじゃない。
本来なら襲うはずのない生物が、他の生物を襲うようになったんだ。
例えば……鹿の群れが羆を襲ったりな』
『鹿が羆を襲ってたんですか!?』
『あぁ。羆が鹿を襲うことはあっても、鹿が羆を襲うなんてありえない。
草食動物は襲われる側だからな。……でも違った。
羆の親子を鹿の群れが追いかけ回して、襲って、そして……喰ってたんだ』
『もしかして、それが……』
『あぁ、それが俺たち猟友会が初めて見た“赤角”だった。
俺も最初は生成AI動画だと思ったよ。……この目で見るまではな。
ウサギがキツネを襲い、ネズミが野良猫を襲う。
そんな“生態系の逆流”が、あちこちで起きていた』
『あー! 動画で見たことあります! コメント欄でもどうせフェイクだろってみんな言ってました!』
『ははっ……フェイクなら良かったんだけどな』
裕太は力なく笑う。
『あの頃…山は実り豊かだったのに、なぜ羆が市街地に出てきたのか分からなかった。
でも今なら、なんとなく分かる気がする。
森も山も、もう安全じゃなかったんだ。……あいつらは怯えてた。
動物たちの異常行動は、格下の生物から始まった。
まるで、生態系の逆流――“下剋上”みたいにな』
『生態系の下剋上……っすか……ヤバくないっすかそれ?』
『やばいなんてもんじゃねぇ。
現に今年に入ってから、羆まで活発になってる。
生態系の下剋上が、頂点の羆にまで――』
裕太が言いかけた時、軽トラが速度を落として路肩に停まった。
『ついたか……』
裕太は荷台に立ち上がり、前方を見た。
バイパス沿いのガソリンスタンド。
料金表の看板には、紙が一枚貼られている。
──緊急車両優先、一般車両の給油はご遠慮ください──
文字は雨風にさらされ、掠れていた。
敷地には、ガソリンを求めて並んでいた車がそのまま放置されている。
出入口を塞ぐように、数台の車が無造作に停まっていた。
『ありゃー……よりによって、ここで動かなくなったか』
運転席の窓を開けて、浩平が顔を出す。
『どうにかしてどかすしかないですね……』
車を降りた彰宏が、荷台の裕太に声をかける。
『やるだけやってみましょう』
裕太がそう言うと、直樹とともに荷台から飛び降りた。
スタンッ――と雪を踏む音が、張り詰めた空気に響いた。




