77. 思い出は平凡な毎日
精霊が居なくなってから、俺はやらかしまくりだ。バッタは自然災害だから仕方ないとしても、誘拐事件や魚人族の村での出来事は、全部俺のせいだ。会社から逃げ出した時みたいに、何処か遠くへ逃げたい。
でもここは俺の最後の居場所だ。中途半端なままで放り出したり、逃げたらもう人としてやっていけない。思考回路はずっと堂々巡りを繰り返していた。
その夜は夢を見た。
『どうしたの?落ち込んでいるの』
『もう嫌なんだ。王様なんて向いて無いのに』
『大変ねユキツネ。ユキツネはどうしたいの』
『何も━━━━━━ 何もしたくないし、考えたくもない。俺は空っぽで無力な人間だ。何も出来ないくせに気ばかりが焦っている』
『私がユキツネの願いを叶えると言ったら?ユキツネのしたいこと全部、私がしてあげる』
『止めてくれよ。俺の願いはひたすら目立たずに地味に生きていたい。ひっそりこっそりとだ』
『随分詰まらない人間ね。人間は欲深いものよ。一つ願いを叶えればそれ以上を際限なく望む。私は何度もそうして壊れて行く人間を何人も見てきたわ。最初は細やかな幸せで良いと願ったのに』
『俺は夢も希望もない、やりたい事もない。望むのは平和で平凡な毎日だ』
『本当に詰まらない。いっそ全世界の支配とか、崩壊を願ってくれたらやる気も出るのに』
『そんなものに何の意味があるんだ。引きこもりに征服欲を望むなよ』
『ユキツネ、気が変わったら何時でも協力するわ。私の名前を呼べば何時でも何処へでも駆けつけるわ。だから』
『━━━━━━━━━━ 』
なに言ってんのか分かんないよ。大体お前の名前を知らないから、呼べないよ。
朝になりぼんやりと夢を思い出した。でもその相手が男だったのか女だったのかも思い出せない。徐々に会話も思い出せなくなり、完全に目が覚める頃には全てを忘れた。
顔を洗って庭に目を向ければ、そこには大きな獣の姿。豹に似ているが模様はなく、とても立派な獣だ。その体毛は柔らかくとても美しい。家で飼っていた犬は雑種でモサッとした犬だった。そこいらで姉が拾った普通の犬。
既に大きかったから、最初は愛着も無かった。凄く喜ぶでもなくただ大人しい玄関脇の、置物のような存在。靴を脱ぐとき邪魔で足裏で軽く踏んづけるのだが、一向に気にしない。そのままぐいっと押し退ければ座った姿勢のまま横にずれる。
散歩に行っても彼女は喜ぶ顔を見せない。他の犬を見かけ僅かに尻尾を振るだけ。何年も当たり前に玄関にいる置物だった。
家を出てから暫くすると、妙に彼女が気になった。たまに実家に行くと大人しく尻尾を振るだけ。何となく実家に帰るとブラッシングをしてやる。モサッとした毛はよく抜ける。生えかわりの時期はきりがない。
同じ犬なら格好いいのが良かった。シェパードとかドーベルマンみたいなさ。人に自慢できるやつ。
何となく新しいブラシを買って実家に帰ったその日。彼女は相変わらず大人しくって、すうすうと寝息を立てていた。それは次の日も変わらなかった。
だけどエサが減っていないのを不信に思った姉が、除き込めば彼女は寝息を立てていなかった。いつの間にかひっそりと息を引き取っていたのだ。
元より愛着も少なかったし、泣きじゃくる母と姉とは対照的に、俺は冷めた気分で彼女が骨になるのを見ていた。玄関脇の置物が消えただけだ。新しいブラシと共に一人で住む家に帰った。
何日も経つと何故だか真新しいブラシと共に彼女の姿を思い出す。中学生の時も高校生の時も、家を出た後だって彼女は少しも変わらなかった。初めて会った時からモサッとした、くたびれた犬だった。それを何日もしてから繰り返し思いだし、ある晩ふっと泣けてきた。
当たり前のように居て、気にも留めていなかった。なのに何故ブラシを買って帰ったのだろう。買わなければ良かった。机の上に無造作に置かれたブラシを見て、彼女を思い出すのはブラシのせいだ。あのボサボサした毛をなで回す夢を見る。
捨てようと思って握りしめたが、そのまま使っていない鞄に詰め込んだ。もう見なくて済むように。
俺は何時も過ぎた事を引きずって後悔する。
「ユキツネどうした。もう昼過ぎだ」
いつの間にか人化したテオがガラス戸を開ける。食堂にも行かずグダグダしている俺を心配してくれるのか。冷凍庫に入れておいたパンに作り置きのパティを焼いて挟み、レタスを入れる。パンを二つに割ってマスタードを塗りマヨネーズを落とす。テオと自分の分のハンバーガーだ。テオはパティ三倍の物を二つペロリと平らげる。
家の犬も美味しい時は黙って急いで食べた。手を出すと食べているときだけうなり声を上げたっけ。誰がエサをやっているんだと問いかけたくなった。
食べ終わった頃にカミルが飛んできた。下の階に住んでいて彼女の部屋は、開放的なバルコニーが付いている。飛び立つ所を下から見られない様に、広く目隠しをされた特別仕様だ。美しい乳白色のボディは光を浴びて虹色に輝く。遠目に映るドラゴンにはない色合い。屋上に降り立つと少女へと変化する。
「ユキツネ暇なのだー。ブラッシングを所望する」
俺が自粛中はカミルも城の外へと出られない。だがドラゴンになって何処へなりとも飛んでいけば良い。ヒ・イズル以外での行動は制限されていない。仕方がないので家に入れる。ガラス戸の付いた縁側に座布団を敷き、カミルの後ろに座る。ふわふわとした髪が揺れる。
ドラゴンの姿でのブラッシングを諦めたカミルは、女の子の姿で髪をとかすように要求する。これに何の意味があるのかは不明。本来の姿で無いならばこの髪も偽物ではないのか。
ふと思い付いて紐を探す。お菓子の入っていた箱に付いていた紅白の房の付いたゴム紐があった。左右に三つ編みを一筋作り、更に後ろも緩い三つ編みにする。紐で縛れば完成だ。
「ほら特別だぞ」
どうなっているのか分からないとカミルが言うので、洗面所につれて行き鏡を見せる。
「おおユキツネ良い仕事をするな」
俺は自分の髪なんて編まないが、姉に練習させられた成果である。くるくる回れば長い髪が揺れる。
「皆に見せてくる」
そのまま走り出して下に降りていった。メイドとかに自慢するのだろう。テオが呆れた顔で見ていたが、何も言わなかった。
空を仰いで精霊の帰りを待つ。




