第四十四話
『私を呼び覚ましたのはあなたね、河辺佳奈。ようやく目を覚ますことができました、どうも有り難う』
「え、なに。神の本がしゃべった!」
『ええ。私は話すわ。あなたと話すために目覚めたの。だけどその前に、ジュダーよ。もう魔人アルバクダルは目覚めることはないのよ。あなたの目的は果たせない』
「くっ、それ以上言うな! 神、女神アステリア!」
『私の言葉は事象を操る理そのもの。私の言葉は神の言葉。発した瞬間からその言葉には命が宿る』
神の本って、女神アステリアのことだったんだ。
この世界を作ったという女神アステリア。慈愛と豊穣の女神は全てを許し愛しむ全能の神。そこに善悪はなくただただ生あるものがいるばかり。
神の前では皆、人も動物も魔物も精霊も木も水も。すべて赤子同然。なぜなら全ては女神アステリアが創った命なのだから。
女神アステリアは言葉でその命を創った。
だがその中には欲望、絶望、誘惑というものも混ざっていた。それは女神アステリアの内から零れた感情、望み。内に閉じ込めた出してはならないものだった。
けれど溢れる命の中にそれらは埋もれ、女神アステリアは気づかなかった。
いつしか欲望、絶望、誘惑は人の形をとるようになる。青年だった。そのうちの一人、絶望は女神アステリアを愛するようになっていく。そして絶望から希望へと変わっていった。
だが、女神アステリアは希望の望みを断った。伴侶となりたいという望みを断ったのだ。女神はただ一人で世界を見守るのが決まり。伴侶を得ることはできないのだ。
けれど希望にはそれは理由にはならなかった。ただただ愛しかっただけなのだ。ことわられた希望はより深い絶望へと変わる。そして、そのような世界なら壊れてしまえばいいと考えるようになる。
絶望、古代文字でアルバクダル。絶望は魔人アルバクダルと名乗り、女神アステリアの世界を壊すために動きだす。それにつづく欲望と誘惑だったが、元は女神アステリアの子供。誘惑は女神アステリアの懇願によりその元へと戻った。
残るは欲望。だが、欲望は自ら絶望の眷属と名乗りだし、決して女神の元へと戻ることはなかった。欲望と絶望は双子だったのだ。
女神アステリアは世界を守るために剣王、天使を言葉から生み出す。そして戦いの果て欲望は女神アステリアにより封じられ、その身を世界を守る礎へと変えられることになる。
そうして一人になった魔人アルバクダルは、女神アステリアの持つ神槍クルスニクに心臓を刺され、その身を大海に横たえた。
悠久の年月を得てそこは大地となる。
魔人アルバクダルを目覚めさせないために、女神アステリアは剣王、天使、誘惑、悪魔の本を作り、そして自らも神の本となり封印を続けていた。
……たしか以前シグルドさんが言っていたのは大体こんな感じだったような。考え事しながら聞いてたからその後のことはわからないけど。
『眠りなさい、欲望よ』
「ふざけるな! 女神アステリアが拒まなければ絶望は希望のままでいられたんだぜ! それを……があ、あ」
キリトの死の魔法は今だジュダーを焼き続けている。やっぱり悪魔、ううん。欲望にはなかなか効かないみたいだ。
『眠りなさい、ジュダー』
「う、が……くそっ、だが、忘れるなよ女神アステリアよ。欲望と絶望は未だ生きている。しばらく眠るだけだ。必ず復讐してやる、必ずだ」
『私はただあなたたちを愛しています。それは生きとし生けるもの全てと同じ。あなたたちがそう言うのならば私は待ちましょう。また会うその時まで』
「言ったな。必ずだ。かな……らず……」
ジュダーは地面に消えていった。私の死の魔法が効いたのか、女神アステリアの言葉のとおりになったのか。たぶん、後者だけど。
「あの」
『河辺佳奈よ。これまでの苦労私のせいでかけてしまい、すみません。ですが、有難う。私たちを連れてここまで来てくれて。助かりました』
「い、いえっ、いいんです! 女神様が助かったっていうんならもうそれでっ。でも、いいんですか。悪魔の本なくなっちゃいましたけど」
『いいえ、ここにいますよ』
「いる?」
『あなたですよ河辺佳奈。悪魔の本の所持者は本になにかある時、後継者として選ばれた者をいいます。ジュダーが眠りに落ちたため、悪魔の本の任は河辺佳奈、あなたが担うことになるのですよ』
「え」
それってつまり。私、本になっちゃうってこと!?
「こ、困ります! だって私本になったら元の世界に帰れなくなっちゃう!」
『ごめんなさい、河辺佳奈。ですが次の後継者を見つければあなたを元の世界に返してあげましょう。あの者、安田秋博と共に』
「あ、秋博! 生きているんですかっ」
やすだ? もしかして苗字かな。私のことさっきからずっとフルネームで呼ぶし。
『ええ、生きています。未だ河辺佳奈と別れた地で戦い続けていますよ。送りましょう』
女神アステリアがそう言うと、一気に場面が変わった。
地層が灰色と黒の縞々の渓谷。縦に大きく亀裂の入った渓谷は鋭利な刃物のようなそこに、私は戻ってきた。
「秋博!」
いつの間に手錠の鎖が切れていたのか、片手で剣を操る秋博の姿が目に見えた。
「佳奈! 無事だったんだな」
ほっとした様子で笑いながらこちらへと駆けてくる秋博は、軽々と群がるガルムを倒している。なんだ、全然大丈夫じゃない。心配して損した。ううん。生きててくれて本当によかった。
「怪我は、してないみたいだね」
「ああ。天使の癒しの魔法があったからな。だけど変なんだ。さっきからそれが使えなくなってる。幻惑の術も使えないし、佳奈、なにかあった?」
「うん。実はね、悪魔の本、ジュダーが私たちを騙してたの。話すと長いんだけど……」
かいつまんで秋博に説明する。
「なるほど、本棚にもどしたからだなきっと。だけどなんでだ。剣王の本も戻したのになんで剣を扱えてるんだ?」
『それはあなたが実際に体を動かしていたから身に着いたのでしょう。剣王の後継者、安田秋博よ』
「そう、なんだ。いつの間にか本当に強くなってたんだな、俺」
「うんうん! 本当にすごいよ秋博!」
そう言いながら次々と襲い掛かってくるガルムを私もまた風の刃で切り倒していく。本当にきりながい。これじゃゆっくり話せないじゃない。
「なんだか落ち着いて話せないな」
『では本棚へと戻りましょう』
女神アステリアがそう言うと、また場面は変わる。さっきまでいた神殿居住区の隠し部屋に戻ってきた。
私は神の本を本棚に戻してから地面に座った。秋博も隣に座る。
「それで、佳奈は後継者が見つからないと、悪魔の本の任が解かれないんだよな」
「うん。だからまだまだ帰れなくなっちゃったの。それに私、本の姿にならないといけないみたいだし」
「本、か。それ、どうにかならないのか女神アステリア」
『叶えたい望みでそれを選べばそれも叶いましょう。ですが、望みは一つ。ここで叶えてしまえば永劫にあなたたちは元の世界に戻ることは叶いません。それでもよいのでしたら』
「それはだめ。だって、元の世界に帰るって決めてるもの。学校だってあるのに、それじゃ留年どころじゃないよ」
「おれは正直どっちでもいいんだが、帰ったって今更だしな。だけど佳奈が帰りたいっていうんなら俺も協力するよ。佳奈の後継者探し、手伝う」




