01-57.オモ視点2
研ぎ石に手斧の刃を走らせるシャリッ、シャリッという規則正しい音が、しんとした物置に響いている。
外では吹きすさぶ地風が古びた木戸を時折重く軋ませているが、家畜小屋の冬囲いを終えたワシにとっては、母屋の喧騒から離れたこの薄暗い物置の中こそが最高の休まり場だった。
手斧の刃こぼれを整えながら、歯茎と頬の間に含んだ噛みタバコの渋みと特有の刺激をじわりと味わう。
火を使わずに片手間で楽しめるこの緑色の粉末は、長年農作業や道具作りに精を出してきたワシら男衆にとって、格好の気休めだった。
「ふう……」
息をひとつ吐き出し、油を染み込ませた布で刃を丁寧に拭いながら、ワシは棚の奥に並んだ素焼きの壺に視線をやった。
あの酷暑の夏、我が家とオイアクス村を死の淵から救った『ろ過器』――。
その始まりの地こそが、ガラクタや古い農具が転がるこの狭く薄暗い物置だったのだ。
思い返せば夏病みが始まる少し前、トッシュが「安全で綺麗な水が飲みたいんだ」と、この物置で密かに組み上げた奇妙な壺をワシに見せてくれたのが最初だった。
あの時は半信半疑だったが、泥水を一瞬で澄んだ水に変えてみせたあの子の真剣な目に感心し、父親や母親にも秘密にしたのだった。
そして……あの猛暑が訪れ、村中に恐ろしい夏病みが広まったあの日。
トッシュは青ざめた顔でワシのもとへ駆け込んできた。
アディルの妹が倒れたと聞き、「あいつを助けたいんだ!」と必死な目で訴えかけてきたのだ。
あの時のトッシュの熱意と度胸は見事なものだった。
だからこそワシは、その小さな相棒の手を取り、作っておいた壺と骨炭を抱えて二人でアディルの家へ乗り込んだのだ。
『トリーブ先生から授かった知恵で作られた試作品』ということだったが……
どうもトッシュと導師様が裏で示し合わせて、上手いこと話を合わせたのではないかという気がしないでもない。
それに、あの子が時おり誰もいない空間をぼんやり見つめて固まることが最近増えていて、なんとなく不思議な気配を感じることもあった。
(まあ……野暮な追求はせんでいいがな)
手斧を木棚へ収め、フッと口元を緩める。
真相がどうであれ、ワシにとっては大した問題ではない。
大事なのは、トッシュがあの素晴らしい知恵を使って自分の大切な友達を助け、家族を守り、村全体を救ったという揺るぎない事実だけだ。
「おじいちゃん、まだここにいたの?」
木戸がすっと開き、頭にうっすらと雪を乗せたトッシュが顔を覗かせた。
手には、温かいお茶が入った小さな土瓶を抱えている。
「おお、トッシュか。寒かったろう、中へお入り」
「うん。お母さんが、おじいちゃんが冷えちゃうからお茶を持っていきなさいって」
トッシュはちょこんとワシの隣に腰掛け、小さめのピヤラにお茶を注いでくれた。
ワシは口の中のナスをペッと壺の脇の小鉢に吐き出し、水で口をすすいでから、温かいお茶を受け取った。
「おじいちゃん、またこんな寒いところで道具の手入れ? 風邪ひかないでね」
「ハハハ! トッシュが淹れてくれた温かいお茶があれば、寒さなんて吹き飛んでしまうさ。……それよりトッシュ、今年の夏は本当によくやったな」
ワシが頭を撫でてやると、トッシュは少し照れたように鼻の頭をかいた。
「僕だけの力じゃないよ。おじいちゃんが最初に僕の言葉を信じて、アディルの家まで一緒に行ってくれたから……あの日、おじいちゃんが味方になってくれなかったら、何もできなかったもん」
そう言って恥ずかしそうに微笑む孫の姿に、ワシの胸の奥は温かいもので満たされていった。
(この子は、トルスノフ家の宝だ。……いや、この村の宝だな)
トッシュは並外れた知恵を持ちながら、決して奢らず、家族や友のためにその力を使おうとする。
だが、類稀なる才能や知恵は、時に無理解な者からの嫉妬や恐れを引き寄せる。
この小さな背中が過酷な運命や世間の冷たい風に晒されそうになった時、誰よりも先に立ってその風を遮る盾となること――それが、ワシとトッシュの間で交わされた『物置同盟』の本当の約束なのだ。
「トッシュ。これから先、どんな困ったことや、一人じゃ抱えきれん不思議な出来事が起きてもな……一番最初にこのワシを頼るんだぞ」
「うん! おじいちゃんは一番頼りになるもん」
トッシュの素直な返事に、ワシは「よし」と満足げに頷き、温かいお茶を一口飲み干した。
外の吹雪は相変わらず猛威を振るっている。
だが、この静かな物置の中には、お茶の温かな香りと、二人だけの固い絆が確かに満ちていたのだった。




