01-55.グルスラン視点2
山足から吹き下ろす風に、冬の冷たさがはっきりと混じるようになってきた。
十月の終わり、茜色の空が高く澄み渡る晩秋のオイアクス村。
この時期の私には、初雪が降る前に終わらせねばならない大切な大仕事がある。
羊たちの冬前の毛の手入れと、春から蓄えておいた羊毛をほぐして温かいフェルトをつくる作業だ。
「よーしよし、大人しくしておくれよ」
私は中庭の木枠に繋がれた羊の背を優しく撫で、刃の大きなハサミを滑らせた。
厳しい冬を越すために羊自身の毛も適度に残さねばならないから、根こそぎ刈るのではなく、伸びすぎた部分を綺麗に整えていく。
刈り取られた柔らかな羊毛が、足元の布の上にふんわりと積み上がっていった。
私は元々、この近くの山岳遊牧民の生まれだ。
若い頃は弓を手に山を駆け、獣や魔獣を狩っていた身だが、こうして羊と戯れ、毛を扱う手つきには、身体が覚えた遊牧民の知恵が今も生きている。
「ハッサン、フサン! 刈り取った毛から草くずや小石を取り除きな」
「はーい!」
「フサン、つまみ食いするなよ。それ乾燥ヨーグルト玉じゃないぞ」
双子の孫たちが甲高い声を上げながら、羊毛を丸めて遊んでいる。
私はくすりと笑いながら、微かな風の術理を発動させた。
手のひらからさらりと吹かせた微風が、羊毛に混ざった細かい砂塵やチリだけを綺麗に吹き飛ばしていく。
山で弓の軌道を補正するために使ってきた風の力も、こうして家庭の仕事に使えば実に重宝するものだ。
綺麗に選別した羊毛に熱湯をかけ、大きな布に包んで足と手で何度も何度も力強く揉み込んでいく。
水分と熱、そして圧力を加えることで、毛の繊維が固く絡み合い、風も通さぬ頑丈で温かいフェルトへと生まれ変わるのだ。
「おばあちゃん、お疲れさま! お茶を持ってきたよ」
汗を拭っていた私のもとへ、トッシュが素焼きの茶碗を両手で抱えて歩み寄ってきた。
「おお、トッシュ。すまないねぇ」
湯気が立ち上る温かいお茶を受け取り、喉を潤す。
この夏、ろ過器とお湯の知恵で村中の命を救った我が家の誇り高き長男。
トッシュのその小さな横顔を見つめながら、私は胸の奥が温かくなるのを感じていた。
あの激しい酷暑の最中、村の男たちが狩猟隊として荒野へ骨集めに向かった時――本来であれば女性が男たちの狩りに同行するなど戒律的にも眉をひそめられることだったが、獣の骨が足りず、人手も限界だった。
なりふりかまっていられぬ危機的状況だったからこそ、私は昔取った杵柄とばかりに周囲の制止を振り切って弓を手に同行したのだ。
だが、その大規模な動員も、ニヨズの工房での増産も、元を正せばすべてこの七歳の孫が紡ぎ出した知恵が始まりだったのだ。
「トッシュ。お前が作ったあのろ過壺のおかげで、今年の夏、うちは病気にならずに済んだ。村のみんなも、お前にはどれだけ感謝しても足りないくらいさね」
トッシュは照れくさそうに頭をかき、照れ隠しのように微笑んだ。
「ううん、僕だけの力じゃないよ。おばあちゃんたちが獲物の骨を集めてくれたり、ニヨズさんたちが壺を作ったから出来たんだもん」
「ふふっ、相変わらず謙虚なボウズだこと」
私は力強い手で、トッシュの柔らかい頭をワシワシと撫で回してやった。
この子は本当に賢く、優しい。
己の知恵を鼻にかけることもなく、いつでも家族や村人のことを第一に考えて動いている。
だが……賢い者には、それ相応の苦労や冷たい風が吹きつけるのがこの世の常だ。
村の誰もが称賛する一方で、中には妬みや恐れの目を向ける者だっていないとは限らない。
(だがね、トッシュ……)
私は仕立て上がった上質な山羊革を広げ、手際よく型を切り抜いていった。
これから作るのは、トッシュや弟たちが冬に履くための柔らかい革靴――マシだ。
しっかりとした革と中に詰める毛皮の裏地さえあれば、どれほど積雪が凄かろうと、足元から凍えることはない。
「お前は、その素晴らしい知恵で村のみんなを救ってみせた。……だから私は、この手と革細工の技で、どんな寒さや過酷な冬からもお前たちを守ってやるさね」
「おばあちゃん……?」
「なんでもないよ。さあ、型合わせをするから、足をこっちに出してみな」
トッシュの小さな足を膝に乗せ、靴のサイズを確かめながら、私は心の中で静かに誓った。
私の腕には、まだ弓を引く筋力が残っている。
そしてこの手には、家族を温かく包み込む知恵がある。
この愛しい孫がどんな大きな運命へ歩み出そうとも、私はいつだってその足元を温め、背後から牙を剥く悪しきものを射抜く風となってみせよう――。




