01-53.トッシュ視点1
村を襲った恐ろしい夏病み騒動がすっかり落ち着き、オイアクス村に平穏な日常が戻ってから、しばらくの時が流れた。
猛威を振るっていた過酷な酷暑もピークを過ぎ、八月の終わりを迎える頃には、空の青さがどこか深く澄み渡るようになっていた。
日中の日差しは相変わらず強いけれど、夕刻になると山足の方からサラリとした心地よい涼風が吹き抜けるようになり、季節が確実に進んでいることを教えてくれる。
陽が傾き始めた夕暮れ時、僕は鍬を肩にかつぎ、お父さんと共に我が家の綿花畑へと向かっていた。
乾燥地帯であるこの地では、夏の農作業には特別なルールがある。
日中の太陽が一番高い時間帯に畑へ水を引いてしまうと、カンカンに熱せられた土の中で水が温まり、作物の根が煮えて腐ってしまうのだ。
そのため、気温が下がる夕方から夜にかけて、灌漑水路の堰を外し、畑一面に水を行き渡らせる「夜間水やり」を行うのが、この地の農家の知恵だった。
「トッシュ、あっちの畝の泥を少し上げて、水が溜まるようにしておきなさい」
「うん、分かったよ、お父さん!」
僕は小さめの鍬を手に取り、慣れた手つきで畝の脇の泥を削り、水路からの引き込み口を整えた。
さらさらと音を立てて、泥混じりのぬるい水が乾いた畑の溝へと流れ込んでいく。
『ふう……昼間の熱風に比べたら、夕方は本当に過ごしやすいな。風が冷たくて気持ちいいぞ』
脳内でおじさんが気持ちよさそうに息を吐き出す。
(そうだね。あの酷い暑さとにおいに参っていた頃が、なんだか嘘みたいだよ)
ろ過器とお茶の普及によって村から病人が激減し、今ではどの家も毎日お湯を沸かしてお茶を飲んでいる。
自分たちの知恵が村を救ったという達成感が、心地よい疲労感とともに胸を満たしていた。
畑の隅々まで水が行き渡るのを見届けながら、お父さんは汗をぬぐい、満足そうに頷いた。
「よし、今日の水引きはこれで十分だな。トッシュ、少し休むぞ」
「はーい!」
お父さんは水路の脇に腰を下ろすと、水路の中に沈めてあった大きな網袋を引き揚げた。
網袋の中から現れたのは、ツヤツヤと青光りする丸ごと一個の大きな西瓜だった。
昼間の作業の合間に、冷たい水が湧き出るカナートの吹き出し口の近くの水路へ、お父さんが沈めて冷やしておいてくれたものだ。
「わあ、西瓜だ!」
僕が目を輝かせると、お父さんは日焼けした顔に薄く微笑みを浮かべ、腰のナイフを抜いた。
ザクッ、と心地よい音とともに西瓜が二つに割れると、真っ赤に熟した果肉と、あふれ出す甘い香りが夕風に乗って鼻をくすぐった。
『うおっ、すっごい立派なスイカだな! 瑞々しくてめちゃくちゃ美味そうじゃないか!』
脳内でおじさんも大興奮だ。
お父さんは大きく切り分けた西瓜の一片を、僕の手へと手渡してくれた。
「ほら、トッシュ。水路掃除にろ過器作りと、今年の夏はお前によく手伝ってもらったからな。しっかり味わって食べなさい」
「ありがとう、お父さん! いただきます!」
僕は両手で西瓜を抱え、勢いよくかぶりついた。
シャクッ、という素晴らしい歯ごたえとともに、冷たいたっぷりの甘い果汁が口いっぱいに広がる。
暑さでカラカラになっていた喉と身体に、その甘みがじんわりと染み渡っていくようだった。
(甘い……! すごく冷たくて美味しいよ、おじさん!)
『ああ、最高だな……! この酷暑の中で泥だらけになって働いた後に食う冷えたスイカなんて、前世でも滅多に味わえない贅沢なひとときだぞ』
お父さんも隣で静かに西瓜を口に運び、赤い果肉を味わっている。
沈みゆく大きな太陽が、地平線の彼方を濃い茜色と紫色のグラデーションに染め上げていく。
渡ってくる夕風が、作業でかいた汗を優しく撫で、さあっと綿花畑の緑の葉を揺らした。
「……トッシュ」
静かに西瓜を食べていたお父さんが、ふと僕の名を呼んだ。
「はい?」
「今年の夏は、本当によく頑張ったな。トリーブ先生のお手伝いもそうだが……お前が我が家や村のために尽くしてくれたこと、俺は誇りに思っているぞ」
普段は厳格で、あまり面と向かって子供を褒めることのないお父さんからの、まっすぐで温かい言葉。
胸の奥が熱くなり、僕は少し照れくさくなって、西瓜に顔を埋めるようにしながらうなずいた。
「ううん……僕、お父さんやお母さん、みんなの笑顔が見られれば、それだけで嬉しいんだ。僕は長男だしね」
「そうか……」
お父さんは大きな手で僕の頭をポンポンと優しく叩くと、遠くの茜色の空を見つめた。
「あと少しすれば、綿花の本格的な収穫期がやってくる。村の一年で一番忙しい時期だ。だが……この過酷な夏を乗り越えたお前となら、今年の収穫もきっと良いものになるだろうな」
「うん! 僕、秋の収穫も精一杯手伝うよ!」
暮れゆく秋の気配と、静かな水路のせせらぎの音。
西瓜の甘さを噛み締めながら、僕は大好きな父さんの隣で、過酷だった夏が静かに幕を閉じていくのを感じていたのだった。




