01-49.僕たちがこの地にいる意味
ろ過器とお茶を飲む習慣が村中に広まり、猛威を振るっていた夏病みが収束してから、幾日が流れた。
村にはすっかり元通りの平穏で賑やかな日常が戻っていた。
午前は元気になったアディルやブーリたちと初等学校で勉強をし、家では弟たちの賑やかなはしゃぎ声が響く。
あんなに不快だった貯水池の生臭いにおいも、どこか遠い出来事のように思えるほど、今の我が家の水瓶には澄んだお茶がたっぷりと満たされるようになった。
また、村中の家畜の糞などの処理を見直したり、裕福な家から少しずつ折版することで、夏だけでも各家で火をおこす燃料を確保することもでき、燃料問題も大きく改善した。
そんなある日。
この地域では、日中に泥レンガの家が溜め込んだ熱気が夜になってもこもるため、夏の夜は中庭に置かれた高床式縁台の上に敷物を敷き、家族みんなで身を寄せ合って寝ることも多い。
涼しい夜風を感じながら、隣で眠る弟たちの穏やかな寝息に耳を澄ませる。
まぶたを閉じ、静かな呼吸を繰り返すうちに、僕の意識はスーッと深い場所へと落ちていった。
◆ ◆ ◆
目を開けると、そこはいつものどこまでも広がる真っ白な空間――『白い部屋』だった。
僕の目の前には、見慣れたスーツ姿のおじさんが、腕を組みながらぽつんと立っている。
『やあ、トッシュ。今日も一日お疲れさん。村もすっかり落ち着いて良かったな』
「うん……本当に良かった。みんなの笑顔が戻って、本当にお腹を壊す人がいなくなって……僕、すごく嬉しかったんだ」
僕は自分の小さな手のひらを見つめながら、胸の奥から湧き上がってくる温かい感情を確かめるように呟いた。
今回の夏病み騒動で、僕たちの作ったろ過器と温かいお茶は、間違いなくたくさんの村人の命を救った。
その実感が、僕の心を激しく揺さぶっていたのだ。
「ねえ、おじさん。僕ね、初等学校でトリーブ先生から教わった言葉を思い出していたんだ。この世界は、豊かな人の『寄付』や『施し』によって成り立っているんだって」
『ああ、税金がない代わりに、裕福なやつが自発的にインフラを支えるっていう、あの話か』
「うん。聖典にね、こんな一節があるんだよ」
僕は頭の中の記憶を手繰り寄せ、静かに唱えた。
「『持つ者、富める者は、その財を神の道のために差し出せ。渇ける者に清き水を、飢えれる者に糧を、宿なき者に屋根を分け与えるべし。それらは尊き寄付となりて、世代を超え、永遠にこの共同体を潤すであろう……』」
おじさんは感心したように深くうなずく。
「お父さんやおじいちゃんは、農地や家畜という財産を持っているから、村の仕事や水路の掃除なんかでも奉仕できる。でもね、僕にはお金も家畜も広大な土地もない。だけど……『寄付』できるものがあったんだ」
『寄付できるもの……?』
「そう。おじさんが持っている、この現代の知恵だよ。聖典が言っている『財』って、きっとお金や土地のことだけじゃないんだ。知恵も同じなんだって、身をもって感じたんだよ」
そう語る僕を、おじさんは優しく、どこか僕の成長を眩しむような目で見つめていた。
僕はまっすぐにおじさんの目を見返した。
「おじさん……ずっと悩んでいたでしょ? 自分はなんで一度死んだのに、僕の中に魂となって乗り移ったんだろうって。」
「……」
おじさんもまっすぐ僕の目を見た。
「……実はね、僕もずっと考えていたんだ。なんで僕なんだろう、なんで僕の頭の中にこんな不思議なことが起きたんだろうって」
『……そうだな。俺がお前の記憶や感情を見ているように、俺が悩んでたことも、お前には全部筒抜けだったもんな』
おじさんは苦笑いを浮かべながら、頭をボリボリとかいた。
僕たちの思考や感情は、このひとつの身体の中で隠すことなく共有されているのだ。
「うん。おじさんの言葉で、分かってたんだ。そしてね、僕なりに答えを出したんだ。最初はね、おじさんの知恵を借りて、大好きな家族を病気や過酷な環境から救うためだと思ってた。でも……今回、村のみんなが助かった時、本当に良かったって、心から嬉しい思いが溢れてきたんだ」
僕は胸にぎゅっと拳を当てた。
「家族だけでいいのかなって、思ったんだ。もちろん、僕はトルスノフ家の長男だ。皆を助けたいと思っている。ただ、この村でまた何か困ったことや問題が起きたら、僕たちに助けられることがあるなら、今度も助けたい。もちろん、僕たちにもできないことはあるかもしれないけれど……僕は、このオイアクス村の雰囲気が好きだし、みんなに元気に楽しく生きていてほしいんだ」
『トッシュ……そうだな、お前は長男だから、家を守る、ってことばかりを考えていたけれど、別に家だけじゃなくてもいいんだよな。なんならもうこの村の導師様や村長を目指してもいいかもな』
「もちろん、そんな大それたことが出来るとは思えないけど……。だけど、僕におじさんの知恵があって、二人がこうして巡り会えたのは……きっと、この村のみんなを幸せにするためなんじゃないかなって、そう思ったんだ」
僕の言葉を聞き終えたおじさんは、しばらく無言で天井を見上げていた。
やがて、フッと自嘲気味で、けれどどこか晴れやかな笑みを漏らした。
『ハハッ……参ったな。正直言うとさ、俺は自分の保身と、お前の大切な家族を救えればそれで十分だと思ってたんだよ。俺自身、前世じゃしがないサラリーマンで、誰かを救うヒーローなんてガラじゃなかったしさ』
おじさんは組んでいた腕を解くと、ゆっくりと僕の前まで歩いてきた。
そして、僕の目線に合わせてかがみ込み、力強く僕の肩を叩いた。
『だけどさ……お前がそこまで腹を括って『村のみんなを助けたい』って言うんなら、乗らないわけにはいかないだろ! 俺だってそんな大層な自信があるわけじゃないが……二人で知恵を絞れば、なんとかなることもきっとあるはずだ』
「おじさん……!」
『協力するぜ、相棒。お前が目指す村の未来ってやつを、一緒に作っていこうじゃないか』
おじさんが差し出してきた大きな右手を、僕は両手でぎゅっと握り返した。
これまではただ「家族を酷い環境から守る」ということだけを考えていた僕たちだったけれど――。
この真っ白な部屋で、僕とおじさんは「この村のために自分たちの力を尽くす」という、新しく大きな夢と目標を心に誓い合ったのだった。




