01-43.死を運ぶ瘴気の風
村の状況は、もはや「単なる夏の体調不良」では済まされない事態へと発展していた。
村の長老の一人である六十歳を超えるおじいさんが亡くなり、続いて五十代の女性も一人、相次いで命を落とした。
死因は強烈な下痢と激しい嘔吐、そして高熱だった。
連日の猛暑によって貯水池周辺に漂う生臭さは日増しに酷くなり、村の通りにまでその嫌なにおいが風に乗って流れ込んでくる。
「熱風に沿って、恐ろしい瘴気が運ばれているんだ」
「神がお怒りになり、私たちに試練を与えているに違いない」
大人たちは顔を歪め、そんな暗い噂話ばかりを囁き合っていた。
(瘴気じゃなくて、水の中のばい菌が関係あるって……!でも、皆にそれを言っても、パニックになるか変なことを言っている子供扱いをされるだけだ……)
『ああ、あの水の臭いだ。恐らく水温が上がってハウズの水で菌が爆発的に繁殖してるんだろう……』
脳内のおじさんと共に胸を痛めていたある日、事態はさらに僕のすぐ身近なところへ押し寄せてきた。
初等学校の教室で、いつも一番うるさいガキ大将のアディルの姿がなかったのだ。
心配になった僕は、放課後、アディルといつも一緒に悪ガキをやっている相方のブーリに声をかけた。
「ブーリ、アディルはどうしたの? ここ最近休んでいるようだけど……」
ブーリは普段の威勢の良さを完全に失い、真っ青な顔でうつむいた。
「……アディルの妹が、すごく酷い目にあってるんだ。何度も吐いて、下痢も止まらなくて、今は熱でうなされてるらしくてさ……」
「えっ……」
「アディルの家は今、それで大騒ぎなんだよ。アディルも妹の手を握ったり、水を含ませたりして付きっきりらしくて……。トッシュ、死んじゃうのかな……っ」
ブーリの目からボロボロと涙がこぼれ落ちる。
僕の頭の中に、アディルの後ろをちょこちょことついて回っていた、幼い女の子の笑顔が浮かんだ。
(アディルの妹……確かまだ三歳か四歳くらいだったよね……。この暑さの中で嘔吐と下痢が続いたら、小さな身体なんてひとたまりもないよ……!)
『トッシュ、危険だぞ! 水分を取るために、あの汚染されたハウズの生水を飲ませていたら、火に油を注ぐようなもんだ! 症状がさらに悪化するぞ!』
おじさんの焦り切った声が脳内に響く。
僕たちの作ったろ過器をアディルの家に提供すれば、少なくとも水質は改善するはずだ。
けれど、そのためには大きなリスクが伴う。
村中が「神の試練」や「瘴気」だと怖がっている中で、怪しい壺を使った水浄化なんて持ち出せば、「怪しげな術を使っている」「異端の道具だ」と非難される危険性があった。
(……でも、そんなこと言ってる場合じゃない! 友達の妹が死にそうなのに、見捨てるなんて絶対嫌だ!)
僕は一目散に自宅へ走り出していた。
◆ ◆ ◆
「お願いです、お父さん! おじいちゃん!」
自宅の高床式縁台で、僕は父プラートとおじいちゃんの前に膝をつき、必死に頭を下げた。
「アディルの妹の命が危ないんだ! 僕たちが使っているあのろ過器を、アディルの家にひとつ譲ってあげてください!」
お父さんとおじいちゃんは驚いたように顔を見合わせ、それから厳しい表情を浮かべた。
「トッシュ……気持ちはわかるが、今村は過敏になっている。そんな正体不明の道具を持ち込めば、『変なものを作り出した』と怪しまれ、我が家まで異端と疑われかねんのだぞ」
お父さんの言葉は重く、正論だった。
それでも僕は引き下がらなかった。
「わかっています! でも、あの子はこのままじゃ死んじゃいます! ろ過した水を使えば、少しでも楽になるかもしれないんです! お願いです……僕を信じてください!」
「……プラートよ」
静かに口を開いたのは、おじいちゃんだった。
「トッシュの言う通りだ。ワシらの家族がこの酷暑でも一人も腹を壊していないのは、紛れもなくこの孫が作ってくれた壺のおかげだろう。……目の前で幼い命が消えかけているのを知っていて、見捨てるような男に育てた覚えはないぞ」
「おやじ殿……」
お父さんは深く息を吐き出し、眉間のシワを寄せて悩んだ末、僕の頭にぽんと手を置いた。
「……分かった。トッシュのその優しい情け深さを買おう。幸い、予備で作っておいたろ過器が物置に一個残っているな」
「お父さん……!」
「ただし、条件がある。アディルの家には『トリーブ先生の知恵を借りて試作した、水を洗うための特別な壺だ』と説明し、余計な噂が広まらないように念を押すこと。そしてなにより――」
お父さんは真剣な眼差しで僕を見つめ直した。
「ろ過した水は、そのまま飲ませるな、だろ?貴重な糞炭を少し分けてやるから、必ず一度火を通してから飲ませるよう、アディルに固く約束させるんだ。いいな?」
「はいっ! ありがとうございます、お父さん、おじいちゃん!」
ろ過だけに頼らず、僕が何度もお願いをしていた煮沸の徹底まで指示してくれたお父さんの見事な判断に、僕とおじさんは心の中で深く感謝した。
僕たちは予備のろ過器と、少しの糞炭を急いで抱え、アディルの家へと向かって駆け出したのだった。




