01-40.プラート視点1
トッシュの父、プラート視点の話です。
その日のオイアクス村の夜は静かだった。
じりじりと大地を焼いていた太陽が沈み、乾いた夜風が日干しレンガの壁を涼しく冷やしていく。
プラートは高床式縁台の上に腰掛け、中庭を眺めながら、昼間に起きた出来事を一人で考えていた。
片隅に置かれた油灯の淡い火が、夜風に吹かれて小さくゆらめいている。
プラートの手元には、昼食の終わりに長男のトッシュから手渡された、小さな陶器の茶碗があった。
中身はすでに空だったが、あのとき喉を通り過ぎた水のすっきりとしたのど越しは、今も鮮明に記憶に残っている。
「……本当に驚きだな」
ぽつりと漏らした低い声が、静かな夜の空気に溶けていく。
プラートは大きな手のひらで、無骨に伸びた己の髭をなぞった。
これまで毎日飲んでいた貯水池の水が、どれほど泥臭かったかを、あの子の持ってきた水が教えてくれた。
いつもは表面の澄んだ上澄みだけを汲んではいた。
それでも、口に含めばわずかに土や砂の味がして、特有の匂いがするのが当たり前だと思って生きてきた。
だが、トッシュが物置から持ってきた水には、その不快な匂いも雑味も、まったく残っていなかった。
のど越しがすっきりとしていて、驚くほど澄み切っていた。
あの子は、水の中に悪いものが入っていて、それが暑い時期の腹痛を引き起こしているのだと言っていた。
親の欲目かもしれないが、あの水を飲んだ瞬間、あの子の言葉は本物だろうと確信してしまった。
だが、疑問は尽きない。
布を重ね、石を敷き、さらにはあの偏屈な職人のニヨズに焼かせたという骨の炭を使う。
そのろ過などという仕組みを、一体どこで思いついたというのか。
おやじ殿に聞いても、「ちょっと色々あってな」などと言葉を濁すだけだ。
「あいつは、急にどうしたんだ……」
プラートは腕を組み、静かに目を閉じた。
トッシュが急に水がどうこうと言いだし、異常なまでのこだわりを見せ始めたのは、いつからだったか。
思い返せば、あの初等学校での拝受の儀の最中に倒れてからだ。
あの日を境に、あの子は何かが変わった。
神様から水属性の魔法を授かったことと、何か関係があるのだろう。
あの子の身に何が起きているのだろうか。
それに、昼間のあの子の立ち回りは、七歳の子供のものとは思えないほどしっかりしていた。
プラートは暗闇の中で、小さく苦笑いを漏らす。
トッシュは、父である俺や、母であるムフバットには一切の相談をしていなかった。
あやつは、祖父のオモの協力を先に得て、物置で着々と準備を進めていた。
さらにはおばあちゃんのグルスランや、娘婿のソディルまで巻き込んで、荒野へ狩りに出かけて骨まで調達してきたのだ。
そうして周囲を巻き込み、外堀を埋めてから、家族全員がいる食卓で一気に俺を説得にかかった。
確かに、先に俺に相談をされていたらどうだったか。
そんなものを作っている時間があるくらいなら、もっと畑仕事に精を出せなどと言って、相手にはしていなかっただろう。
あの子は、父親のそんな生真面目な性格すら見抜いていたに違いない。
おそらく、おやじ殿──オモが裏で知恵を与え、言われたまま動いていただけだろうが、それにしても、あやつはもうそんなことができるほどに成長していたのか。
厳しく接してはいるが、我が子のその驚くべき成長は、父親として嬉しくもある。
しかし、本当の問題はここからだ。
あのろ過というものが本物であった場合、これからどうするか。
これで病気になる者が少なくなるなら、村の皆に共有すべきだ。夏になると必ずと言って、お腹を下すものが出るし、時には水が原因かはわからないが、死者が出ることもある。
だがしかし、この辺の地域は、安寧や安定を望む者が多く、新しい風や変化を嫌う者も少なくない。
そんなところに、十歳に満たない子供が作ったもので、しかも骨炭という少しばかり、驚いてしまうものを使ったものなど、簡単に受け入れられるだろうか。
いや、むしろ、黒魔術だとか、異端だなどと言われてしまうかもしれない。
そうなれば、あの子自身が危うい立場に立たされる。
「悩ましいところだな……」
プラートは静かにため息をついた。
この小さな農村で受け入れられるには、少し尖りすぎている。
父親として、我が子の命とこの平穏な家族の幸せを危険に晒すわけにはいかない。
ひとまずは、あの子がこれからどうしたいか、じっくりと見極めるべきだろう。
幸い、おやじ殿がトッシュの後ろ盾になってくれている。
周りの家には一旦この仕組みを隠しつつ、これからのことは考えていこう。
プラートは油灯の芯を静かにつまみ、その淡い炎を消した。
あたりは暗くなり、遠くで家畜たちが眠りにつくかすかな気配だけが聞こえてくる。
プラートは我が子のこれからの行く末を案じながら、眠りにつくために部屋へと戻るのだった。
プラートは気難しい性格で、不器用なところもあるのでわかりづらいのですが、家族への愛情はたっぷりある人物です。




