01-37.骨の炭と、澄み渡る水
あの荒野での狩りから、およそ二週間ほどの日が流れたある日……。
季節は確実に移り変わり、日中の日差しはいよいよ容赦のない強さになってきている。
初等学校の授業を終えて家に帰り着く頃には、僕の小さな背中はじっとりと汗ばんでいた。
中庭の高床式縁台へと向かおうとした、そのとき、、、。
「トッシュ、ちょっとこっちへ来い」
おじいちゃんが周囲を気にするように声を潜めて僕を手招きした。
その視線は、中庭の奥にある薄暗い物置へと向けられている。
(おじいちゃん、どうしたんだろう。何かあったのかな?)
『…ついにアレじゃないか?』
脳内で、すっかり元気を取り戻したおじさんが弾んだ声をあげた。
二週間前の解体のときに血を見て気絶したことなんて、もう本人はすっかり忘れているみたいだ。
僕はおじいちゃんの後を追い、足音を立てないように物置の中へと滑り込んだ。
使い込まれた農具や干し草が並ぶ薄暗い空間の一角に、見慣れない小さな麻袋が置かれていた。
おじいちゃんはニヤリと白髭の口元を緩めると、その袋の口を紐解いて僕に見せてくれた。
袋の中には、鈍い黒色に光る炭がぎっしりと詰まっていた。
「これ、ニヨズさんに頼んでいた骨炭だね!」
「おう。今朝、お前さんが学校へ行ってから、あやつのお弟子さんがわざわざ届けてくれたんじゃ。ニヨズのやつ、約束通りきっちり焼き上げてくれたらしいぞ」
おじいちゃんはそう言って、誇らしげに胸を張った。
僕は袋の中に手を入れ、その黒い炭をいくつか摘み上げてみる。
表面はカサカサと乾いていて、普通の木炭よりもどこか硬く、ずっしりとした重みがあった。
あのサイガや野ウザギの骨が、新しい形に生まれ変わったのだ。
『おお……これが骨炭か! さすがニヨズの親父! これさえあれば、俺たちの水質改善プロジェクトは一気に次のステージへ進めるぞ!』
脳内のおじさんが大興奮で拍手を送ってくる。
「おじいちゃん、お母さんがお昼ご飯の準備を終えるまで、今日はまだ少し時間がありそうだよ」
「うむ、ワシもそう思うてな。プラートに見つからんうちに、さっそく試してみようじゃないか」
——僕とおじいちゃんは、物置の奥の棚に大切に隠しておいた簡易ろ過器を取り出した。
底にひびが入った古い壺の中に、布、大きな石、小石、そして細かな砂を重ねて作った、僕たちの秘密の道具だ。
僕は慎重に砂の層を一度退け、新しく届いた骨炭を、小石と砂の間にたっぷりと敷き詰めていく。
黒い骨炭の層が加わったことで、ろ過器は以前よりも少しだけ重みを増した。
おじさんが脳内で熱く解説してくれるのを聞きながら、僕は今朝汲んだハウズの水を取ってきて静かに壺へと注ぎ込んだ。
トトト、と水が砂の層に染み込んでいき、新しく追加した骨炭の層を通り抜けていく。
壺の底のひび割れから、ぽたぽた、と透明な水滴が落ち始めた。
(よし、この間と同じように、何度も同じ水を通して中を綺麗に洗うんだよね?)
『そうだ。最初は炭の粉で黒い水が出るかもしれないが、何度も繰り返して骨炭を洗うんだ』
僕とおじいちゃんは、手際よく落ちてきた水を別の器で受け止め、何度も何度も壺の上へと戻して循環させた。
最初は少し黒ずんでいた水が、三回、四回と繰り返すうちに、みるみるうちに輝きを取り戻していく。
そして、七回目を数えた頃、壺の底から滴り落ちてきたのは、驚くほど澄み切った水だった。
器に溜まったその水を日干しレンガの隙間からの光に透かしてみると、先週作った簡易ろ過器の水よりも、さらに奥まで見通せるほど透明になっている気がした。
ゆらめく水面が、物置の暗がりのなかでキラキラと宝石のように輝いている。
「おじいちゃん、随分と綺麗になったよ。さっそく、飲んでみよう」
僕は、器に溜まった綺麗な水を小さな陶器の茶碗に注ぎ、まずはおじいちゃんへと手渡した。
おじいちゃんは長い髭を濡らさないように気をつけながら、茶碗を口元へと運び、ゆっくりと喉を鳴らしてその水を飲み干した。
そして、一瞬だけ目を見開いた後、心底驚いたように吐息を漏らした。
「……素晴らしい。トッシュ、お前も飲んでみなさい」
次に僕が茶碗を受け取り、澄み切った水を口に含む。
(あ……。全然、違う……!)
土や砂のざらつきが綺麗に取り除かれているのは前と同じだったけれど、それ以上に、嫌なにおいが消え去っていた気がする。
喉を通り過ぎる感覚が驚くほど滑らかで、すっきりとしている。
『これだよ、これ! においが大分と消えてるじゃないか! さすが炭だな!これで沸騰させてお湯にしちまえば、水問題は解決だ!』
脳内のおじさんも、その劇的な変化に大喜びで歓声をあげている。
おじいちゃんも僕の頭を何度も優しくなでながら、感心したようにろ過器を見つめた。
「おじいちゃん!においが全然しなくなったよ。これなら、お茶を沸かさなくても、そのまま美味しく飲めるよ!」
「うむ。ここまで澄んだ水が作れるとなれば、もう子供の火遊びとは言わせんぞ。トッシュ、そろそろこの水をプラートに見せて、我が家の飲み水をこれに変えるよう、説得をしてもいいかもしれんぞ」
おじいちゃんは真面目な顔つきになり、僕の目をまっすぐに見つめた。
(お父さんを、説得する……)
『そうだな。俺もじいさんの言う通り、なんとか理解してもらえると思うぞ』
生真面目で厳しいお父さんを納得させるのは、きっと簡単なことじゃない。
だけど、この最高の水があれば、きっとお父さんの心も動かせるはずだ。
「うん、おじいちゃん。お父さんにお話ししてみるよ!」
中庭のほうから、お母さんの「ご飯ができましたよー!」という明るい声が響いてきた。
僕とおじいちゃんは、お互いに顔を見合わせて力強く頷き合った。
ついに、トルスノフ家の水を大きく変える瞬間が来たんだ。




