01-28.????視点2
真っ白な空間の中で、俺はパイプ椅子に深く腰掛け、天井を見上げていた。
ここはトッシュの脳内にある、俺だけのプライベートスペースだ。
トッシュが起きている間は特等席であいつの五感を通して外の様子を見ているし、あいつが眠っている時は、ここで時折、二人でああだこうだと作戦会議を開く。
今日はあいつが心地よい疲労感と共にぐっすり眠りについたので、俺は一人、静かにこれまでのことを振り返っていた。
(しかし……今回はおじいちゃんがいてくれて、本当に助かったな)
ぼんやりとそんなことを考えていると、脳の奥底から、前世――会社員をやっていた頃の、薄汚い記憶が、霧の向こうから這い出てくるように蘇ってきた。
詳しい職種や、自分の本当の名前、どうやって死んだのかといった肝心なことは未だに思い出せない。
接客系のサービス業だったような気はするが、思い出せるのはもっと別の、ひたすら胃の痛くなるような『大人の処世術』ばかりだ。
社会に出て痛感したのは、自分一人の能力なんて、大した武器にはならないということだった。
社内や取引先で話を通したい時、正面から直談判したところで「前例がない」と一蹴されるのがオチだ。
だから、あらかじめ別部署の口の軽い役職者に「これ、アメリカの会社で流行りつつあるんですよ」などと吹き込んでおいたり、会議でも口や顔が大きい有力者に先に個別に事前に打ち合わせをして許可を取っておいて、会議ではほぼ事後承認を取るだけ、という状況にいかに持っていくか。
顧客から怒り狂ったクレームが入った時や、大きな契約を取りたい営業の時もそうだ。
自分一人で平謝りしたり熱弁したりするより、もっと偉い上司や、やたらと口のうまい他部署の人間を「わたしの上司です」と同行させた方が、相手は『格の高さ』を感じてすぐに話が収まるし、営業だってうまく進んだ。
要するに、自分よりも遥かに強い『他人の権威』を借りたり、うまく人を味方につけたりするのが、一番手っ取り早いのだ。
そのために、俺は日本にいた頃、どれほど多くの「偉い人」にいい顔をしてきただろう。
したくもないお世辞を言い、飲み会ではグラスの空き具合を常に気にし、愛想笑いを顔に張り付かせていた。
思い出すだけでも、当時のうんざりするようなビールの匂いや、ネクタイの苦しさが喉元に込み上げてくる。
「あああーーー、嫌なことを思い出した。なんでこんなことばかり思い出すんだ……」
俺は自分の記憶にうんざりして、大きく頭を振った。
そういえば、今回のニヨズとの交渉にしてもそうだ。
トッシュ自身が何か裏工作をしたわけじゃない。
あいつはただ、大きな壺の前で泥だらけになって、必死に綺麗な水を双子に見せていただけだ。
別に、あいつが「根回し」をして、おじいちゃんを連れてきたわけではない。
おじいちゃんのオモが、普段からおとなしくて良い子にしているトッシュを見て、可愛い孫を助けてやろうという一心で、自ら進んで手助けを買って出てくれたのだ。
トッシュは、オモおじいちゃんという「良いカード」を、普段の行いの良さで見事に拾い上げた。
おじいちゃんにそこまで心配され、評価されているトッシュは、本当に良い奴だし、素直に大したもんだと褒めてやりたい。
ただ、今回はおじいちゃんの好意でなんとかなったが、これからもっと大きなことをやろうとすれば、こんな幸運ばかりが続くわけがない。
自力でもっと大変な、泥臭い大人同士のネゴシエーションが必要になるはずだ。
「……そういえば。あああーーーまた嫌なことを思い出してしまったじゃねーか!」
俺は、トッシュがオモおじいちゃんに咄嗟についた、あの言い訳を思い出した。
『 初等学校のトリーブ先生がね、昔、遠い国の賢い導師さまが砂や石を重ねてお水を通すと、悪い汚れが落ちて綺麗になるって話していたのを、教えてくれたんだ。それを思い出して、試してみたの』
あいつは確かにそんなことを言っていた。
おじいちゃんもトリーブ先生を物知りだと信じ込んでいるから、深く納得していた。
(これ、トリーブ先生本人には一ミリも話が通ってないやつだよな……?)
もしも、オモおじいちゃんとトリーブ先生が、 信仰の日とかでの立ち話で「いやぁ、先生がトッシュに教えてくださった水の知恵、あれは凄いですな」「はて、何のことですかな?」なんて会話を交わした瞬間、あの即席ろ過器の嘘は一発で崩壊する。
そうなれば、せっかく自分のことを信用して、父親のプラートからかばってくれたおじいちゃんを完全に裏切ることになる。
そしてそんなことになれば、トッシュの胸は罪悪感で押し潰されてしまうだろう。
それに、勝手に名前を使われたトリーブ先生にも、あらぬ大迷惑をかけることになる。
つまり、今後トリーブ先生に会ったときに、どうやってこの話を根回しするか、その「やり方」や「言い方」を真剣に考えなければならないのだ。
七歳の子どもの姿で、どうやって村の最高知識人である導師を丸め込む?。
「先生、昔こんなことをおっしゃっていましたよね? あ、言っていませんか? でも、僕の中では、先生のあの時のお言葉が、ヒントになったような気がしたんです」とか、それっぽい子供らしい言い訳を構築して、事後承諾を取るしかないか。
いや、そもそもあのトリーブ先生に、そんな付け焼き刃の小細工が通用するだろうか。
あれこれと脳内であらゆる言い訳のパターンを想定し、一番無難な交渉ルートをシミュレーションし始めた、その時だった。
「あ、っ……」
突如、みぞおちの辺りに、きゅっと絞られるような不快な感覚が走った。
俺は思わずその場に腰をかがめ、胸のあたりを手で押さえた。
前世で、何度も夜中に俺の安眠を妨げた、あの懐かしい「胃痛」の気配だった。
「イタタタタ……。なんで死んで、魂だけのはずなのに、実体のない胃がこんなに痛むんだよ……イタタタタ……ああ、、H2ブロッカーがほしいぜ……」
誰もいない真っ白な部屋の中で、俺は己の情けない、しかしあまりにもリアルな職業病の呪いに苦笑いしながら、ただひたすらに、痛む腹をさすり続けることしかできなかった。
おじさん視点でした。
書きながら私も暗い気持ちになって書いた話でした。




