01-21.聖堂に響く詠唱と光
村の中央に佇む聖堂の礼拝所に足を踏み入れると、そこにはいつも通り、白い正装姿の男たちがぎっしりと絨毯を埋め尽くしていた。
百五十人か、二百人か。
数えたことはないけれど、オイアクス村中の男という男が、老いも若きも一堂に会しているのだ。
普段は泥に塗れてロバを追い回している近所の気のいいおじさんたちも、今日ばかりは髪を綺麗に整え、厳かな表情で絨毯の上に整列している。
何度見ても、見慣れた顔ぶれのはずなのに新鮮な光景だ。
僕たちトルスノフ家の男手も、祖父のオモを先頭に、いつもの空いている絨毯の上へと静かに腰を下ろした。
五歳になったばかりのハッサンとフサンは、まだこの人数に慣れていないのか、いつもよりずっと大人しく僕の左右に縮こまっている。
『これは圧巻だな……。百人以上の大人の男が、物音一つ立てずに整列してるのは。前世の日本の満員電車も凄かったけど、この内側から湧き上がるような、ガチの宗教社会の一体感はちょっと鳥肌が立つわ……』
脳内のおじさんが、感心したように呟く。
確かに、僕も初めて参加したときには凄いなと感動したもんな。
やがて、聖堂の少し高くなった壇上に、仕立ての素晴らしい美しい衣服をまとったトリーブ先生――いや、今日ばかりは村の最高位の導師としての先生が姿を現した。
先生の長い白い髭が、厳かな朝の光を浴びて神々しく輝いている。
一番前には、村長であるイスカル長老の姿も見えた。
トリーブ先生が深く息を吸い込み、分厚い聖典を広げて朗々と声をあげた。
その瞬間、男たちが一斉に、物音一つ立てずに正座に姿勢を正した。
「神に、すべての恵みの感謝を――」
先生の響き渡る詠唱に合わせ、地を揺るがすような男たちの低い唱和が聖堂を満たしていく。
誰もが背筋を伸ばしたまま身動ぎ一つせず、大典の一節を繰り返し唱和しながら、その言葉の一つひとつを胸に刻み込んでいく。
それは、ただの形式的な儀式ではなく、この過酷な乾燥地帯で生きていくための精神的な大黒柱そのものなのだと、体の芯から理解できるほどの迫力だった。
太陽が天頂へと昇り、長い朗誦がようやく終わりを告げると、先生が聖典をそっと閉じた。
それを合図に、男たち全員が目を閉じ、胸の前で両手のひらを向かい合わせる。
指先も手のひらも触れ合わせないまま、息を大きく吸い込みながら、円を描くようにゆっくりと両手を頭上へと持ち上げていく。
「神に感謝を」
何百人もの声が一つに重なり、聖堂の奥から光が射してきて礼拝所を大きく照らした。
まるで、この場にいる全員の中を巡る魔力が、一斉に天へと還っていくかのような、そんな神々しい瞬間だった。
光が治まり、再び礼拝所に静寂が訪れる。
——そして、少しずつ聖堂内の張り詰めた静寂は、一転して温かい賑やかさへと変わっていった。
「ふぅ……。ようやく終わったね、トッシュ兄ちゃん。足が痺れちゃったよ」
フサンが絨毯の上で足をさすりながら、大げさにため息をついた。
「こら、フサン。お行儀が悪いよ。ちゃんとしなさい」
ハッサンが真面目な顔でフサンの服の皺を伸ばす。
いつもの兄弟のやり取りにホッとしていると、大人たちはさっそく絨毯の上で輪を作り、村中の交流を始めていた。
父さんやソディル義兄さん、おじいちゃんたちは、近所の農家の人たちと小さな素焼きの器で水や温かいお茶をすすりながら、「今年の綿花の芽吹きはどうだ」「水路の泥上げの順番を決めよう」と、のんびりとした休日のお喋りに花を咲かせている。
子供たちにとっても、ここからは待ちに待った自由時間だった。
「よお、トッシュ! 今日もちゃんと来れたみたいだな!」
背後からぶっきらぼうな声がして振り返ると、そこには我が家と同じように白い正装を着こなした、初等学校の友人であり村のガキ大将でもあるアディルと、相方のブーリが立っていた。
普段はやんちゃで泥だらけの二人だけど、一張羅を着ていると少しだけお行儀が良く見える。
「アディル、ブーリ、おはよう!?……こんにちは…かな!? うん、もう全然平気だよ。昨日までもう何度も初等学校で会ってるじゃないか。けど、心配してくれてありがとう」
僕が笑顔で答えると、アディルは少し顔を赤くして「べ、別に心配なんかしてないんだからなっ。
お前がいないとマクタブの復唱が盛り上がらねえからな」とそっぽを向いた。
ブーリが横から「アディルのやつ、トッシュが倒れたとき一番狼狽えてたんだぜ」と茶化すと、二人は小突き合いを始めた。
本当に可愛い友人たちだ。
——太陽が昼過ぎの光を投げかける頃、村の男たちは満足そうな顔をして、それぞれの家へと帰路につきはじめる者、そのまま談笑する者、ここぞとばかりに遊びに出かける子供たち……とめいめいと別れていく。
我が家の男手たちは、ソディル義兄さんとも合流し、笑い合いながら帰宅する。
家の中では、留守番をしてくれていたお母さんやバショ姉さんたちが、すでに温かいお茶の準備をして僕たちを迎えてくれた。
(よし……みんながお茶を飲んで、一番のんびりする午後の時間が、ついにやってくるぞ)
中庭で白い上着を脱ぎながら、僕は物置小屋のほうをチラリと盗み見た。
あの暗がりの奥では、口の欠けた古い壺と、集めた砂や石、そしてお母さんにもらった布の端切れが、静かに僕の手を待っている。
『いよいよだな、トッシュ。お前さんの家族を泥水から守るための、記念すべきファーストステップだ。この一歩は小さいが、お前さんにとっては偉大な一歩だ』
脳内のおじさんが、いつになく真剣で、頼もしい声で語りかけてくる。
「うん、おじさん。みんなが休憩に入ったら、すぐに始めよう」
胸の高鳴りを必死に抑えながら、僕は家族の笑顔を見つめ、作戦決行に向けて、静かに闘志を燃やすのだった。




