01-02.白い部屋
再び目を覚ますと、そこは僕の知っている子供部屋ではなかった。
土の壁も、木の天井もない。
ただ、どこまでも真っ白で、うっすらと光っているような不思議な空間だった。
「ここは……どこだ?」
『……俺も、同じことを聞きたいよ』
ふいに、背後から声がした。
振り返ると、そこには見慣れない姿をした「大人の男」が立っていた。
身体にぴったりと張り付くような、黒くて奇妙な上下の服(頭に浮かんだ見知らぬ言葉が、それを『スーツ』であると教えてくれる)を着ている。
男は頭を掻きながら、ひどく困惑した顔で僕を見ていた。
『君はトッシュ君……だよな? なんだこれ、夢か……? いや、俺はたしか自分の部屋で倒れて……』
男はぶつぶつと呟いた後、ハッとしたように顔を上げた。
『もしかして俺、自分の世界で死んで……君の中に生まれ変わった、いや、混ざってしまったのか……?』
「死んで、混ざった……?」
『……俺にも何が何だかよくわからないんだ。ただ、君の記憶と俺の記憶がぐちゃぐちゃになってて……俺は日本ってところで生きてた、ただの男だよ』
(どうやら、この男も僕と同じくらい、今の状況が分かっていないらしい。生まれ変わり……なんだか男はよくわからないことを言っている。ただ、嘘を言って騙そうとしている感じはしない)
僕は、プラートの長男、トッシュだ。
それは絶対に揺るがない。
家族の顔を思い浮かべれば温かい気持ちになるし、優しい両親や姉弟たちのことは可愛いと思う。
だけど、この男の言葉を聞いていると、僕が経験したことのない記憶や言葉が、まるでポツリポツリと雨の滴が落ちてくるように、頭の中に浮かび上がってくる。
(『ニホン』……という国の、サンジュウ代の会社員……)
目の前にいる、この少し情けない顔をした大人の男。
彼の生きていた世界は、僕たちの世界とは比べ物にならないほど便利で、安全で、魔法ではなく『カガク(科学)』というもので作られた世界だった。
夜でも太陽のように明るい街。
鉄の塊がものすごいスピードで人を運ぶ乗り物。
そして……いつでも、どこでも、蛇口をひねるだけで、透明で冷たい水がいくらでも飲める生活。
「……すごいな。こんな世界が、本当にあったのかな」
思わず感嘆の息を漏らしてしまう。
ただ、一つだけ聞きたいことがあった。
「おじさん……僕が水を飲もうとしたとき、『菌』がどうとか言って止めたよね……? なんであんなに痛くなったの? とても痛かったんだけど、だけど僕も喉が乾いちゃってるんだ」
その言葉に、男は気まずそうに目を伏せた。
『おじ…さん……か、、、そうだよな。君ぐらいの歳からするとおじさんだよな……いや、まぁ合ってるんだけどちょっとそう言われるとな……』
(男はよくわからないところでショックを受けているようだ)
『ってそれどころじゃないよな』
男はコホンと咳払いをして、真面目な顔を作った。
『あれはごめん。わざと痛くしたわけじゃないんだ。ただ……俺が生きてた世界の常識からすると、あの茶色く濁った泥水はどうしても受け付けられなくて。病気になる『菌』がいるって、本能が全力で拒絶してしまったんだ』
「菌ってのはよくわからないけど……汚いってこと…? でも、僕たちだって泥水をそのままガブガブ飲むわけじゃないよ」
僕は少しムッとして言い返した。
「水瓶に入れて、土や砂が下に沈むのを待ってから、上の澄んだところだけをすくって飲むんだ。それに……水から変な匂いがする季節は、お腹を壊したり病気になる人が多いってことくらい、僕だって知ってる」
『とにかく、俺はあの水はできる限り飲みたくないんだ』
「わがまま言わないでよ。水を飲まないと、死んでしまうんだよ?」
『分かって。分かってるよ……俺も、せっかく君の中で生きられるかもしれないのに、こんなところで死にたくない。少しなら我慢して飲む。でも、本当になんとかしてほしいんだ……』
目の前の男は、父親のプラートとそう離れていない年齢に見える。
なんなら父親のプラートよりも背は明らかに大きいのに、なんだか本当に線も細く、大人の男って感じがしない。
なんなんだろう。
そう僕が心の中で思った瞬間、おじさんの元気が少しなくなったような気がした。
『……って、俺、子供相手になに情けなく泣きついてるんだろ。ごめんな。そっちから見たら、言う通り線が細くて頼りないおじさんに見えるよな……』
(あ、あれ……? 僕の考えたことが、おじさんに伝わってる……?)
男が僕の心の声にそのまま反応したことで、僕は驚いて目を見開いた。
さっき、男が口を開くより前に、なんとなく男の情けない反省の気持ちが僕の頭の中に直接流れ込んできたのもそうだ。
どうやら僕たちの間では、言葉にしなくても、お互いの考えていることがうっすらと筒抜けになっているらしい。
これじゃあ、隠し事なんてできそうにない。
『どうやらそうみたいだ。考えていることもわかるし、良くも悪くも一蓮托生ってやつなんだと思う。あ、一蓮托生ってわかるか…? えーっと、運命をともにする仲間……という言い方だとかっこよすぎるか……』
「うん。難しいことばだけど、なんとなく言っていることはわかるよ」
なんだか不思議な感覚だけど、もう諦めて受け入れるしかないのかもしれない。
僕の頭の中にひょっこり現れたこの奇妙なおじさんとは、これからずっと離れられない運命なんだろうなと、不思議な実感が湧いてくるのだった。




