01-10.グルスラン視点1
トドッ、トドッ、と心地よい規則的な振動が、私の古い腰を優しく揺らしている。
私が跨がっているのは、愛馬のジョイだ。
この辺りの乗馬用の馬と比べれば決して大柄ではないし、高値で取引されるような美しい血統の馬でもない。
どこにでもいる、農耕や荷運びを兼ねた普通の小柄な栗毛の馬だ。
だけど、私の合図を誰よりも正確に聞き取ってくれるし、砂混じりの荒れた地面でも絶対に足を踏み外さない頑丈さを持っている。
老境に入った私の足の代わりとしては、これ以上ない最高の名馬だった。
「よしよし、ジョイ。いい子だね」
首筋をポンポンと叩いてやると、ジョイは嬉しそうに鼻を鳴らした。
見渡す限りの広大な荒野には、春の乾いた風が吹き抜けている。
視界の先では、数十頭の羊の群れが、わずかに芽吹いた青草を求めてメェメェと賑やかに鳴きながら移動していた。
「ブロン! 左が膨らんでいるよ。押し戻しておくれ!」
私が口笛を一つ吹き、前方へ指を差すと、羊たちの脇を並走していた大きな影が猛然と砂煙を上げた。
こちらも我が家の自慢の牧羊犬、ブロンだ。
ブロンは本当に見事な仕事をする。
群れから離れて勝手な方向へ歩き出そうとした若い羊の前に回り込み、低く鋭い声で「ワン!」と一吠えした。
それだけで、臆病な羊たちは慌ててお尻を振りながら群れの中央へと戻っていく。
ブロンが四方に目を光らせてくれているおかげで、私は馬の上から手綱を握っているだけで、一頭も迷子にすることなく放牧を続けられていた。
乾燥した空気の匂いと、家畜たちの立てる足音。
この変わらない荒野の景色の中で揺られていると、自然と今朝の我が家の食卓のことが頭に浮かんできた。
「トッシュのやつ、本当に無事でよかったさね……」
一昨日の昼、マクタブの先生に背負われて真っ赤な顔をして運ばれてきたときは、さすがに肝が冷えた。
拝受の儀で突然気絶したと聞いたときは、最悪の事態も覚悟した。
この土地では、子供が流行り病や熱を出して、そのままあっけなく神様の元へ旅立ってしまうことなんて珍しくもないからだ。
だからこそ、今朝あの子が自分の足で食卓に座り、ノンを美味しそうに食べているのを見たときは、神への感謝で胸がいっぱいになった。
ただ、今朝のトッシュの様子には、ほんの少しだけ引っかかるものがあった。
熱がすっかり引いたあの子の目は、なんだか妙に落ち着いていた。
七歳の子供らしい無邪気さの奥に、まるで人生を何度も経験した大人のような、冷徹で客観的な光が混ざっているように見えたのだ。
私やプラートの話をじっと聞いているときのあの子の佇まいは、どこか、あのおじいさんが若い頃に見せていた、深く物事を考えているときの雰囲気に似ていた。
「……まあ、長男だからね。気が引き締まったのかもしれないさ」
誰にも言えないような難しい顔をして、何かを一生懸命に考えていたトッシュ。
優しい子だから、自分が倒れて家族に心配をかけたことを、幼いなりに気に病んでいるのかもしれない。
だけど、あの子ならきっと大丈夫だ。
きっとこの厳しい世界を立派に生き抜いていける。
そう、馬の背の上で確信していた。
「……さてと、もうそろそろ暗くなってくるし、魔物が出てくる前にもう帰ろうかね」
陽が少しずつ傾き始め、荒野が美しい黄金色に染まり始める頃、私は羊の群れをゆっくりと反転させた。
ブロンとジョイに合図を送り、家の方へと歩みを進める。
夕暮れの涼しい風が、火照った頬を心地よく撫でていった。
我が家の家畜囲いの近くまで戻ってくると、遠くから小さな人影がドタドタと走ってくるのが見えた。
双子の弟、三男のフサンだ。
「おばあちゃん! おかえりなさいー!」
フサンは短い足を一生懸命に動かして駆け寄ってくると、ジョイの足元でぴょんぴょんと跳ね上がった。
「フサン、危ないよ。ジョイの足元に近づきすぎちゃダメさね」
「大丈夫だよ! ねえおばあちゃん、僕も早くジョイに乗りたいよ! 馬に乗って、パカパカって遠くまで行ってみたいんだ!」
そんなことを言っているフサンのお腹あたりに、犬のブロンが頭をつけてじゃれだした。
目をキラキラ輝かせながら手綱を見上げてくるフサンを見て、私はフッと目元を緩めた。
いたずらっ子のフサンは、じっとしているのが大嫌いな、元気いっぱいの男の子だ。
この子は私に似て動物に好かれるたちかもしれない。
「そうだねぇ。フサンがもっとたくさんノンを食べて、プラート父さんくらい背が大きくなったら、ジョイも喜んで背中に乗せてくれるさね」
「えー、早く大きくなりたいなぁ。あ、それからね、僕、ブロンを使って羊たちを思いっきり追い回したいんだ! ほら、ブロン、あっちの羊を追ってよ!」
フサンが大きな身振りと声でブロンに命令を下そうとするが、ブロンは座り込んだまま、ただ静かに尻尾をパタパタと振るだけで、全く動こうとしなかった。
ブロンは頭が良いから、子供の遊びの命令には従わないのだ。
「あはは、ブロンが言うことを聞いてくれないや!」
「ブロンに認めてもらうのも、まだまだ先の話さね。トッシュ兄ちゃんに負けないくらい、毎日いい子にして、お家の手伝いをたくさんしないとね」
私は馬の上から優しくフサンの頭を撫でて、その幼い言葉をあやした。
フサンは悔しそうに口を尖らせながらも、すぐに笑顔に戻って、羊たちを囲いの中へと誘導するのを手伝い始めた。
賑やかな弟たちと、少し不思議な変化を見せた頼もしい長男。
このかわいい孫たちの未来が、どうか乾いた砂に埋もれることなく、豊かでありますように。
私は神様に小さく祈りを捧げながら、ゆっくりとジョイから降りるのだった。
別人視点、祖母のグルスラン視点でした。
主人公のトルスノフ家では、羊を飼ったり、農業をしたりと、半農半牧をしています。
馬は、地方の農家では贅沢で高価なので、多くは飼えず、羊を追うための目的に1頭だけ飼っているという設定にしてます。(今のところ。あとで矛盾してきたら変更するかもしれません笑)
そして、基本的な移動手段や人間の相方的動物はロバでした。
馬は戦いに多くが駆り出されて、庶民まであまり出回ってなかった、、、らしいのです。
(ただ実際、中世時代はそうだったっぽいんですが、なかなか資料がなく、ほんとなのかがよくわかりませんでした・・・汗)
現代ならまだしも、1600年くらいの中央アジアなんて全然ネットで調べても情報がないし、近くの図書館にも全然ないんですよね・・・。




