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スライムの女王  作者: 黒戸しろ


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2/6

これが私の生きている、最悪で未開な世界

 成り上がる──

 その前に、現状を把握することからはじめなければ。

 何が足りなくて、何をすべきか順位をつけて動いた方がよさそうだ。

 しかし、それすら考えられない現状に、途方に暮れてうつむいた。

 私には、何もない。空っぽだ……。


 十歳の私は母親のいいなりで、『ブスだから外へ出るな』の命令のもと、トイレと井戸と家の往復しかしたことがなかった。

 近所に人はいるけれど、話しかけられたことはない。母親はみんなに嫌われているから、娘の私も巻き添えだった。

 日常的に私を殴るような母親だから、きっとろくでもないことをしでかしている。今世は親ガチャ大失敗だ。


 穴ぼこトイレに、井戸は泥まじり、自宅はあばら屋……。よくこんなところで生きていたと感心する。

 つまり、私は十年生きていても、異世界についてはまったく無知の状態だ。


 辺りに母親の姿はなかった。

 聞きたいことがたくさんあるけれど、いつも話しかけようものなら『うるさい』って叩かれていたから、どうせ質問しても答えてもらえず、さらに叩かれて終わるだろう。

 そんな扱いを受けていても、十歳の私は母親なしでは生きていけなかったから、いつ戻るかわからない母親の帰りをひたすら待っていた。

 お腹と背中がくっつくのではないかと思える空腹の中、ずっと待ち続けていたのだ。


 ゆるゆると首を横に振る。母親への否定をこめて。

 ──自分から行動しないと死ぬねこれ。いまのまま、無気力な子どもでいると本当に終わる。


 母親はよく、『お前なんか産むんじゃなかった』と言っていた。

 こちらだって、『お前から生まれたくなかった』と言ってやればよかった。

 たくさん叩かれてきた分、ビンタの一、二発……ううん、十発以上はお見舞いしたい。

 そして、私にブスと言ってきた分、ボコしまくって化け物以上のブスにしてやる。


 闘志をみなぎらせているなか、お腹がぐうと大きく鳴った。

 昨日から何も食べていないから、本気でどうにかしなければ。

 自分の着ている服を確認したとたん、ため息がこぼれる。

 とんでもないボロボロの服装だ。これじゃあ雑巾のほうが百倍ましだ。ありえない。


 ──こんな服で外出できない。なんなのこれ。

 きょろきょろと家を見回して、また息をつく。最悪だ。

 ──なんだかブタ小屋……いや、ブタだって気を悪くする家だな。

 屋内のはずなのに、外のように風を感じる。雨も普通にぽたぽた落ちてくる。

 これは、果たして家と言っていい代物なのだろうか。

 ──こんなの、ちびっこが作る秘密基地レベルじゃん。成り上がらないとやばい。


 とりあえず、家をがさがさ探った。

 どうやら私に靴はなさそうだ。替えの服もなく、絶望したころ、母親の服を三枚見つけた。

 一枚を雨で濡らして汚い体をごしごし拭いて、乾いたもう一枚で水気を取って、最後の一枚を上から被る。

 大きすぎて不格好だけれど仕方がないだろう。今着ている服よりもはるかにましだから。

 腰のあたりをぎゅっと紐で縛れば、縄文・弥生風ファッションの完成だ。

「未開でいやになる」と呟きながら、先ほど発見した干からびたパンを齧った。

 おそらくこれは、母親のへそくり的なパンだと思うが。

「うっ、くそまず!」

 ぽいっとパンを捨てると同時に吐き出す。こんなカビ味、絶対病気まっしぐらだ。

 前世の記憶が戻った弊害がすさまじい。これまで平気で食べていたパンはおぞましい味に感じるし、体のそこかしこが痒く感じて、お風呂が恋しくて暴れたくなるほどだ。


「助けて。異世界、まじで最悪なんだけど」


 拝啓、真希ちゃん。

 以前あなたは異世界に行ってみたいと言っていましたね。たしかに私は聞きました。

 いいでしょう、叶えます。

 おねがい、頼むから私と代わって……


 ──はあ、泣きたい。チートとか、まじで出てこい。私を助けろ!


 どうしようもなくお腹が鳴いて、元からない気力がさらに削がれる。

 まずは食料、そしてお金を稼がなければ、本当に本当に死んでしまう。

 ねずみも寄り付かなそうな、このあばら屋から早く出なければ。

 それが私の、家から外への第一歩だった。

 





 一歩一歩進むたび、母親に殴られた箇所が痛んだ。

 しけった淀んだ空気がまとわりついて、身体が必要以上に重く感じる。

 周りの景色は悲惨なものだった。

 店などお金の匂いがするものはなく、道端では時間を持て余したホームレスが、だらりと転がっているだけだった。

 立っている人もわずかにいるけれど、まるでゾンビのようにふらふら歩く。いずれも骨と皮でできているような、痩せ衰えた状態だ。

 まともな壁の家さえなかった。土色の汚れた布がそこかしこで揺れている。つぎはぎしていても雨風を防ぐには至っていないだろう。

 辺り一帯、生産性がゼロであるばかりか、世界から見捨てられている街──貧民窟──なのだと思った。


 ──ぜんぜん希望が持てない掃き溜めの街……か。……うっ、吐きそう……


 鼻がつらくて口呼吸をしていても、あたりに漂う腐敗臭だけはどうにもならない。糞便の匂いに、ゴミが山積み。

 そのゴミの向こうで、あらぬ方向に曲がった足を見つけて、すぐに見なかったことにした。

 明日は我が身という言葉が思い浮かんで、背すじに寒気が走った。

 ──家だけじゃなく、この辺一体かなりやばい。どうしようこれ、本当に死にそう。

 靴のない足にも不安は残る。こんな不潔な場所で怪我をすれば破傷風になるだろう。


 異世界すべてがこんなディストピアだったらと、頭の中が占められそうで、首を振って思考を散らす。

 絶望しては、一歩も前へは進めない。

 激まずだけれどパンはある。ガラスのビンも見た。なので、文明はそこそこ高い──と思いたい。


 ずんずんと先を歩いているつもりでも、衰えている身体では速度が出ない。どこへ向かっているのかも、どこへ行けばいいのかもわからなかった。

 時計がないから、どれほど時間が経ったのかわからないけれど、夕方が近づいてくる気配は感じる。

 ──ここまで最悪でどん底なんだから、これから先は上にあがるしかない! ……よね? 下はもう限られてる! うん。

 下がいま以上深ければ、それこそ即死案件だ。

 神はそこまで意地悪ではないと思いたい。


 疲れきっている足が前に出るのを拒絶し始めていたころだ。

 ちょうどいい石を見つけたので腰掛けた。

 人に出会ったらこの世界のことを聞きたかったが、いたのはゾンビみたいな人か、ただ転がっている人たちだけだった。

 さすがにジャンキーにしか見えない彼らに話しかける勇気はでない。


「……私、これほど地獄を見せられるほど、前世で悪いことしたかな」


 曇り空からところどころ光が差していた。

 ぼんやり眺めていると、視界の端にきらりと輝くものがよぎった。

 目を向けた。

 瞬間、それ・・に釘づけになった。

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