これが私の生きている、最悪で未開な世界
成り上がる──
その前に、現状を把握することからはじめなければ。
何が足りなくて、何をすべきか順位をつけて動いた方がよさそうだ。
しかし、それすら考えられない現状に、途方に暮れてうつむいた。
私には、何もない。空っぽだ……。
十歳の私は母親のいいなりで、『ブスだから外へ出るな』の命令のもと、トイレと井戸と家の往復しかしたことがなかった。
近所に人はいるけれど、話しかけられたことはない。母親はみんなに嫌われているから、娘の私も巻き添えだった。
日常的に私を殴るような母親だから、きっとろくでもないことをしでかしている。今世は親ガチャ大失敗だ。
穴ぼこトイレに、井戸は泥まじり、自宅はあばら屋……。よくこんなところで生きていたと感心する。
つまり、私は十年生きていても、異世界についてはまったく無知の状態だ。
辺りに母親の姿はなかった。
聞きたいことがたくさんあるけれど、いつも話しかけようものなら『うるさい』って叩かれていたから、どうせ質問しても答えてもらえず、さらに叩かれて終わるだろう。
そんな扱いを受けていても、十歳の私は母親なしでは生きていけなかったから、いつ戻るかわからない母親の帰りをひたすら待っていた。
お腹と背中がくっつくのではないかと思える空腹の中、ずっと待ち続けていたのだ。
ゆるゆると首を横に振る。母親への否定をこめて。
──自分から行動しないと死ぬねこれ。いまのまま、無気力な子どもでいると本当に終わる。
母親はよく、『お前なんか産むんじゃなかった』と言っていた。
こちらだって、『お前から生まれたくなかった』と言ってやればよかった。
たくさん叩かれてきた分、ビンタの一、二発……ううん、十発以上はお見舞いしたい。
そして、私にブスと言ってきた分、ボコしまくって化け物以上のブスにしてやる。
闘志をみなぎらせているなか、お腹がぐうと大きく鳴った。
昨日から何も食べていないから、本気でどうにかしなければ。
自分の着ている服を確認したとたん、ため息がこぼれる。
とんでもないボロボロの服装だ。これじゃあ雑巾のほうが百倍ましだ。ありえない。
──こんな服で外出できない。なんなのこれ。
きょろきょろと家を見回して、また息をつく。最悪だ。
──なんだかブタ小屋……いや、ブタだって気を悪くする家だな。
屋内のはずなのに、外のように風を感じる。雨も普通にぽたぽた落ちてくる。
これは、果たして家と言っていい代物なのだろうか。
──こんなの、ちびっこが作る秘密基地レベルじゃん。成り上がらないとやばい。
とりあえず、家をがさがさ探った。
どうやら私に靴はなさそうだ。替えの服もなく、絶望したころ、母親の服を三枚見つけた。
一枚を雨で濡らして汚い体をごしごし拭いて、乾いたもう一枚で水気を取って、最後の一枚を上から被る。
大きすぎて不格好だけれど仕方がないだろう。今着ている服よりもはるかにましだから。
腰のあたりをぎゅっと紐で縛れば、縄文・弥生風ファッションの完成だ。
「未開でいやになる」と呟きながら、先ほど発見した干からびたパンを齧った。
おそらくこれは、母親のへそくり的なパンだと思うが。
「うっ、くそまず!」
ぽいっとパンを捨てると同時に吐き出す。こんなカビ味、絶対病気まっしぐらだ。
前世の記憶が戻った弊害がすさまじい。これまで平気で食べていたパンはおぞましい味に感じるし、体のそこかしこが痒く感じて、お風呂が恋しくて暴れたくなるほどだ。
「助けて。異世界、まじで最悪なんだけど」
拝啓、真希ちゃん。
以前あなたは異世界に行ってみたいと言っていましたね。たしかに私は聞きました。
いいでしょう、叶えます。
おねがい、頼むから私と代わって……
──はあ、泣きたい。チートとか、まじで出てこい。私を助けろ!
どうしようもなくお腹が鳴いて、元からない気力がさらに削がれる。
まずは食料、そしてお金を稼がなければ、本当に本当に死んでしまう。
ねずみも寄り付かなそうな、このあばら屋から早く出なければ。
それが私の、家から外への第一歩だった。
一歩一歩進むたび、母親に殴られた箇所が痛んだ。
しけった淀んだ空気がまとわりついて、身体が必要以上に重く感じる。
周りの景色は悲惨なものだった。
店などお金の匂いがするものはなく、道端では時間を持て余したホームレスが、だらりと転がっているだけだった。
立っている人もわずかにいるけれど、まるでゾンビのようにふらふら歩く。いずれも骨と皮でできているような、痩せ衰えた状態だ。
まともな壁の家さえなかった。土色の汚れた布がそこかしこで揺れている。つぎはぎしていても雨風を防ぐには至っていないだろう。
辺り一帯、生産性がゼロであるばかりか、世界から見捨てられている街──貧民窟──なのだと思った。
──ぜんぜん希望が持てない掃き溜めの街……か。……うっ、吐きそう……
鼻がつらくて口呼吸をしていても、あたりに漂う腐敗臭だけはどうにもならない。糞便の匂いに、ゴミが山積み。
そのゴミの向こうで、あらぬ方向に曲がった足を見つけて、すぐに見なかったことにした。
明日は我が身という言葉が思い浮かんで、背すじに寒気が走った。
──家だけじゃなく、この辺一体かなりやばい。どうしようこれ、本当に死にそう。
靴のない足にも不安は残る。こんな不潔な場所で怪我をすれば破傷風になるだろう。
異世界すべてがこんなディストピアだったらと、頭の中が占められそうで、首を振って思考を散らす。
絶望しては、一歩も前へは進めない。
激まずだけれどパンはある。ガラスのビンも見た。なので、文明はそこそこ高い──と思いたい。
ずんずんと先を歩いているつもりでも、衰えている身体では速度が出ない。どこへ向かっているのかも、どこへ行けばいいのかもわからなかった。
時計がないから、どれほど時間が経ったのかわからないけれど、夕方が近づいてくる気配は感じる。
──ここまで最悪でどん底なんだから、これから先は上にあがるしかない! ……よね? 下はもう限られてる! うん。
下がいま以上深ければ、それこそ即死案件だ。
神はそこまで意地悪ではないと思いたい。
疲れきっている足が前に出るのを拒絶し始めていたころだ。
ちょうどいい石を見つけたので腰掛けた。
人に出会ったらこの世界のことを聞きたかったが、いたのはゾンビみたいな人か、ただ転がっている人たちだけだった。
さすがにジャンキーにしか見えない彼らに話しかける勇気はでない。
「……私、これほど地獄を見せられるほど、前世で悪いことしたかな」
曇り空からところどころ光が差していた。
ぼんやり眺めていると、視界の端にきらりと輝くものがよぎった。
目を向けた。
瞬間、それに釘づけになった。




