才能の壁
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それでは、どうぞお楽しみください。
ゼノについて歩き始めて、三日が経った。
まだ町には着いていない。
俺はてっきり近くの町へ向かっていると思っていたが、ゼノは森を抜けると街道を避け、山へ入った。
「……町は?」
「後だ」
それだけだった。
理由を聞いても答えない。代わりに、歩く速度だけが少しずつ上がっていった。
最初の日は普通に歩いていた。二日目は早歩き。そして今日は、走っている。
「遅いぞ」
前方からゼノの声が聞こえた。
「……分かってる」
息を切らしながら答える。
ゼノは俺より遥か前にいる。こちらは全力に近いというのに、あいつは散歩でもしているような顔だ。
悔しい。
地面を強く蹴る。
《走行の習熟度が上昇しました》
表示を閉じる。
あと少し。
もう少し速く。
ゼノの背中を追い続けた。
◇
日が暮れる前、山の中にある小さな小屋へ到着した。
「ここだ」
「……町は?」
「だから後だと言っただろ」
ゼノは当然のように小屋へ入っていく。俺も中へ入った。
狭い。
ベッドが一つ。机と椅子。それから壁には何本もの剣が掛けられている。
「ここで何するの?」
「お前を鍛える」
思わずゼノを見る。
「……なんで?」
「興味があるからだ」
「それだけ?」
「十分だろ」
よく分からない男だ。
ゼノは壁から一本の木剣を取った。俺に投げる。
受け取る。
重い。
子供用ではない。
「振ってみろ」
言われた通り構えた。
前世でも今世でも、まともに剣を習ったことはない。
両手で握る。
振り下ろす。
ゼノが首を傾げた。
「ひどいな」
「……」
「もう一回」
振る。
「ひどい」
もう一度。
「ひどい」
腹が立ってきた。
「何が?」
「全部だ」
それじゃ分からない。
ゼノが立ち上がった。
「見てろ」
木剣を取る。
構える。
そして振った。
一回。
ただ、それだけだった。
速い。
でも以前のように、何も見えないわけではなかった。
足。
腰。
背中。
肩。
腕。
全部が繋がっている。
俺の拳と同じだ。
「もう一度」
ゼノが振る。
見る。
「もう一回」
振る。
「もう一回」
十回ほど繰り返したところで、ゼノが木剣を投げてきた。
「やれ」
構える。
ゼノの動きを思い出す。
足。
腰。
肩。
振る。
違う。
もう一度。
違う。
三十回。
五十回。
百回。
「まだやるのか?」
「やる」
二百回。
手の皮が痛くなってきた。
三百回。
腕が上がらなくなる。
それでも振った。
四百回を超えたところで、ゼノが木剣を掴んだ。
「今日は終わりだ」
「まだできる」
「できてないから終わりだ」
意味が分からない。
「腕を見ろ」
見る。
震えている。
「その状態で振っても、崩れた動きを身体に覚えさせるだけだ。努力することと、壊すことは違う」
何も言えなかった。
鉱山では、動けなくなるまでやるのが当たり前だった。
「休め」
ゼノはそう言って横になった。
俺は木剣を見る。
まだ振りたかった。
でも。
ゼノの言葉を信じてみることにした。
◇
翌朝。
日の出と同時に起こされた。
「走れ」
走った。
戻ると木剣。
千回ではない。
三百回。
ただし、一回ごとにゼノが修正する。
「足が違う」
やり直す。
「力みすぎだ」
やり直す。
「腰が遅い」
やり直す。
「剣だけ振るな」
やり直す。
百回振るのに、昨日の倍以上時間がかかった。
昼からは体術。
俺が構える。
ゼノが立つ。
「当ててみろ」
踏み込む。
拳。
避けられる。
もう一度。
避けられる。
十回。
一度も当たらない。
五十回。
当たらない。
百回。
当然、当たらない。
「……もう一回」
「来い」
踏み込む。
避けられる。
それを毎日繰り返した。
◇
一か月が経った。
――――――――――
名前:レオン・アルヴェイン
年齢:7
Lv7
職業:奴隷
筋力:13
耐久:14
敏捷:15
魔力:5
精神:16
技能:
《体術 Lv4》
《拳打 Lv4》
《剣術 Lv2》
《回避 Lv3》
《走行 Lv2》
《隠密 Lv3》
《運搬 Lv4》
《解錠 Lv2》
《不屈 Lv4》
《組み外し Lv1》
――――――――――
剣術を覚えた。
Lvも一つ上がった。
だが、《拳打 Lv4》のままだった。
《体術》も。
《回避》も。
おかしい。
鉱山にいた頃より、明らかに質の高い鍛錬をしている。ゼノから教わるようになって、無駄な動きも減った。
なのに。
《拳打の習熟度が上昇しました》
《拳打:成長効率 低》
まただ。
「ゼノ」
「なんだ」
「上がらない」
「何が?」
ステータスを見せる。
ゼノはしばらく眺めた。
「ああ」
それだけだった。
「知ってた?」
「予想はしていた」
「なんで?」
ゼノは木剣を地面に置いた。
「前にも言っただろ。人間には伸びやすさと限界がある」
「まだLv4」
「技能レベルの限界が全員同じだと思っているのか?」
黙る。
考えたことがなかった。
「例えば《剣術 Lv5》まで簡単に上がる奴がいる。Lv3から急激に成長が遅くなる奴もいる。Lv8まで進める奴もいる。数字は同じでも、そこへ到達するまでに必要な鍛錬は人によって違う」
「……じゃあ、俺は」
「拳の才能は高くない」
分かっていたはずなのに。
胸の奥に何かが引っかかった。
「どれくらい?」
「知らん。正確な限界なんて誰にも分からない。だが、その成長速度ならLv4あたりから壁に入っているんだろう」
拳を見る。
四歳から振ってきた。
何回振ったのか、もう分からない。
それでも。
たったLv4。
「剣に変える?」
聞いた。
ゼノは少し考えた。
「それも一つの選択だ」
「剣の方が才能ある?」
「今のところ普通だな」
普通。
またそれだ。
ゼノは俺を見た。
「レオン。強くなるなら、自分に向いているものを探すのも重要だ。努力だけで何でも解決できるほど、この世界は優しくない」
分かっている。
その日の修行は終わった。
◇
夜。
ゼノは寝ていた。
俺は小屋の外に出た。
月が出ている。
拳を構える。
一回。
《拳打の習熟度が上昇しました》
二回。
三回。
百回。
《拳打:成長効率 低》
二百回。
三百回。
表示は変わらない。
五百回。
《拳打:成長効率 極低》
初めて見る表示だった。
拳を止める。
成長していない。
いや。
習熟は進んでいる。
でも、その進みはほとんど止まっているに等しい。
ゼノの言葉を思い出す。
――向いているものを探すのも重要だ。
正しい。
三十年生きた記憶があるから分かる。
向き不向きはある。努力すれば何にでもなれるなんて、そんな単純な話じゃない。
俺には拳の才能がない。
だったら、剣を振ればいい。
それも普通なら、魔法を試せばいい。
自分に向いているものを探す。
それが合理的だ。
拳を下ろした。
小屋へ戻ろうとする。
一歩。
そこで止まった。
カイルが倒れた日のことを思い出した。
俺が初めてバルガに殴りかかったとき。
あの拳は届かなかった。
何度鍛えても、勝てる気がしなかった。
それでも続けた。
そして。
届いた。
俺は振り返った。
拳を構える。
「……別に」
誰に言うでもなく呟く。
才能がないから何だ。
向いていないから何だ。
剣もやる。
魔法も覚える。
走る。
身体も鍛える。
全部やればいい。
その上で。
拳もやめない。
六百一回。
拳を出す。
六百二回。
《拳打:成長効率 極低》
六百三回。
分かっている。
六百四回。
ほとんど成長しない。
六百五回。
だから何だ。
千回で足りないなら一万回。
一万回で足りないなら十万回。
それでも上がらないなら。
上がるまでやる。
◇
小屋の窓から、ゼノはその姿を見ていた。
止めようとはしなかった。
「……馬鹿だな」
小さく呟く。
だが、その表情は少しだけ笑っていた。
レオンはまだ知らない。
成長が遅くなった先には、やがて完全な停止が待っている。
才能によって定められた、魂の器の限界。
それは努力で壊せるものではない。
少なくとも――この世界では、そう考えられていた。
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