待っていた男
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それでは、どうぞお楽しみください。
走った。
背後から怒号が聞こえる。
「止まれ!」
止まるはずがない。監督役は3人。一対一なら戦えるかもしれない。だが3人を同時に相手にする力はない。
それは分かっている。
バルガに勝ったからといって、急に何倍も強くなったわけじゃない。
だから逃げる。
俺は鉱山へ向かった。以前と同じ道だが、今回は追手との距離が近い。
「回り込め!」
1人が叫び、足音が分かれる。
まずい。
俺は坑道へ飛び込んだ。
暗闇の中を走る。右、左、次の分岐を右。何度も歩いた道だ。身体が覚えている。
背後から足音が迫る。
「いたぞ!」
振り返らない。
古い採掘区画へ入る。以前ここには木箱を積んでいたが、今はない。一度使った手は対策されている。
当然だ。
だったら別の手を使う。
壁際に置かれた採掘道具を蹴った。
金属音が坑道に響く。
「そっちだ!」
追手の1人が音のした方向へ走る。
1人減った。
俺は逆方向へ走った。
《隠密の習熟度が上昇しました》
視界の端に文字が浮かぶ。
今は見る必要がない。
残り2人。足音を聞く。1人は後ろ。もう1人は分からない。
出口までもう少し。
岩の隙間が見えた。
身体を滑り込ませる。
「待て!」
腕を掴まれた。
「っ!」
振り返る。監督役の男だ。
腕力では勝てない。だから引っ張らない。
逆に一歩近づく。
男が一瞬戸惑った。その隙に手首を回す。
抜けない。
もう一度。
角度を変える。
《組み外しの習熟度が上昇しました》
腕が抜けた。
走る。
岩の隙間へ身体を押し込む。背中を掴まれそうになる。
あと少し。
前へ。
指先が外気に触れた。
抜けた。
そのまま斜面を転がり落ちる。身体中を岩にぶつけながら、下まで落ちた。
痛い。
でも動ける。
俺は立ち上がり、森へ走った。
◇
前回とは違う方向へ進んだ。
同じ場所を通れば、また捕まる。
しばらくして川を見つけた。
迷わず入る。
冷たい。
流れに逆らって進む。足跡と匂いを消すためだ。
前世で得た知識が、どこまで役に立つかは分からない。それでも、できることは全部やる。
しばらく進んで川から上がり、さらに森の奥へ走った。
枝が顔に当たる。脚が重くなってくる。
それでも走る。
1時間。
2時間。
どれほど進んだのか分からない。
追手の声は聞こえなくなった。
俺はようやく立ち止まった。
静かだった。雨も降っていない。聞こえるのは虫の声と、自分の荒い呼吸だけ。
「……逃げた」
今度こそ。
そう思った。
「前よりはマシになったな」
聞き覚えのある声だった。
身体が固まる。
ゆっくり振り返る。
木の枝の上に男が座っていた。
黒い外套。腰に長剣。
以前、俺を何度も地面に転がした男。
「……」
いつからいた。
全く気づかなかった。
男が枝から飛び降りる。
音がしない。
俺は一歩下がった。
逃げても無駄だ。それは知っている。
なら。
拳を構えた。
男が眉を上げる。
「またやるのか?」
「……」
「前回、何回倒された?」
覚えていない。途中で数えるのをやめた。
俺は男を見る。
右足。肩。腰。
以前の動きを思い出す。何度も頭の中で再生した。
だが、ほとんど分からなかった。
速すぎたからだ。
男が笑った。
「いい目になった」
一歩。
男が近づいた。
俺は反応した。
右へ。
次の瞬間、男の手が伸びてくる。
見えた。
以前は何も見えなかった。
身体を捻る。
避け――。
頭を掴まれた。
「惜しい」
そのまま足を払われる。
地面に落ちた。
「ぐっ!」
すぐに起きる。
拳を振る。
男が首を傾けるだけで外れた。
俺は拳を引かない。そのまま踏み込み、左拳を出す。
手首を掴まれた。
身体が浮く。
投げられる。
地面。
受け身。
転がる。
すぐ立つ。
男の表情が少し変わった。
「……受け身まで覚えたか」
俺は答えない。
もう一度構える。
「半年か」
男が呟いた。
「面白い」
来る。
今度は男から。
右手。
避ける。
違う。
フェイント。
腹に掌が当たった。
「っ……!」
後ろへ飛ばされる。
だが倒れない。
2歩、3歩。
踏ん張る。
男を見る。
まだ余裕だ。
当然だ。
でも、前とは違う。
見えた。
一部だけでも。
気づけば、俺は笑っていた。
「何がおかしい?」
「……見えた」
「何?」
「今の」
男が黙った。
そして突然、笑い出した。
「ははっ!」
何がおかしいのか分からない。
「普通は悔しがるところだぞ。半年鍛えて、まだ一発も当てられないんだからな」
「……でも見えた」
前は見えなかった。
なら進んでいる。
それで十分だ。
男はしばらく俺を見ていた。
「名前は?」
「レオン」
「レオンか」
男は自分を指差した。
「俺はゼノ・グレイヴ。冒険者だ」
初めて名前を知った。
ゼノ。
やはり、普通の人間ではないと思っていた。
「前回は鉱山主に雇われていた。逃亡奴隷を連れ戻す依頼だ」
俺の拳に力が入る。
「安心しろ。今日は違う。依頼は受けていない」
「……?」
ゼノは近くの岩に腰を下ろした。
「お前を待っていた」
意味が分からない。
「半年も?」
「まさか。時々様子を見に来ていただけだ」
ゼノは俺の身体を見る。
「前に会ったときより明らかに動きが違う。何をした?」
「鍛えた」
「それだけか?」
頷く。
「誰かに習ったか?」
首を振る。
ゼノが黙った。
「ステータスを見せられるか?」
警戒した。
この世界では、ステータスは自分で確認できる。だが他人に見せる場合は、自分の意思で開示する必要がある。
鉱山に来たばかりの頃、奴隷商人にやらされたことがあった。
「嫌ならいい」
ゼノが言った。
少し考える。
そして開示した。
――――――――――
名前:レオン・アルヴェイン
年齢:7
Lv6
職業:奴隷
筋力:12
耐久:13
敏捷:14
魔力:5
精神:16
《体術 Lv4》
《拳打 Lv4》
《回避 Lv3》
《隠密 Lv3》
《運搬 Lv4》
《解錠 Lv2》
《不屈 Lv4》
《組み外し Lv1》
――――――――――
ゼノの目が細くなる。
「……やっぱり低いな」
「?」
「勘違いするな。7歳としては十分高い。だが、お前の動きを見てもっと高いと思っていた。それに、伸び方を見る限り、才能も平凡だろうな」
才能。
初めて、他人からはっきりそう言われた。
「知らないか」
頷く。
「ステータスには今の強さしか表示されない。だが、人にはそれぞれ伸びやすさと限界がある」
ゼノは地面から石を2つ拾った。
「同じ千回剣を振っても、同じようには強くならない。百回で技を覚える奴もいれば、一万回必要な奴もいる。そして、どれだけ鍛えてもいつか成長は鈍る」
片方の石を地面に置く。
「これが普通だ」
もう片方を少し先に置く。
「才能のある奴は、ここまで行ける」
分かりやすい。
そして。
「俺は?」
ゼノが少し驚いた。
俺が自分から質問したからかもしれない。
「見たところ、普通だ」
予想していた。
不思議と何も感じなかった。
「そう」
「落ち込まないのか?」
「別に」
才能がないことは、ずっと前から分かっている。
ゼノは少し笑った。
「変なガキだ」
立ち上がる。
「行くぞ」
「どこに?」
「ここにいたら追手が来る。まず町だ」
少し間を置く。
「その後は、お前次第だ」
信用していいのか分からない。
この男は一度、俺を鉱山へ戻した。
それでも今の俺より遥かに強い。
そして俺は、この男の強さを知りたい。
一歩。
ゼノについていく。
二歩。
そのとき、視界の端に文字が浮かんだ。
《拳打の習熟度が上昇しました》
いつもの表示。
その下に、もう1つ。
《拳打の成長効率が低下しています》
足が止まった。
初めて見る表示だった。
「どうした?」
「……何でもない」
表示を閉じる。
まだ、このときの俺は知らなかった。
誰にでも訪れるという「成長の限界」。
それが俺にも近づいていることを。
そして、その限界の先に――本来この世界には存在しなかった力が生まれることを。
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