耳と髭と予定表
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それでは、どうぞお楽しみください。
朝鐘の一つ前、東の外周走路には俺とミナの足音が並んでいた。
正確には、並んでいるのは歩く速さだけだ。
俺は右足へ体重を移す時間を数えながら進み、ミナはその半歩後ろで耳をこちらへ向けている。
走路の外側では、レイナが歩幅と顔色を見ていた。
「右、左、右――今の右だけ、音が短い」
ミナが言った。
「強く踏んでる?」
「逆。早く離してる」
自分でも分かっていた。痛みはなくても、右足へ乗り続ける前に左へ逃がしている。
「もう一周。同じ速さで」
俺が向きを変えると、レイナが手を上げた。
「一周じゃなくて半周。今日増やしていいって言われたのは、歩く時間であって距離じゃないでしょう」
「同じことじゃないの?」
ミナが首を傾げる。
「速さを変えたら距離は変わるわ」
「じゃあ、速く歩けば損?」
「治療の予定を競争にしないで」
ミナは納得していない顔をしたが、俺と一緒に半周で止まった。
約束していた足音の確認は終わった。追走はまだできない。
それでもミナは、左右の音の長さを俺の紙へ書き、最後に大きく丸をつけた。
「走れるようになったら、この紙の続きを使う」
「なくすなよ」
「食べないよ」
「ミナが食べるとは言ってない」
「でも、お腹は空いた」
話が朝食へ移ったところで、正門の方角から鐘が鳴った。昨日の角笛とは違う。
短い鐘が二回、そのあと間を置いて一回。到着を知らせる学府側の合図だった。
校舎前へ着いたとき、広場には見慣れない荷車が六台並んでいた。
先頭の二台は細長く、木箱が紐で何重にも固定されている。
後ろの荷車は車輪が太く、金属の部品や折り畳んだ台を積んでいた。
旗は一つではない。
淡い緑地に銀の枝を描いた旗。その隣に、褐色地へ三つの歯車を組んだ旗。
さらに青、白、黄の小旗が続いている。
「国の旗はどれだ?」
エリオットが聞く。
「全部、連合に属する地域か都市の旗です」
ノエラは手元の資料と順番を照らし合わせた。
「リュネア諸邦連合は、一つの王家ではなく、複数の都市や領地が評議会へ参加しています。先頭の銀枝がエルフ領セレネ、三つの歯車がドワーフ自治領カダ――」
「今は旗当ての時間ではない」
セルド先生の声で、ノエラは資料を閉じた。
「見えた順番だけ記録します」
「それならいい」
荷車から最初に降りたのは、淡い緑色の髪を後ろで束ねた少女だった。
髪の間から長い耳が伸びている。
少女は地面へ足をつける前に、杖の先で土を軽く叩いた。
小さな風が円を描き、砂埃だけを外側へ押し出す。
「荷下ろしの前に使っていい魔法なの?」
ルシアスが小声で言う。
「風量は荷札を動かさない範囲です。車輪止めにも触れていません」
隣のアステラは、もう魔法の形を見ていた。少女はその声に気づいたらしい。
こちらを向き、杖を下げた。
「ティセラ・エインです。リュネア諸邦連合、セレネ学房。個人魔法戦へ登録します」
「アステラ・リュネ。カレディア総合学園。同じ部門を希望しています」
「先ほどの風を見ていましたね」
「はい。地面に沿う部分と、上へ逃がす部分を分けていました。二つの術式ですか?」
「一つです。境界の魔力密度を変えています」
「一つの操作で二つの流れを?」
「流れは二つではありません。連続した一つの面です」
アステラは一歩近づいた。
「面を維持したまま、荷車側だけ出力を下げたのですか」
「下げていません。角度を変えました」
「どの程度?」
「十二度ほどです」
「基準面は地面ですか、それとも杖の軸ですか」
俺たちの間から、入れる場所が消えた。ルシアスが一度口を開き、閉じる。
エリオットも何か聞こうとしたが、十二度の続きを待つうちに諦めた。
「魔法の挨拶って長いね」
ミナが言った。
「たぶん、もう挨拶は終わってる」
カシアが答えた。その横で、太い車輪の荷車が少し沈んだ。
赤銅色の髪と短い髭を持つ少年が、荷台から金属枠を一人で下ろしたところだった。
俺たちと同じくらいの年に見えるが、背は低く、肩幅はローディより広い。
「ボルン・カダス」
金属枠を地面へ置いてから名乗る。
「リュネア、カダ自治工房学舎。盾と槍だ」
それだけ言うと、彼はローディの背負った盾を見た。
「軽い盾だ」
ローディが盾の留め具へ手を置く。
「見ただけで分かるんですか?」
「縁材の厚さと、歩いたときの揺れで」
「これは訓練用で、十二キルあります」
「軽い」
同じ言葉だった。ローディは少し迷ってから盾を外した。
「持ってみますか?」
「いいのか」
「はい。ただ、腕を通す向きは――」
説明が終わる前に、ボルンは盾を受け取った。
片手で持ち上げ、縁を横へ向け、正面、斜め、頭上へと角度を変える。
盾はほとんど揺れなかった。エリオットが目を見開く。
「それ、軽いの?」
「俺には」
ボルンは盾を下ろし、両手でローディへ返した。
「だが、軽い方が移動は速い。後ろを変える盾なら、この重さも悪くない」
ローディは受け取った盾を背負い直した。
「俺は、後ろにいる人を残すために使います」
「なら、重さより止める場所だ」
「はい。あなたの盾は何キルですか?」
「二十八」
エリオットがもう一度目を見開いた。
「倍以上じゃないか」
「俺には軽い盾だ」
ボルンは真顔のまま答えた。
その後ろでは、小声で名乗ったエルフの少女エルネが細長い弓箱を運び、人間の少年フィオが箱ごとの番号を確認していた。
別のドワーフ、オルドは荷車の下へ潜り、軋んだ車軸を見ている。
エルフだから全員が魔法の杖を持っているわけではない。
ドワーフだから全員が重い盾を持っているわけでもない。
オルドが腰へ下げているのは小さな槌と測定具で、運んでいる荷物は誰より軽かった。
一方で、人間のフィオが抱えた魔道具箱は、二人がかりで下ろすよう注意札がついている。
昨日のヴァルグレンとは、荷物も、旗も、到着後に確かめる順番も違う。
けれど、同じ連合の中でも全員が同じではなかった。
荷下ろしが終わるころ、ティセラとアステラはまだ広場の端で話していた。
地面には杖で描いた扇形と、二本の線が増えている。
「朝の練習で再現できます」
アステラが言った。
「明日は魔法場の使用申請が入っています」
ティセラは腰の鞄から細長い紙を出した。
「明後日は選手団の装具検査。その次の朝なら、鐘の二つ前から半刻」
「私は朝鐘の一つ前まで治療補助です。後半の四分の一刻なら空きます」
「短いですね」
「二つの方法を一度ずつ確認するには足ります」
「失敗した場合は?」
「原因だけ記録して終えます。続きは次の空き時間に」
ティセラは少しだけ目を細めた。
「無理に成功まで続けないのですね」
「成功するまで続ければ、比較する条件が変わります」
「それなら話が早いです」
二人は互いの予定表へ時間を書いた。俺は自分の紙を開く。
ミナとの足音確認。治療担当の確認。クラスの希望。
そこへ外国選手との練習時間が増え始めている。
全部を一枚へ詰めれば、また俺が全員の予定を持つことになる。
「アステラ、その時間だけ俺の表にも書いていいか?」
「見学するのですか」
「いや。俺の火属性訓練と魔法場が重ならないか確認したい。内容はそっちの表に残してくれ」
「分かりました。共有するのは使用場所と時間だけにします」
ノエラが横から紙を差し出した。
「クラス共有用を作ります。個人の目的や変更理由は、本人の紙へ残す形で」
一枚の予定表に、全員の練習を細かく書き込むのではない。
同じ場所を使う時間と、助けが必要な時間だけを重ねる。ティセラがその紙を見た。
「リュネアでは、工房ごとに別の予定表を持ちます。共有表は搬入口と試験場だけです」
「学園でも使えそうです」
ノエラは見えた形式だけを書き留めた。
「ただし、こちらで同じ分け方が必要かは確認してから決めます」
「正しいと思います。連合内でも、セレネとカダでは休憩鐘の間隔から違いますから」
遠くでボルンが、ローディの盾の縁を指しながら何か話している。
ティセラの長い耳がその声へ一度向いたが、会話へ口を挟むことはなかった。
耳の形が同じでも、学ぶものは違う。
髭があっても、持つ道具も役割も同じではない。
国の説明だけでは、一人分の予定までは決まらない。
俺は共有用の紙へ、時間と場所だけを書いた。明後日、朝鐘前。第三魔法場。
使用者、アステラ、ティセラ。見学者は空欄。
その空欄を俺の名前で埋めないまま、次に必要な自分の予定へ戻った。
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