笑ってよい場面
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それでは、どうぞお楽しみください。
翌日の午後、正門から入ってきた列には、武器箱より先に白い箱が並んでいた。
どの箱にも緑色の紐が掛けられ、蓋の中央へ葉を抱く手の印が描かれている。
「治療具です」
レイナが窓際で言った。
「包帯、固定具、薬。それから、たぶん簡易結界の基材」
「箱を開けなくても分かるの?」
エリオットが聞く。
「印が違うもの。薬は葉が三枚。固定具は腕が横向き。あれはセプティアの神殿式ね」
俺たちはセルド先生の指示で広場へ下りた。
先に到着したヴァルグレンとリュネアの選手も、広場の左右へ分かれている。
黒と深紅の旗、複数の都市旗。その間へ、白地に七色の輪を描いた旗が進んできた。
セプティア聖王国の選手団だった。
列の先頭には、白金色の髪を肩で揃えた少女がいる。
褐色の肌に、白い外套。胸元には生命神フェルナの印が留められていた。
「セプティア聖王国、フィルナ大神殿付属学舎より参りました。ナディア・オルム、十三歳です」
少女は両手を身体の前で重ね、深く頭を下げた。
「個人魔法戦および治療補助登録を希望します。生命神フェルナの祝福生命環を授かっています」
挨拶と同時に、所属、出場部門、祝福まで述べた。
その後ろから、明るい茶色の髪を二つに結んだ少女が顔を出す。
「メイサ・ロル、十二歳です。治癒魔法を使います。私は祝福なしです。好きな食べ物は蜂蜜パンで、苦手なのは長いお祈り――」
「メイサ」
引率の神官が呼ぶ。
「必要事項だけにしなさい」
「蜂蜜パンは必要事項に入りませんか?」
「入りません」
「では、あとで個別に伝えます」
誰へ伝えるつもりなのかは分からない。
三人目は、金の縁取りがある剣帯を締めた少年だった。
「ガレン・イード、十四歳。個人武器戦。武神ヴァルガの祝福瞬歩を授かっている」
胸を張って言い切る。
「祝福登録は到着時に完了している。確認が必要なら、神殿印付きの写しを提出する」
エリオットの視線が、ガレンの剣へ向いた。
ガレンも気づいたが、剣へ手は掛けない。
「あなたも武器戦か」
「はい。エリオット・レイフォードです。僕も武神ヴァルガの祝福を授かりました」
「祝福名は?」
「剣勢です」
「発動条件と増幅率は」
エリオットは一度、セルド先生を見た。
「それは、今ここで言っていいんですか?」
「答える義務はない」
セルド先生が言う。
「大会登録で必要な項目も、学府側の確認が終わるまでは提出するな」
ガレンが眉を寄せた。
「祝福を持っているのに、条件を登録していないのか」
「学園では記録しています。でも、大会へどこまで出すかはまだ聞いていません」
「セプティアでは、祝福を受けた日に神名、祝福名、発動条件、身体への影響まで登録する」
「全部?」
「正しく使うためだ」
エリオットは自分の右手を見た。
「こっちでは、条件を確かめてから記録した。最初の日に分かったのは、名前と少し速くなることだけだったから」
二人の間で、同じ武神の祝福が違う順番で紙へ載っていた。
ナディアが一歩前へ出る。
「祝福は神より授かるものです。登録時に分からない部分がある場合は、神殿の標準記録と照合して――」
「標準記録にない祝福もある」
俺が言うと、ナディアの視線がこちらへ向いた。
「あなたが、ゼルガスの祝福を授かった方ですね」
声が少し低くなった。
「知ってるのか」
「到着前の連絡書に、未登録神名への対応が必要とありました。セプティアの中央記録にも、正式な登録欄はありません」
「ここにもなかった。余白へ書いた」
ナディアは驚いたように目を瞬かせた。
「神名を余白へ?」
「他に欄がなかったから」
「神名は、定められた欄へ記すものです」
「欄がないなら?」
「新しい様式の承認を待ちます」
「待っている間、祝福はどうする?」
ナディアはすぐに答えなかった。
書式ができるまで発動しないでいられるものではない。
孤軍覇闘はすでに三人を相手にすれば条件を満たす。
「……暫定記録として、別紙を添えます」
「それなら、こっちと同じだね」
カシアが言った。
「余白か、別紙かの違いじゃない?」
「同じではありません。別紙には別紙の様式があります」
「そこは違うんだ」
カシアが笑う。ナディアは困った顔で周囲を見た。
「今のは、笑ってよい場面ですか?」
広場が一瞬静かになった。
「たぶん、笑ってもいい」
レイナが答えた。
「カシアは馬鹿にしたんじゃなくて、違う国でも困った末に紙を足したのが似てるって言ったの」
「なるほど」
ナディアは小さく息を吐き、口元を緩めた。
「では、少しだけ笑います」
本当に少しだけ笑った。
「笑う量も決まっているの?」
メイサが隣から聞く。ナディアの顔がまた止まる。
「今のは?」
「笑っていいわ」
レイナが言うと、ナディアはさっきより少し大きく笑った。
挨拶のあとは、持ち込まれた治療具の確認になった。
セプティア側は、自分たちの治療具を大会中も使用したいと申請している。
しかし、学府の治療担当が中身と使用法を確認していない道具を、そのまま競技場へ置くことはできない。
白い箱が一つずつ開かれた。
レイナは固定具の留め方を見ていた。
ナディアは箱の内側から薄い記録板を取り出す。
「負傷者名、受傷時刻、祝福の有無、治癒魔法の使用回数を記します」
「祝福の種類まで?」
レイナが聞く。
「はい。治癒へ影響する祝福もありますから」
「こちらでは、治療に関係する効果だけを書くわ。関係がない祝福名は、治療票へ写さない」
「なぜですか?」
「必要以上に情報を持たないため。治療担当が試合の対策を知る立場になると、競技担当との分離が難しくなるでしょう」
ナディアは記録板へ視線を落とした。
「セプティアでは、神殿が治療と祝福登録の両方を担います」
「カレディアでは担当が分かれているの。どちらが正しいかじゃなくて、大会中にどの紙を誰が見るか決めないといけないわね」
レイナは学府式の治療票を一枚取り出し、隣へ置いた。
片方には祝福名の欄があり、片方には治療へ影響する事項とだけ書かれている。
ナディアは二枚をしばらく見比べた。
「この欄なら、生命環による治癒維持と、使用後の消耗だけを書けばよいのですね」
「そう。大会側が祝福名も必要と決めたら、登録票と番号で結ぶ。治療票だけ見ても、不要な条件までは分からないようにする」
「番号で結ぶ……」
ナディアは自分の記録板の裏へ、すぐ何かを書き始めた。
メイサが覗き込む。
「また様式を増やすの?」
「増やすのではありません。分けます」
「紙は増えるよ」
ナディアの手が止まる。
「今のは、笑ってよい指摘でしょうか」
「笑う前に、紙の枚数は確認した方がいいわ」
レイナが真面目に答えた。今度はメイサが吹き出した。ナディアも少し遅れて笑う。
二人はそのまま、固定具の幅と記録票の項目を一つずつ照合し始めた。
レイナがこちらの停止判断を説明し、ナディアがセプティアの治癒結界について答える。
話す速さは違うが、必要なところでは互いに手を止めた。
俺は少し離れた場所で、自分の祝福登録票を見た。神名は余白。
効果は確認できた範囲。
発動条件は、三人以上の敵が俺を直接の攻撃対象として実際に攻撃へ入り、半径五メートル以内に共闘する味方がおらず、俺自身に敵を引き受ける意思があること。
セプティア式なら、最初から全部を書こうとしたかもしれない。
けれど最初の日には、俺たちも全部を知らなかった。
書く欄が違っても、分からないことまで埋めてはいけないのは同じだ。
荷物の確認を終えると、メイサが朝の食堂の場所を聞いた。
「蜂蜜パンはありますか?」
「日によるよ」
ミナが答える。
「なかったら、私が先に別のものを食べて待ってる」
「待つ必要はあるの?」
「一緒に食べるなら必要」
「先に食べるのに?」
「待ちながら食べる」
ナディアがレイナを見た。
「これは、笑ってよい場面ですね」
「ええ」
今度は聞き終わる前から、ナディアは笑っていた。白地の旗が宿舎へ向かう。
その後ろで、レイナとナディアは互いの治療票を一枚ずつ交換した。
笑ってよい場面を教えたのはレイナだった。
けれど次に二人が確かめることは、もうどちらか一人が教える形ではなかった。
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