欠けた闘神
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それでは、どうぞお楽しみください。
式場を出たあとも、俺たちはすぐには学園へ戻らなかった。
祝福を得た者は神殿の待合室で記録票の写しを受け取り、得なかった者も終了の確認印を待つことになっていた。
エリオットは剣勢の条件を読み返しながら、受け流したあとに三秒あるなら一度下がれるかと考えていた。
アステラが、下がる距離と次の斬撃までの時間は別に確認する必要があると言う。
「今ここで足運びだけ試すのも駄目?」
「祝福が発動しなくても、式場の廊下で急に動く理由はないわ」
「レオンも走れないしね」
レイナが俺の右脚を見て加える。
「俺の条件とは関係ない」
「走らない理由には関係あるよ」
ローディは受け取った紙を膝へ置き、背後に誰もいない時の護壁は働かないともう一度読み上げた。
カシアが椅子の後ろへ回ろうとすると、ノエラが先に止める。
「立ち位置を変えるだけでも、確認担当者がいる時にしてください」
「守る相手になるつもりじゃないよ。紙を後ろから見ようとしただけ」
「なら横から見ればいい」
「ローディまで止める側になった」
「さっき半歩で止められたからな」
ルシアスは笑いながらも、右手を開いたままにしていた。
アステラも指先へ魔力を集めず、確認したい項目だけを紙へ増やしている。
祝福を得た七人は、まだ一つも使っていなかった。
俺の紙には『七大神の祭壇に反応なし。祝福表示なし』とだけ書かれている。
終了の確認印が押されれば、それが今日の記録になる。
待合室の扉が開き、さっき俺の封筒を運んだ年配の神官が顔を出した。
後ろには白い法衣ではなく、茶色の上着を着た男が立っている。
栗色の髪は片側だけ跳ね、丸眼鏡の右の硝子に細い傷があった。
「レオン・アルヴェインさん。確認したいことがあります。歩けますか」
「決められた歩幅なら」
俺が杖へ左手を置くと、レイナが先に立った。
「どこまでですか」
「同じ階の保管庫です。走らせることも、祝福を試させることもありません」
茶色の上着の男が答えたあと、俺たちの人数を数えて眼鏡を押し上げる。
「同行は一人まででお願いします。保管庫は狭く、今は床にも資料があります」
「床に置いてよい資料なのですか」
ノエラが尋ねた。
「よくありません。だから非常に困っています」
神官が目を閉じた。いつも困っているらしい。
俺はレイナに右脚の状態を見てもらい、他の者は待合室に残ることになった。
エリオットは何か言いかけたが、俺の紙を見てから口を閉じた。
「分かったことだけ持って戻ってきて」
カシアが言う。
「分からないことも残す」
「うん。それも持ってきて」
保管庫の扉の向こうには、棚が天井近くまで並んでいた。
封筒、木箱、石板の拓本が年代別の札で分けられている。
床の資料は壁際に三束だけで、歩く場所には白い線が引かれていた。
茶色の上着の男は、白い線からはみ出しかけた紙束を足で避けようとして、神官に肩をつかまれた。
「手で動かしてください、オルハン研究官」
「触れると順番が変わります」
「足でも変わります」
男――オルハンは少し考え、紙束を両手で抱えて別の棚へ置いた。
置いた棚にも『仮置き禁止』と書かれている。
「私はオルハン・セイル。祝福史を調べています。あなたの奉告記録を七柱の分類と照らしていたところ、別の反応がありました」
保管庫の奥には、布をかけられた小さな台があった。
神官が布を外すと、両腕と顔の左半分を欠いた灰色の石像が現れる。
高さは俺の肘ほどで、剣も杖も持っていない。
残った右脚だけが前へ踏み出し、割れた台座には円ではなく、途中で切れた三本の線が刻まれていた。
「七大神の像ではありませんね」
オルハンが記録紙へ像の形を写す。
「現在の正式な祭祀には含まれません。保管記録では、地方の戦勝祈願像、武神ヴァルガの古い姿、名の失われた小神像の三通りに分類されています」
「三通りのままですか」
「判断できる銘が欠けていますから。ところが、あなたの封筒をこの棚へ運んだ時、台座の線が光りました」
神官が俺の白い封筒を石像から二歩離れた机へ置いた。すぐには何も起きない。
オルハンは封筒に触れず、置いた位置と時刻を記録した。
「先ほどは像へもっと近づけたのですか」
俺が尋ねると、神官は首を横に振る。
「同じ机です。ただし、他の記録も重なっていました」
「どの記録が上だったかは?」
「あなたの封筒が一番上です。その下に七人分ありました」
「なら、俺の記録だけへの反応とは決められません」
「その通りです」
オルハンは嬉しそうに答えた。
「そこで一枚ずつ離し、置く順番も変えました。あなたの封筒を除くと消え、戻すと光る。ただし、封筒の中のどの記録へ反応したかは未確認です」
「開封して分けるのですか」
レイナが聞く。
「本人と神殿記録官の立ち会いがあれば可能です。ですが、その前に本人が近づいた場合を確認したい。石像には触れず、白線の手前まで来てください」
俺は杖を先に出し、右足を決められた幅だけ運んだ。
レイナが半歩後ろから、足首と呼吸を見ている。
白線まで残り一歩になった時、石像の台座に刻まれた三本の線が鈍い赤へ変わった。
熱はない。魔力が流れ込む感覚もない。
けれど、欠けた像の胸から細い光が伸び、机の上の封筒と俺の胸を順につないだ。
「止まって」
レイナの声で、次の一歩を出さない。オルハンは像ではなく俺を見ていた。
「痛み、熱、息苦しさは?」
「ありません。右脚にも変化なし。魔力の流れも、分かる範囲では変わっていません」
「《ステータス》を確認してください」
祝福欄には、さっきまでなかった文字が一つ増えていた。
孤軍覇闘
俺が読み上げると、オルハンの手から鉛筆が落ちた。
拾おうとして机の角へ額をぶつけ、それでも視線は欠けた台座から離れない。
「その名が残っていたのか」
「知っている名前ですか」
「祝福名は知りません。ですが、像の名なら候補があります」
オルハンは棚から薄い木箱を取り出し、中の拓本を机へ広げた。
欠けた文字をいくつも重ね、石像の台座に残る溝と比べていく。
俺も横から見たが、勝手に触れず、欠けている箇所を目で追うだけにした。
「ゼルガス。不利な戦い、孤立した戦士、最後まで残る者を司ったとされる古い闘争神です。今では武神ヴァルガの古名か、北西地方の小神、あるいは敗者が縋った迷信だと考えられています」
「どれが正しいのですか」
「分かりません」
オルハンは即答した。
「分からないのに、ゼルガスだとは言えるんですか」
レイナが俺と像の間へ入れる位置を保ったまま尋ねる。
「この三文字の並びは二つの古記録にあります。司るものを示す文も一致する。ただし、この像が同じ神を表すかは、今まで確定できませんでした。今日の反応と祝福名が、新しい照合材料になります」
オルハンは落とした鉛筆を拾い、今度は紙の上へ置いた。
「非常に困りますが、非常に面白い」
「困る方が先なのね」
「正式な神名欄が七つしかありません。書く場所がないのです」
レイナは記録紙の余白を見た。
「余白に書くのは駄目なの?」
「正式な欄ではありません」
「でも、場所がないことと、記録できないことは同じじゃないでしょう」
「その通りです。確認できた事実を残す方を優先しましょう」
神官は新しい紙を用意し、俺に孤軍覇闘の条件を一つずつ読むよう求めた。
表示には、三人以上の敵が俺を直接の攻撃対象とし、実際に攻撃へ入った場合とある。
半径五メートル以内に共闘する味方がおらず、俺自身に敵を引き受ける意思があることも必要だった。
三人なら筋力、耐久、敏捷と反応処理が約一割上がる。
四人で約一割五分、五人で約二割、六人以上は約二割五分が上限になる。
魔力量や技能は増えず、負傷も疲労も消えない。
強化された分だけ疲労と体温の上昇は早く、近くで味方が戦闘へ加わるか、俺を直接攻撃する敵が三人未満になれば終わる。
「弱い相手を三人並べても発動する?」
レイナが聞く。
「実際の脅威として攻撃行動へ入っていなければ、数に含まれないとある」
「脅威の判定は本人の認識だけですか」
オルハンが続ける。
「表示だけでは分からない」
「味方が五メートル以内にいても、戦闘へ参加していなければ?」
「共闘する味方がいない場合、としか書かれていない。立っているだけの者を含むかは未確認だ」
オルハンは質問と答えを別の欄へ書いた。
神官は今日中の発動確認を認めず、学園、治療担当者、安全な模擬武器、停止条件を揃えてからにすると決めた。
俺の右脚が治療中であることも、中止理由ではなく実施日を決める条件へ入れられる。
「七柱が反応しなかったのは、この神の祝福を受けるからですか」
俺は欠けた像を見た。
「可能性はあります。しかし、順番は確定できません。七柱が応じなかったため古像が応じたのか、先にゼルガスとのつながりがあったため七柱の祝福が成立しなかったのか、別の理由があるのか」
オルハンは俺の奉告記録の束へ目を移す。
「七大神の祝福は、積み重ねてきた方向を定められた条件と上限の中で強めます。あなたの記録は、複数の領分にまたがるだけでなく、技能の伸び方にも通常の資料では説明しにくい箇所がある。七柱があなたの先を固定する基準を作れなかった可能性はあります」
胸の奥で、超越の名が浮かんだ。俺は口に出さない。
オルハンも原因を知ったようには話さなかった。
「それは確定ですか」
「いいえ。記録から立てた仮説です。神が何を読み、何を決めたかを、私は直接聞けません」
「なら、七柱に拒まれたという意味でもない?」
レイナの問いに、オルハンは丸眼鏡を直した。
「拒絶と記録する根拠はありません。少なくとも、反応しなかったことと、否定されたことは別です」
神官は最初の記録票を破棄せず、その下へ追記用紙を重ねた。
『七大神の祭壇に反応なし』は残り、『保管古像に反応』『祝福孤軍覇闘を確認』『古像は闘争神ゼルガス像の可能性あり』が別の行へ加わる。
待合室へ戻ると、六人が同時に立ち上がった。
エリオットだけが椅子の脚へ踵を引っかけ、倒れかけた椅子をローディが押さえる。
「何が分かった?」
「祝福が増えた」
エリオットが止まり、ルシアスが開いていた手を握りかけて、すぐに戻した。
「試してないよね」
「試せる条件じゃない」
俺は孤軍覇闘の名と、確認できた条件を伝えた。
三人以上の敵というところでローディが自分、エリオット、カシアを順に見たが、カシアが首を振る。
「今ここで三人そろったとは言わないでよ」
「まだ何も言っていない」
「顔が言ってた」
「俺は攻撃する気もないぞ」
エリオットが椅子を戻しながら聞く。
「近くに味方がいたら終わるなら、僕たちは離れないと確認できないの?」
「攻撃する側、停止する側、近くにいるだけの側を分ける必要がある」
アステラはすでに紙を三列にしていた。
「人数だけでなく、距離と参加状態も変えるのね。二人では発動しないことから確かめた方がいいわ」
「右脚が使えるようになってから」
レイナが最上段へ付け加える。
「治ったと判断するのはレイナ?」
「治療担当者。私は毎日見て、変化を伝える」
ノエラは神官から渡された二枚の記録票を机へ並べた。
七柱が反応しなかった紙と、欠けた像が反応した紙を重ねず、別々に全員へ見せる。
「最初の記録は間違いになっていません。あとから別の事実が増えました」
「俺たちと同じ七柱じゃないけど、なかったわけでもないんだね」
カシアが言う。
「同じである必要はないだろう」
ローディが答えた。
「名前より、どう使うかの方が先だよ」
ルシアスは自分の天脈解放の紙を持ち上げる。
「僕たちも、まだ一度も使えてないし」
「使えてないんじゃなく、使ってない」
エリオットが言い直した。
「違う?」
「違わない。そっちの方がいい」
祝福が現れたことで、七つの祭壇が光らなかった事実は消えなかった。
欠けた像の名も、その神がなぜ俺へ応じたのかも、まだ確定していない。
それでも、俺の記録票には空欄ではなく、新しい行が増えていた。
先に書かれた事実を消さず、その下へ続いている。
俺たちは八枚の確認票を持って神殿を出た。
俺は左手の杖へ体重を預け、右脚を決めた歩幅だけ前へ運ぶ。
強くなったかを確かめるためではなく、今使える足で学園まで戻るために。
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