次の持ち手
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それでは、どうぞお楽しみください。
レイナは俺の右足首へ触れる前に、カシアへ聞いた。
「ここまで何歩くらい?」
「白布の先から、左足だけで20歩より多い。途中で3回止まった」
「右脚を着いた回数は?」
「分岐の手前で1回。木立では着いてない」
「咳は?」
「連続したのが2回。最後は5回。返事が遅くなってる」
カシアは俺が言わなかった数まで返した。
「今は咳してない」
俺は言う。
「息もできる。右脚を着かなければ進める」
「進めたことと、進ませていいことは別」
レイナは靴の上から外くるぶしの前を指で押した。
鋭い痛みが一点へ集まる。
「ここ?」
「そこ」
「内側は?」
「弱い」
「足の指を動かして」
5本とも動く。
「痺れは?」
「ない」
「膝を伸ばせる?」
伸ばそうとすると、打った外側が熱を持った。途中で止まるほどではない。
それでも、さっきより曲げ伸ばしが重い。
「伸びる」
「全部は伸びてない」
「痛みは我慢できる」
「我慢できるかは聞いてない」
レイナは俺の右膝と左脚を見比べた。
左脚は立っているだけで細かく震えていた。
気づいて力を入れると、一度は止まる。
だが、カシアから腕を外したままにすると、また膝の上が揺れ始めた。
「左脚も疲れてる。右足首は荷重すると崩れる。腫れも増えてる。咳は煙の外へ出ても続いた」
レイナが立つ。
「自力歩行は中止。搬送する」
「ここから教員までなら――」
「距離で変えない」
レイナはアステラへ向いた。
「現在へ追加。レオン、自力歩行不可。意識と返事あり。右脚荷重不可。煙の外で呼吸を再確認。搬送具が必要」
アステラは紙へ書いた。
「追加した」
「俺は運ぶ必要まではない」
「必要かどうかは私が決める範囲」
レイナは俺を見た。
「痛みに耐えられることは確認した。でも、右脚は支えとして使えていない。煙の中では靱帯の損傷も確定できない。ここでは荷重させない。さっき共有したよね」
負傷状態と搬送可否。
俺が運べるかどうかとは別に、レイナが判断する範囲だった。
「……分かった」
答えた直後、木立の切れ目から青い上着の教員が走ってきた。
後ろには補助員が2人いる。
1人は巻いた灰色の布を肩へ掛け、もう1人は水袋と救助鞄を持っていた。
教員は俺たちの前で止まらず、まず担架へ向かった。
「引き継ぎを」
アステラが紙を開く。
「生徒15人。先行6人は水場北の高所。負傷者1人は担架で搬送中。右脛切創、骨折疑い。止血、洗浄、固定、治癒魔法による安定化済み。意識と返事あり」
レイナが続ける。
「呼吸は安定。右足先の色と感覚に変化なし。搬送継続可能です」
「他の負傷者」
教員の視線が俺へ移る。
「レオン。右膝の強い打撲、右足首外側靱帯損傷疑い。荷重時に足首の不安定性あり。煙による咳と左脚の疲労も確認。自力歩行中止と判断しました」
「魔物と火は?」
「リッジハウンド2体」
アステラが答える。
「1体は分岐の右道へ離れたのを確認。1体は未確認。南東の火から煙が第2退路と右道へ入っています。私たちの現在位置は水場手前の左道。入口から全員離脱中です」
「後方は?」
カシアが木立を振り返った。
「エリオットとローディが最後尾。今、入口からこちらへ移動中。2人を含めて15人。欠けていません」
教員は紙を受け取らなかった。
内容を聞き終えると、補助員へ短く指示を出す。
「1人は担架を高所へ。1人は負傷者2人の搬送具を準備。私は左道入口まで戻る」
「魔物は僕たちが――」
木立から出てきたエリオットが言いかける。
教員は首を横へ振った。
「ここから先は教員が引き受ける。君とローディは剣と盾を収め、人数へ戻れ」
「でも、1体は未確認です」
「だから私が戻る」
教員はエリオットの返事を待たず、木立へ入った。
腰の笛を2回、長く鳴らす。
北西側の教員が危険対応を引き継いだ合図だった。
遠く、南東から別の笛が返る。
1回、長く。少し間を置いて、もう1回。
火と魔物の側にも教員がいる。
生徒だけで全部を終わらせたわけではない。
俺たちが残した位置と未確認を、次の人が受け取った。
「担架、高所へ動かします」
補助員が4人の持ち手へ声をかける。
「そのまま中央。前側は私が替わる。レイナさんは状態確認を継続して」
「分かりました」
レイナは負傷者の右側へ戻った。
担架が水場の北へ進む。
もう1人の補助員が肩の灰色の布を地面へ広げた。
両側に短い棒が通った折り畳み式の搬送布だった。
担架より幅が狭く、持ち手は前後に2つずつある。
「レオンさんはこれを使います」
「座るだけなら必要ない」
「座って運ぶためのものです」
「俺は左脚で――」
「聞いたよね」
レイナが担架の横から振り返る。
「自力歩行は中止」
「でも、持ち手が4人必要になる。今は先の負傷者を優先した方がいい」
「先の負傷者は補助員と教員側で搬送できる」
カシアが答えた。
「人も足りる」
水場の高所にいる先行6人のうち、歩ける生徒は全員立っている。
木立からはエリオットとローディが戻り、ルシアスも風を止めていた。
アステラは引き継ぎの紙を持ち、ノエラは道の先を見ている。
足りている。
それでも、俺を運ぶために4人を使う必要があるとは思えなかった。
「搬送布なら、前後2人でも持てる」
俺は棒の長さを見る。
「ローディと俺以外の誰かで――」
言ってから、自分を人数へ入れていたことに気づく。
カシアも気づいた。
「レオンは持たない」
「ならローディとエリオット。交代でルシアスを――」
「それを今、あなたが決めるの?」
返せなかった。
カシアは搬送布の左後ろへ立った。
「私はここ」
ローディが右後ろへ入る。
「俺はこっち。盾は背負える」
エリオットが左前の棒を握った。
「前は僕」
ルシアスは右前へ来る前に、自分の両手を見た。
大きな風を使った右腕がまだ少し震えている。
「僕は最初じゃなくて、交代にする」
無理に持たなかった。
先行6人の中にいた生徒が1人、右前へ入る。
「俺が持つ。途中でルシアスと替わる」
「距離は?」
エリオットがノエラへ聞いた。
「高所の待機場所まで19歩くらい。そこから北の作業道へ出れば、学園の救護馬車が来られる」
「19歩は4人で。作業道から先は救護馬車」
カシアが決める。
「持ち上げる前にレイナの確認を待つ」
役割は埋まった。
俺の答えを使わずに。
「座って」
カシアが搬送布を指す。
「自分で座れる」
左脚を曲げようとすると、膝の震えが大きくなった。
身体を下ろす途中で右足首が地面へ近づく。
エリオットが俺の左腕を取った。
「ゆっくり」
「支えなくても――」
「右脚を着くだろ」
ローディが搬送布の右側を押さえる。
カシアは俺の腰を支えた。
3人の手で、俺は灰色の布へ座った。
右脚は前へ伸ばし、足首の下に救助鞄から出した厚布を入れる。
レイナが膝の外側へ触れない位置を確かめ、短い布で脚を搬送具へ緩く留めた。
「固定は移動中の揺れを減らすだけ。強く締めない」
「分かった」
「咳が続いたら右手を2回握って。声が出せなくても止める」
先の負傷者へ渡したのと同じ確認方法だった。
「そこまでは必要ない」
「必要になる前に決める」
俺は右手を開き、2回握った。
「確認した」
レイナは4人の持ち手を見る。
「右脚を水平に。持ち上げる時は後ろを先に上げない。3つ数える」
カシアが俺の後ろで持ち手を握る。
「1、2、3」
身体が地面から離れた。
右脚は揺れない。
4人の歩幅が違うため、最初の1歩で搬送布が少し左へ傾いた。
「左前、半歩小さく」
レイナが言う。
エリオットが歩幅を縮める。
「これで?」
「水平。続けて」
進み始める。
俺は持ち手を見た。
前の2人の肩。後ろのカシアとローディの足音。
誰かが滑る前に言えるように、地面と歩幅を確かめる。
「3歩先、右に石が――」
「見えてる」
エリオットが答えた。
「左へ避ける」
「後ろは合わせる」
ローディが続ける。
俺の指示になる前に、進路が決まる。
搬送布は左へ半歩ずれ、石を避けた。
「次、少し上り」
ノエラが前から伝える。
「右側が高い。左から入ると水平を保てる」
「左から行く」
カシア。
「前、同時に上げない。右前から」
レイナ。
持ち手が順に高さを変える。
俺の身体は傾かない。
「俺なら右から短く上がる」
思わず口にした。
エリオットが前を向いたまま答える。
「知ってる。でも、今は左」
「右の方が2歩少ない」
「その2歩でお前の脚を傾ける。レイナが左って言った」
俺は右の地面を見る。
確かに短い。だが、根が続き、前後の高さが同時に変わる。
「分かった」
左の緩い上りを進む。
4歩多くかかった。
それでも、右脚の位置は変わらなかった。
高所の待機場所では、先行6人が道を空けていた。
担架の負傷者は先に到着し、補助員が呼吸と固定を再確認している。
アステラは青い上着の別の教員へ紙を読み上げていた。
「出発時10人。途中で別班5人を受け入れ、計15人。南側4人は別教員が確保済みと笛で確認。こちらは負傷者2人。欠員なし」
「使用した道は?」
「第1退路は火煙で使用中止。第2退路へ移動後、窪みに煙が入り、白布の先の分岐から左道へ変更しました。左道入口の溝候補、右道の煙、魔物2体のうち1体の現在位置は未確認として残します」
「判断者は?」
アステラのペンが止まる。
俺の名前を書くのかと思った。
だが、紙に並んだのは1人ではなかった。
「人数と移動順はカシア。負傷状態と搬送可否はレイナ。左道確認はエリオットとノエラ。煙への風はルシアス。入口維持と停止はローディ。現在条件と記録は私。レオンは負傷前まで全体位置と変化を共有し、負傷後は見えた事実を伝えました」
教員は全員の名前を聞いたあと、紙の端へ印をつけた。
「受領した。未確認は教員側で継続する。ここから北の作業道へ移動。負傷者2人は救護馬車。ほかの生徒は補助員の誘導に従う」
引き継ぎが終わった。
アステラの紙から、現在の判断が教員へ移った。
俺たちが入口を守り続ける必要はない。
それでも、搬送布は下ろされなかった。
「一度休めば歩ける」
俺は言った。
「救護馬車までなら平らだ」
「搬送継続」
レイナが答える。
「呼吸も見る。今、胸の痛みは?」
「咳の時だけ」
「深く吸える?」
試すと、途中で咳が出た。
1回。2回。3回。
右手を2回握る前に、4人が止まった。
「合図はまだしてない」
「4回続いた」
カシアが言う。
「止める条件に足りる」
レイナが俺の顔色を見た。
「息を急に吸わないで。鼻から短く、口から長く吐く」
言われた通りにする。
咳が止まるまで、誰も持ち手を下ろさなかった。
「返事できる?」
「できる」
「目眩は?」
「ない」
「胸の痛みは残ってる?」
「弱い」
「移動再開。速さは上げない」
「確認した」
4人が歩き出す。
北の作業道までは、木立の外を回る緩い道だった。
煙は遠くなった。空は見え、学園の外壁も木々の間から少しずつ大きくなる。
安全な場所へ近づくほど、俺を運ぶ理由が減る気がした。
「もう煙はない」
「脚は治ってない」
ローディが後ろから返す。
「咳も減った」
「なくなってない」
エリオット。
「左脚は休めた」
「だから今は震えてないだけ」
カシア。
全部返される。
「4人で運ぶ方が遅い」
「急いでない」
カシアが言った。
「今は時間を競う課題じゃない」
「でも、みんなも疲れてる」
「疲れたら替わる」
右前の生徒が答えた。
ちょうどその時、ルシアスが横へ来る。
「次、僕が持つ」
「腕は?」
「震えは止まった。短い距離なら持てる」
レイナが手を見て、頷いた。
「交代していい。下ろさず、右前だけ」
3人が高さを保ち、生徒とルシアスが持ち手を替わる。
「受け取った」
ルシアスが言う。
搬送布は揺れなかった。
役割を替える時も、俺へ戻さない。
「何か見える?」
ルシアスが俺へ聞いた。
全体の変化を求められたと思い、作業道、救護馬車、人数を探す。
「前に救護馬車が2台。右の車輪の横に――」
「そうじゃなくて」
ルシアスは少し息を切らしながら言った。
「上。空が見えるか聞いた」
見上げる。
木立の枝の間ではなく、広い空があった。
煙は南東へ細く残っているが、頭上には来ていない。
「見える」
「なら、もう煙の中じゃない」
それだけ言って、前を向く。
作業道には、学園章を付けた2台の箱型の救護馬車が待っていた。
前には1頭ずつ馬が繋がれ、御者が手綱を握っている。
先の負傷者は1台目へ移され、レイナと教員が付き添う。
俺の搬送布は2台目の横へ運ばれた。
「ここで下ろす」
カシアが言う。
「3つ数える。1、2、3」
4人が同じ高さで膝を曲げる。
搬送布が馬車の床へ乗った。
教員が固定具を出し、俺の右脚と身体を留める。
「学園の治療室で再確認する。骨の損傷がないと決まるまで右脚は使わないこと」
「分かりました」
答えると、カシアたちは持ち手から手を離した。
指の跡が赤く残っている。
エリオットは剣を提げ直し、ローディは盾の革紐を締め、ルシアスは右腕を振らずに指を開閉した。
「もう行っていい」
俺は言った。
「点呼と報告があるはずだ」
「ある」
アステラが救護馬車の横へ来る。
「だから、全員で戻る」
「俺は馬車で行く」
「知ってる。私たちは歩いて同じ門へ戻る」
ノエラは折り畳んだ古い地図を胸元へしまった。
「紙も持って帰らないと。煙で湿ってるから、乾かしてから裏を読む」
「裏は今じゃなくていい」
「うん。今は帰る方」
救護馬車の扉が閉まる前に、エリオットが床の端を2回叩いた。
「治療室で勝手に立つなよ」
「立てるなら確認を――」
「確認するのはレイナと先生」
ローディが言う。
「お前は確認される側」
「でも――」
カシアが扉へ手をかけた。
「さっき、担架を持ったのはレオンだった」
俺は黙る。
「その次の持ち手が私たちだった。それだけ」
恩を返すと言わなかった。
守ったとも、助けたとも言わない。
順番が変わっただけのように、カシアは扉を閉めた。
御者が手綱を鳴らし、救護馬車が動き出す。
小さな窓から外を見ると、7人はすぐ後ろを歩いていた。
誰も馬車を動かすために歩いているわけではない。
誰も俺へ次の指示を聞かない。
それでも、同じ門へ向かっていた。
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