三回鳴った方角
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それでは、どうぞお楽しみください。
南東で鳴った3回の笛は、止まらなかった。
最初の3回。
短い間を置いた2度目の3回。
その後に、長い1回が重なった。
位置を知らせる笛ではない。
助けを求める側が、こちらの返事を待たずに鳴らしている。
カレンは南東を見たまま、右手を肩の高さへ上げた。
「待機を継続。笛は返さないでください」
別の場所から同じ合図が返れば、魔物の位置を誤って伝える可能性がある。
俺たちは鞍部から動かなかった。
火床には蓋が置かれている。煙は細い隙間からも出ていない。
第1退路は黄色い杭へ戻る道。第2退路は北西の窪みを通る道。
右側の乾いた草は使わない。
さっきまでと同じ事実を、俺はもう一度見た。
違うのは南東の音だけだ。
戦域把握で、最後に見た位置を頭の中へ置く。
俺たち10人。カレンと補助員。坂の向こうにいる教員1人。
笛が鳴った場所は、そのさらに南東。
姿の見えない相手は、音がした方向までしか置けない。
「南東の組は何人?」
カシアが聞いた。
「開始時は生徒8人、教員1人、補助員1人です」
カレンが答えた。
「現在の人数は確認できていません」
開始時の数と、今ここへ来る数は同じとは限らない。
カシアは10人を数えた。
「こっちは10人。歩けない人はいない」
「火床は消えてる。蓋は俺が持つ」
ローディが補助員から蓋を受け取り、左腕へ掛けた。右腕には盾を持っている。
「風は西から東」
ルシアスが白布を見た。
「鞍部の上は同じ。窪みの底は見てない」
「第2退路は、煙が底へ入ったら使わない」
アステラが表の条件を指で押さえる。
ノエラは新旧2枚の地図を開いた。
「南東からこの鞍部へ来るなら、黄色い杭の道か、石の列の外を回る道。古い地図にはもう1本あるけど、今も通れるかは分からない」
分かっていることが7人から出た。
俺は南東の音と、2本の道の位置を伝えた。
「笛は第1退路の先、少し東。最後の1回は最初より近い」
「近づいてるのが人か魔物かは分からないわ」
アステラが言った。
「音が近づいた。それだけ書く」
俺は頷いた。
坂の向こうにいた教員が姿を見せた。
走ってはいない。こちらへ身体を向けたまま、後ろ歩きで斜面を上がってくる。
片手に短槍を持ち、もう片方の腕を横へ伸ばしていた。
その後ろから、生徒が3人見えた。
1人を2人で支えている。支えられた生徒の右足は地面についていない。
さらに後ろへ2人。補助員が最後尾にいる。
6人。
教員を含めて8人。
開始時の10人には2人足りない。
「見える生徒は5人。1人は右足を使っていない。教員と補助員が1人ずつ」
俺が伝える。
カシアが南東を見た。
「残りは?」
カレンは答えず、坂から来る教員へ左手を上げた。
教員が短槍を一度縦に振る。それから南を指し、指を2本立てた。
「魔物2体。残りの生徒2人は、もう1人の教員と南側です」
カレンが合図を読んだ。
2体は確認された数だ。見えている数ではない。
「私たちは負傷者を受け取ります。南東へ迎えに行きません。現在の位置から第1退路を空けてください」
カレンは続けた。
「魔物への攻撃は、教員が退けられない場合だけ。追わないこと。負傷者を黄色い杭まで通し、その後の退路は状況を見て決めます」
誰が決めるかは、カレン1人へ戻されなかった。
レイナが添え木と包帯を地面へ置く。
「負傷者はここで見る。火床から7歩、道の外。寝かせるなら頭を北へ」
「運んできた2人も確認する?」
カシアが聞く。
「呼吸と歩き方は見て。負傷者へ触るのは私が先」
「分かった」
カシアは隣の班の2人へ、鞍部の北側を示した。
「到着した人数を数えて。後ろから来る人と混ぜないで」
エリオットは第1退路の南側へ出た。剣はまだ抜かない。
「俺は道の入口。魔物が見えたら、追わずに進む向きだけ変える」
「俺は狭い所を残す」
ローディが盾を前へ回した。
「黄色い杭から鞍部まで、人1人分は通す。俺が下がる時は、後ろも一緒に下げてくれ」
ルシアスが2人を見る。
「大きい風はまだ使わない。向きは俺が見る。出すかどうかは、前の合図を待つ」
「前の合図は腕を下へ1回」
エリオットが決めた。
「止める時はローディが盾を2回叩く」
新しい合図は2つだけだった。
アステラが表の現在欄へ書く。
『第1退路を空ける。負傷者は鞍部北側。前――エリオット。幅――ローディ。風――ルシアス。人数――カシア。処置――レイナ』
俺の名前はない。
「レオンは全体を見て、見えた変化を言って」
アステラが紙から顔を上げた。
「判断が足りない時は聞く。先に全部決めなくていい」
「分かった」
それで足りる。
坂を上がってくる生徒たちが、黄色い杭へ近づいた。
負傷した生徒は男子だった。右の脛に巻いた布が赤く濡れている。
両側の生徒も息が速い。補助員は何度も後ろを見ていた。
教員が短槍を横へ向けた。
草の間で、灰褐色の背が動いた。
最初は1体だけに見えた。
犬より大きい。肩が高く、前脚が太い。
首から背にかけて硬そうな毛が逆立ち、斜面へ身体を低くしている。
リッジハウンド。
そいつは教員へ正面から走らなかった。
斜面の下へ回り、負傷者を支える2人の横へ出ようとしている。
「1体、下へ回る。エリオットから右へ18歩」
俺が言う。
エリオットが剣を抜いた。
前へ詰めない。
黄色い杭と生徒たちの間へ入り、剣先を低く向ける。
リッジハウンドが外へ回れば、鞍部への道が広がる。
内へ来れば、剣の届く側へ入る。
エリオットは魔物を倒す位置ではなく、人が通る線を残す位置を選んだ。
「道はこっちだ!」
負傷者を支える2人へ声を投げる。
教員が短槍の石突きで地面を叩いた。
リッジハウンドの頭が一度そちらへ向く。
その間に、先頭の生徒が黄色い杭を越えた。
「1人」
カシアが数える。
2人目は左腕を押さえていた。血は見えない。
3人目と4人目が負傷者を支えている。
5人目は何度も振り返り、足が止まりかけていた。
「前を見て。そのまま歩ける」
カシアが言った。
命令ではなく、見えている状態を伝える声だった。
5人目が鞍部へ入る。
「5人。負傷者1人」
レイナは3人目と4人目へ聞いた。
「いつ噛まれた?」
「噛まれてない。石で切った。逃げる時に滑った」
「意識は?」
「ずっとある」
「ここへ下ろして。右足は引かないで」
2人が男子を厚布の上へ下ろす。
レイナはすぐに治癒魔法を使わなかった。
呼びかけへの返事、呼吸、脛の出血、足首の向き、靴の中へ血が入っていないかを順に見る。
「包帯を切る。添え木はまだ」
ノエラが記録紙を持って隣へ座った。
「分かっていることを言って」
「右脛に切創。出血あり。意識あり。呼吸は速い。骨折は未確認」
未確認は、ないことではない。
負傷者を運んだ2人は、その場へ座ろうとした。
カシアが止める。
「道の外へ。座る前に足を見せて」
1人は左膝を擦っていた。もう1人は怪我がない。
カシアは隣の班の生徒へ2人を任せ、後ろを見た。
教員と補助員はまだ黄色い杭の外だ。
リッジハウンドは1体しか見えない。
確認されたのは2体。
俺は斜面の上、中、下を順に見る。乾いた草が揺れ、石の間に灰色の影が切れた。
見えたのは尾だけだった。
「もう1体、上段。エリオットの左後ろ。距離は分からない」
「見えてる範囲は?」
エリオットが聞く。
「白い草の手前まで。石の裏は見えない」
俺は答えだけを渡さなかった。
エリオットは低い位置の1体と、見えない上段を交互に見る。
「上を追わない。道へ出た方だけ止める」
その判断を使う。
教員が後ろ向きのまま黄色い杭へ近づく。
低い位置のリッジハウンドが速度を上げた。
「来る!」
エリオットが半歩だけ右へ動く。
空いた左側へ、魔物の頭が向いた。
誘導歩。
俺はエリオットの2歩後ろへ入り、身体を斜面側へ向けた。正面へ進めば剣がある。
外へ回れば俺の方が広い。だが、その先にはローディの盾がある。
リッジハウンドは外を選んだ。
「右へ行く!」
俺が伝えるより先に、ローディの盾が地面へ下りた。
魔物の肩が盾へ当たる。
ローディは正面から押し返さない。左足を1歩引き、衝撃を斜面へ流す。
リッジハウンドの前脚が砂利を掻いた。
盾の横を抜ける幅はない。
だが、後ろには負傷者がいる。
俺なら風弾を顎下へ当てる。
水で目を逸らし、剣の側へ戻すこともできる。
まだ、どちらも使っていない。
「下げる?」
俺はローディに聞いた。
「まだ持つ。人を先に通せ」
ローディが答えた。
決めたのは盾を受けている本人だ。
「エリオット、教員まで3歩。補助員まで5歩」
俺は位置を伝える。
「道を残す!」
エリオットは魔物へ斬り込まず、ローディの盾と黄色い杭の間へ剣の線を置いた。
教員がそこを通る。
補助員も続いた。
「8人。開始時の見える組は全員」
カシアが数えた。
残り2人は南側の教員と一緒にいる。ここへ来た人数は揃った。
「ローディ、下がっていい!」
カシアが後ろの空きを伝える。
ローディは盾を2回叩いた。
停止の合図。
エリオットが剣を引く。俺も1歩下がる。
ローディは盾を斜めにしたまま、鞍部側へ2歩下がった。
リッジハウンドは追わなかった。
砂利の上で頭を低くし、俺たちではなく南東を見た。
上段の草が大きく揺れる。
2体目が姿を見せた。
そいつもこちらを見ていない。鼻先を上げ、風の流れる方角へ向けている。
「2体とも南東を見てる」
ノエラが言った。
「群れの残りがいる?」
隣の班の生徒が聞く。
「分からない」
ノエラはすぐに返した。
「2体が同じ方を見た。それだけ」
南東から、硬い物がぶつかる音がした。
その直後、赤い光が草の向こうへ走った。
何の魔法かは見えない。
低いリッジハウンドが身を伏せ、上段の1体が斜面を横へ走る。
乾いた草が倒れ、その奥で橙色の火が1つ上がった。
最初は掌ほどだった。
風が吹く。
火は東へ倒れ、次の草へ移った。
「火」
ルシアスが言った。
白布は西から東へ伸びている。南東の火から黄色い杭へ、風が斜めに入ってくる。
第1退路の先に、薄い煙が上がり始めた。
アステラが表を開いた。
「第1退路の条件が変わった。今は負傷者を戻さない」
「第2退路へ移す?」
俺は聞いた。
アステラは1人で答えなかった。
「ノエラ、南側の2人とつながる?」
「第2退路は北西へ出る。南側とは離れる。でも、白布の先に補助員がいる」
「レイナ、負傷者は動かせる?」
「止血してから。今すぐ走らせない」
「ローディ、入口は?」
「1人分なら保てる。担架を通す時は盾を外へ向ける」
「ルシアス、煙は?」
「まだ上へ抜けてる。窪みの底は未確認。大きい風を出すなら、火の向きを先に決めて」
「カシア、人数」
「こっち15人。生徒は負傷者を含めて13人。教員1人、補助員1人。南側は4人のはず。現在は見えない」
必要な判断が、必要な相手から返ってくる。
俺は火、2体の魔物、15人、第1退路、第2退路を頭の中へ置いた。
全部が同時にある。
それでも、俺1人の答えにまとめる必要はない。
「カレン先生、第2退路の入口まで15人を動かせます。負傷者は止血後。煙が窪みに入れば止めます」
俺は、出た答えをつないで伝えた。
カレンは南側と火を見た。
「その準備をしてください。私は残りの組を確認します。補助員はここへ残します」
教員が南東へ戻ろうとした時、低いリッジハウンドが顔を上げた。
火から逃げるように、黄色い杭へ向きを変える。
もう1体は上段を走り、鞍部の右側へ回っていた。
乾いた草の道。
さっき、現在の退路から外した線だ。
「右から1体!」
俺が言う。
「第2退路の入口へ来る!」
ローディが盾を北側へ回す。
エリオットは第1退路に残った。
2体を1人で見ようとしない。
「右は任せる!」
「任された!」
ローディの声が返る。
レイナは負傷者の傷から手を離さない。
カシアが15人を2つに分け、アステラは第2退路を現在の表へ移す。
ノエラが窪みまでの線を読み、ルシアスは風を待つ。
俺は両方の魔物と、火と、人の位置を伝える。
南東の煙が、黄色い杭を隠した。
第1退路が見えなくなった。
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