足りないものの数
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それでは、どうぞお楽しみください。
翌朝、ギルドの受付へ行くと、フィナが薄い冊子を机の上に置いた。
表紙には、カレディア総合学園の入学案内と書かれている。角は何度も開かれたらしく丸くなっていたが、紙そのものは新しかった。
「公開されている範囲の資料です。誰でも閲覧できます。持ち帰りはできませんが、ここで写すことは許可されています」
「試験のことが書いてある?」
「年齢条件、申請時期、試験科目、合格後の手続きがあります。ただし、年度によって変わる可能性があるので、受験する年にもう一度確認してください」
フィナは最初のページを開いた。
入学できる年齢。申請に必要な証明。試験を受ける場所。合格者の決め方。紙には、俺が今まで依頼板で見てきたものとは違う種類の条件が並んでいた。
戦えば勝ち、依頼を終えれば報酬が出る。そういうものなら、足りない部分を動きや経験で補える。けれど、試験は知らないことを知らないままでは通れない。
「まず、読み書きと計算があります」
フィナが指で行を追う。
「それから、この世界の地理や暮らしに関する基礎、魔法の基本、魔物と野外での安全に関する確認。細かな範囲は公開資料の別紙です」
「戦闘は?」
「実技試験があります。武器を扱えるかだけではなく、状況への対応を見ると書かれています」
俺は冊子の端を押さえた。
剣なら、これまで積んできたものがある。回避も、戦域把握も、魔力操作も、今の自分にできる範囲で伸ばしてきた。けれど、地理や魔法の仕組み、魔物の分類となると、紙の前で止まる箇所が多い。
「筆記で、どれくらい必要?」
「最低点が公開されていない科目もあります。総合で判断されるため、どれか一つだけで決めるものではないようです」
「なら、全部やる」
言ってから、フィナが少し笑った。
「簡単ではありませんよ」
フィナは冊子を閉じず、俺の表へ指を置いた。
「全部を同じ日に、ではありません」
「でも、試験には全部ある」
「だから順番を決めます。苦手なものだけ詰めても続きませんし、得意な実技だけしても空白は埋まりません」
ゼノが少し離れた場所から言う。
「まず一週間で崩れない形を作れ」
「一週間続いたら増やす?」
「続いた理由を見てからだ」
フィナが頷いた。
「疲れなかったからなのか、偶然依頼がなかったからなのか。それも分けてください」
「分かってる」
簡単ではないことは、最初から分かっている。分からないから、今まで見ないことにしていた部分があるだけだ。
ゼノは少し離れた場所で、冊子の内容を黙って聞いていた。フィナが写すための紙を渡すと、俺は表を作った。
読み書き。計算。地理と暮らし。魔法の基本。魔物と野外の安全。実技。
項目を分けるだけなら簡単だった。問題は、その下に何を書けばいいのか分からないことだった。
「現在の状態を書け」
ゼノが言った。
「できる、できないではなく、どこまでできるか」
俺は最初の欄へ、読める、書ける、と書いた。短い依頼書なら読める。報告書も、時間をかければ意味を追える。知らない言葉が混ざると、フィナやゼノへ確認することがある。
計算は、道具や報酬を分ける程度ならできる。距離や時間も、依頼で必要な範囲なら扱える。ただ、複数の日数と速度を合わせた計算になると、紙へ書かないと間違える。
地理は、歩いた場所なら分かる。地図の上で知らない町を繋ぐことはできない。魔法は、《風操作》や《風弾》を使えるが、なぜ風が動くのか、他の属性と何が違うのかを説明できない。
魔物は、見た特徴と危険を記録できる。でも、分類上の違い、生息地、季節による変化は知らない。野外の安全は経験があるが、経験したことのない場所で何を警戒するべきかを、知識として並べられない。
実技だけなら、今すぐでも受けたいと思えた。
けれど、紙の上に並べた不足は、剣を振っても埋まらない。
「多いな」
思わず口から出た。
「だから、先に数えた」
ゼノはそれだけ言った。
数えたから増えたのではない。見えていなかったものを、紙の上へ出しただけだ。
その日の午後、俺は魔法の基本について書かれた入門書を借りた。ギルドの資料室から持ち出せる範囲の薄い本で、最初の数ページには、魔力の流れ、属性、外部へ放つときの注意が書かれている。
読めない言葉は印をつけた。意味を想像して書き進めない。分からないものを分かったことにすると、後で直す場所が増える。
夕方には、紙の上に小さな印がいくつも並んだ。半分以上は、まだ誰かへ聞く必要がある場所だった。
「全部、すぐに覚えなくてもいい」
ヴェラから以前聞いた言葉を思い出す。
「今日はここまで。続きは明日にしなさい」
本を閉じる。頭が重い。剣を振ったあとの疲れとは違う。身体ではなく、知らないものを同じ場所へ置こうとした疲れだった。
宿へ戻る途中、俺は訓練場の前を通った。中では、何人かが木剣を振っている。音を聞くと、身体を動かしたくなる。朝の訓練も、明日からの走り込みも必要だ。
でも、それだけでは足りない。
俺は足を止めずに宿へ向かった。
夜、帳面を開く。
試験を受けるために必要なものは、まだ分からない。公開されている範囲の科目と条件を見ただけで、合格できるとは思わない。今の自分には、戦い以外にも積むべきものがある。
俺は項目ごとに、明日聞く相手を書いた。
読み書きと計算は、ギルドの記録を扱う人へ。地理は、街道や地域を知る人へ。魔法の基本はヴェラへ。魔物と野外の安全はオルドへ聞ける範囲を整理する。実技は、今までの訓練を続ける。
一人で全部を覚えようとはしなかった。
知らないことを知るには、知っている人へ聞く必要がある。聞いたことをそのまま信じるのではなく、自分で読んで、使って、間違いがないか確かめる。
それも、これまで積んできたやり方の続きだった。
最後に、俺は試験の日付を書く欄を空白のまま残した。
まだ受ける年ではない。いつ受けるかも、受けられるかも、決まっていない。
だから今は、空白を埋めるために動く。
紙の上に並んだ足りないものは、敵のようにこちらへ向かってくるわけではない。それでも、見ないままでは越えられない壁だった。
俺は明日の予定を閉じ、灯りを消した。
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