足りなかったもの
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それでは、どうぞお楽しみください。
ラグナードへ戻る道で、俺はゼノの戦いを何度も思い返した。《風装》で圧力を流し、《無拍》で動く前を消し、《重ね断ち》で同じ傷を重ね、《極点》と呟いたあと、一つの決着へ動きを繋ぎ、《断空》を鱗の奥へ通した。名前を知っても、何を積めばあの動きへ届くのか、俺には説明できなかった。
俺が今まで積んできた剣、足、観察、風、判断と、まったく別のものには見えない。それでもゼノは、それらを一つずつ使わず、最初から最後まで切らさなかった。強さの差だけでなく、自分が知らないことの多さが、倒れた巨体より重く残っていた。
テンペストドレイクに関する追加の記録をまとめた翌日、南の町のギルドへラグナード支部から返事が届いた。
紙には、討伐個体の状態、古傷、斜面の粉、餌場の記録が分けて書かれている。どれもすぐに答えへ変わるものではない。けれど、次に何を調べるべきかを整理するには十分だった。
「この記録を、ラグナードでも確認するそうです」
職員が言った。
「魔物の分類や生態を扱える人が、支部の資料を照合します。必要なら、別の地域から記録を取り寄せることになるでしょう」
「ここには、分かる人はいない?」
俺が聞くと、職員は少し困ったように首を振った。
「全くいないわけではありません。ただ、Aランク相当の個体を長期的に調べた人や、竜種に近い魔物の身体を扱える人は、この町には多くありません」
「じゃあ、知っている人へ聞けばいい」
「聞くためにも、記録を整えて、どこまで分かっていないかを伝える必要があります」
俺は机の上の紙を見た。最初は、テンペストドレイクが何なのかさえ分からなかった。姿を見て、特徴を分け、記録と照合して、ようやく名前がついた。それでも、名前が分かっただけで、動きや傷や移動の理由まで分かったわけではない。
名前の先に、まだ知らないことが残っている。
「俺たちは、ラグナードへ戻る」
ゼノが言った。
「身体の確認は?」
「次の人員へ渡す。現地へ残した条件と、触れていない場所を記録しておけばいい」
「また行かないの?」
「必要なら行く。ただ、俺たちが行けば分かるとは限らん」
その言葉を聞いて、以前の自分なら別の方法を探していたと思う。もっと近づく。もっと触る。見えない場所へ入る。自分で確認できれば、答えに近づけると考えていた。
でも、今回は違った。俺が知らないことを、俺だけで繰り返しても増えるのは同じ見方だけだ。別の記録を持つ人間に聞き、違う場所で積まれた知識と照らし合わせる必要がある。
町を出る前に、職員から写しを受け取った。討伐した個体の記録、南下の可能性、古傷と餌場の関係、未確認の項目。確認できたことと、分からないことが同じ紙の上で分けられている。
「この記録は、誰が読むの?」
「まずは支部の分類担当です。そのあと、必要なら王都側の資料を扱う機関へ照会します」
王都という言葉に、俺は紙から顔を上げた。
「王都に、魔物を調べる場所がある?」
「あります。冒険者ギルドにも資料はありますが、魔物の生態や魔法、地形を専門に学ぶ場所もあります」
職員はそこで言葉を切った。
「ただし、行けばすぐに教えてもらえるとは限りません。資料を読むにも、基礎が必要です」
「基礎?」
「文字、計算、魔法の仕組み、世界の地理。専門の記録ほど、前提になる知識が多いので」
俺は黙った。
文字は読める。計算も、日常で困らない程度ならできる。魔法の練習もしている。けれど、地図の記号や分類表の意味を、誰かに説明してもらわなければ分からない部分は多い。今回の記録も、調査担当者がいなければ、見たものを並べただけで終わっていた。
「レオン」
ゼノが呼んだ。
「行くぞ」
「うん」
町を出てから3日かけて、俺たちはラグナードへ戻った。道中、俺は何度も記録を開いた。灰色の粉が混ざっていた場所、古傷の位置、過去と最近の餌場の差。見れば見るほど、分かることより分からないことの方が増えていく。
それでも、以前のように焦って道を外れることはなかった。今すぐ答えが出ないなら、答えを持っている人へ届く形に整える。自分で確かめることと、誰かに教わることを分ける。
ラグナードへ着いた翌朝、ゼノと俺はギルドの奥へ呼ばれた。フィナが受付の席を離れ、机の上に南の町から届いた記録を並べている。
「お帰りなさい。まず、今回の件はここまでです」
フィナは報告書の束を指で揃えた。
「討伐、現地確認、素材の一部回収、周囲の避難。必要な報告は受け取っています。北西の道については、別の隊が支えと死体の処理を引き継ぎます」
「テンペストドレイクの身体は?」
「首の器官と腹部は、経験者が到着するまで開かないよう伝えています。鉄の欠片についても、南西の事件や荷車と結びつける記載はありません」
「分かった」
俺は返事をしたが、机の上の記録から目を離せなかった。
「何かありますか?」
フィナが聞く。
「俺は、魔物のことを知らない」
言葉にしてから、それが思ったより大きな不足だと分かった。
「見て、記録して、分けることはできる。でも、古傷がどう動きに影響するかとか、餌場が変わったときに大型【魔物】がどう移動するかは、聞かないと分からない」
「その認識は正しいと思います」
フィナは報告書を閉じなかった。
「冒険者として現地で確かめる力と、資料を読む力は別です。両方を持っている人もいますが、最初から全部できる人は多くありません」
「学ぶ場所はある?」
「あります。カレディア総合学園のように、魔物や魔法、地理を授業として学べる場所もあります」
聞いたことのない名前だった。
「冒険者が行くところ?」
「冒険者だけのための場所ではありません。入学できる年齢と試験がありますし、受ければ必ず入れるわけでもありません。推薦や特別な扱いがあるとも限りません」
フィナは、俺が先に期待しないように、事実を順番に並べた。
「ただ、知らないことを体系的に学ぶ場所としては、選択肢になります」
選択肢。
その言葉が残った。
ゼノは何も言わず、俺の反応を見ている。すぐに行けるわけではない。年齢も、試験も、今の自分の知識も足りない。入れると決まったわけではない。
それでも、俺には初めて、努力の向きを変える場所が見えた。
剣を振る。魔力を動かす。依頼へ出る。失敗を直す。それだけでは届かないものがある。なら、届くために必要な知識を積む方法も探さなければならない。
「ゼノ」
「何だ」
「俺、そこを調べたい」
「調べるだけか」
問い返されて、俺は机の記録へ目を落とした。
受ける。合格する。入る。どれもまだ決まっていない。だから、今すぐ言えるのは一つだけだった。
「俺に、受けられる試験があるなら。受けるために必要なものを積みたい」
ゼノは少し黙った。
「合格するとは言わないんだな」
受付の職員は、すぐに学園を勧める言葉を重ねなかった。
「試験を受けることと、冒険者をやめることは同じではありません。学び方も、進む道も一つではないです」
「両方続けられる?」
「時間の使い方は変わります。今までどおり全部できるとは言えません」
ゼノが壁から背を離す。
「選ぶ前に、失う時間も数えろ」
「うん。行きたいだけで予定を埋めない。必要なものと、続けたいものを分けて考える」
「うん。まだ、何が必要か分からないから」
「なら、まず調べろ」
短い返事だった。
フィナが、学園の試験に関する公開資料を取り寄せられるか確認すると言った。特別な紹介ではなく、誰でも見られる範囲の情報を集めるだけだという。
俺はそれを聞きながら、訓練帳を開いた。
今日からやることは、剣でも魔法でもない。学園の名前を書く。試験の年齢、科目、必要な知識を調べる。今の自分に足りないものを分ける。
それも、積み重ねの一つになる。
帳面の最後に、俺は書いた。
知らないことを、知らないままにしない。自分で見られないなら、見られる人から学ぶ。学ぶ場所へ行くために、今の自分に足りないものを調べる。
書き終えたあと、俺はもう一度だけ学園の名前を見た。
まだ、目標とは呼べない。
けれど、次に進む方向にはなった。
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