↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神影の暦術師  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/23

第19話 昨日の城塞

 夜明け前から、ルアヴエルは北側の地面へ杭を並べていた。


 黒い群れはまだ遠い。

 だが、昨日より数が多い。


 「正面へ来るのは三割ほどだ」


 ルアヴエルは地図の上へ指を置いた。


 「残りは東へ回る。昨日、防火壁が消えた場所を覚えているらしい。さらに一群が西の低地を通る」


 「魔物が作戦を立てる?」


 アズが尋ねる。


 「作戦かどうかは分からない。ただ、前回通れた場所を選んでいる。それで十分だ」


 ホーコンは地面の高低を見た。


 北側の防火壁跡。

 東の旧河道。

 西へ伸びる貨物支線跡。


 三つとも、すでに測量してある。


 「正面は壁で止めます。東は河道へ落とす。西は支線の盛土で進路を細くする」


 「全部、同じ年代?」


 クリストエインが聞いた。


 「違います。重ねません」


 ホーコンは野帳を開いた。


 「城壁が残っていた年代。河道が乾いて掘割になっていた年代。旧貨物支線が北部幹線へつながっていた事故前。区画を分けて順番に開きます」


 ルグエが油量表を見た。


 「三つ維持すれば、日没までは持たんぞ」


 彼は表の脇に置かれた黒い油の採取瓶を指で叩いた。


 「もう隠す意味もない。こいつは燃料じゃない。事故前の地下管理簿では封印油と呼んでいた。地下へ戻して、あの欠落を押さえるための油だった」


 給水塔で逆送した夜から、影が黒い油の流れに押し戻されることは分かっていた。

 今、用途までつながった。


 「全部を最後まで残す必要はありません」


 ホーコンは答えた。


 以前なら、自分で解除時刻まで決めていただろう。


 今回はアズを見る。


 「使う順番と、退く時刻は任せます」


 アズが一瞬だけ目を細めた。


 「分かった。じゃあ人の方は私が決める」


     *


 住民は四つに分かれた。


 北側は王国兵と戦闘班。

 東側は油輸送班。

 西側は柵を補強する作業班。

 中央には救護班と子ども、高齢者を置く。


 「逃げる時は南宿舎へ一本化しない!」


 アズの声が飛ぶ。


 「北が抜かれたら市場跡、西が抜かれたら給水塔側。自分の班の退路だけ覚えて!」


 その横をブレントが走ってきた。


 「北の商人三組が来ます!」


 荷車が六台。

 乾燥肉、包帯、ランプ油、鉄杭。


 「代金は?」


 ホーコンが聞く。


 「後払いです」


 「信用だけで?」


 「七日目の市場で、こちらも約束を守りましたから」


 ブレントは息を整えた。


 「関係は、こういう時に使うものです」


 ブレントは荷車ごとに送り主の名札を結び、受領した住民にも署名させた。


 「名前が消える相手と戦うなら、物資の行き先まで記録しておきます。誰が誰を助けたかも残す」


 アズが一台目の荷を開く。


 「包帯は救護所。鉄杭は西。食料は今は配らない。戦いが終わった後に必要になる」


 誰も異議を唱えなかった。


     *


 昼前、最初の群れが来た。


 鐘、一回。


 地下で万年カレンダーが動く。


 北側の地面から、灰色の城壁が立ち上がった。


 今回は外周全部ではない。

 魔物の正面百歩だけ。


 影に記録を食われるまでの時間を稼げればいい。


 「第二群、東へ移動!」


 ルアヴエルが叫ぶ。


 予測通りだった。


 黒い魔物たちが城壁を避け、東の低地へ流れる。


 「次!」


 ホーコンは第二の境界杭を確認した。


 別の日付を開く。


 東側の草地が沈んだ。


 かつて川だった場所。

 水はない。

 だが深い旧河道だけが、現在の地面へ重なる。


 先頭の魔物が落ちた。

 後続がぶつかり、黒い群れが細長い溝の中へ詰まる。


 「油輸送班、まだ流すな!」


 アズが止めた。


 「落ちた魔物が溝を埋めるまで待つ! 封印油は最後に使う!」


 住民たちは桶を抱えたまま待った。


     *


 西から土煙が上がった。


 ルアヴエルが地図を見る。


 「第三群。予測より十二分早い」


 「予定を変える?」


 「当然だ」


 彼は兵を二十人、西へ回した。


 ホーコンも第三の杭へ走る。


 地面には、錆びた二本の鉄線しか残っていない。


 事故前の日付を開く。


 土が盛り上がる。

 枕木とレール、貨物台、排水溝。


 王都行き北部幹線へ続いていた旧貨物支線が、一部だけ現在へ戻った。


 高い盛土が壁になり、魔物の進路を一か所へ絞る。


 ルアヴエルの兵がそこへ槍を揃えた。


 「ここなら十人で足りる。残りは北へ戻せ」


 「本当に?」


 若い兵が聞く。


 「違ったらまた変える」


 ルアヴエルは淡々と答えた。


     *


 午後。


 城壁の文字が削られ始めた。


 「北壁、残り三割!」


 クリストエインが地下から叫ぶ。


 「油量は?」


 「予定より一割多い!」


 ルグエが計量弁を締める。


 「西の支線を先に落とせ! あそこはもう兵だけで持つ!」


 ホーコンは地上を見る。


 自分で確かめに行く必要はない。


 「アズ!」


 「西、解除!」


 即答だった。


 ホーコンはレバーを落とした。


 旧貨物支線が消える。

 兵は全員、現在の盛土へ退避済みだった。


 油量計の針がわずかに戻る。


 「次は北壁を切る準備!」


 アズが叫ぶ。


 城壁、旧河道、貨物支線。

 測量。

 兵の予測。

 住民配置。

 油量管理。

 商人の補給。


 どれか一つでは防げない。


 ホーコンが見落とした群れをルアヴエルが数え、ルアヴエルの予測が外れればアズが配置を変える。クリストエインが必要量を読み、ルグエが古い弁の癖まで含めて油を絞る。足りない物はブレントが外からつなぐ。


 ホーコンは境界杭の前から動かなかった。


 以前なら、五か所全部へ自分で走っていた。


 今は、自分にしかできない日付の切替だけを見る。


 それでも、初めて一つの城塞として動いていた。


 その時だった。


 地下から鐘が三回鳴った。


 退避の合図。


 クリストエインの声が続く。


 「油槽区画に影が出た!」


 ホーコンたちは走った。


 地上最後の封印油を残していた第三油槽。


 黒い文字のような筋が、槽の脚から側面へ這い上がっている。


 白く塗られた番号が、一文字ずつ消えた。


 ルグエの顔から血の気が引く。


 「最後の油槽だ」


 次の瞬間、鋼板の一部が音もなく黒く欠けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。